36 執事と転校生
二学期の初日だというのに悠斗は遅刻していた。
普段の華凛の無茶振りとは違うもっと上から。要するには月若家当主の我儘のせいでの遅刻だ。
始業式も出ずに学校に向かう道すがら二つのスマホにそれぞれのメッセージが来ていた。
『やばいことになった。急いで学校に来て』
『悠斗くん、業務に差し支えるインシデントが発生しました』
前者は華凛から後者は瑠衣からだろう。不穏すぎる二つの文言のせいで学校へ向かう悠斗の足取りは、いつになく重くなっていた。
◇
悠斗が教室に入るころには始業式が終わっており休み時間になっていた。
「お嬢様、おはようございます」
「お疲れ。まずいことになったわ」
「はい、メッセージは拝見いたしました。……場所を移しますか?」
ちらっと瑠衣の方を向くと、こちらを向いているのがわかる。やばいことと言うのは月若と日ノ内がバレたということか。でも、瑠衣のメッセージでは「インシデント」と言っていた。つまり直接バレたというわけではなさそうが嫌なことには変わりない。
「いい、ここで。もう騒ぎは十分大きくなってるから」
「……っ」
「心して聞きなさい。この学校の三年生に女子生徒が一人転校してきたわ。それは――」
華凛が口を開こうとした瞬間、廊下からはドタバタと走りまわる生徒の足音が聞こえる。何事かとクラスメイトが顔をのぞかせる中その足はこの教室で止まった。
「はぁ……。なんでわかるのよ……悠斗が来たって」
「五大財閥なんだから分かるに決まってるやん?」
学校指定のセーターを腰に巻いた青髪のウルフカットの女子。女性としては高い身長ときりっとした瞳、華凛が可愛い系ならば彼女はイケメンでカッコいい系の女子。それはここにいてはいけない。華凛や大和と言った同種の人間。
「な、なぜあなたがここに……。水船朱莉様」
月若・日ノ内と並ぶ五大財閥の一角、財閥の令嬢。関西の高校に通っていた彼女がなぜかここにいる。
「悠斗が共学の高校に転入したって聞いたから、うちも入ることにしたんよ」
「しかし朱莉様。この時期に転校なんて……」
高校三年の九月に転入なんて普通は考えられない。彼女しかり、水船家は何を考えているのか。
「あの月若さん、星原さん。そちらの方は……?」
瑠衣はわざとらしくこちらへ近づいてきた。彼女もこの状況を知っているだろうに、話しかけたのは探りを入れるためだろう。
「うちは、水船朱莉。悠斗の嫁だよ」
手を振りながら言う朱莉の一言で好奇と驚愕が混じった視線が悠斗へと突き刺さる。
「よ、嫁ぇ!?」
「星原くんは華凛ちゃんの執事なのにそれって」
「お金持ちってなんかすごいね」
朱莉のいわれのない発言に頭を抱えることしかできない。
「ちょっと、あんた何寝言言ってんのよ!!」
華凛が猛然と机を叩いて立ち上がる。その顔は怒りがこもったように真っ赤に染まっていた。
「悠斗はうちの執事よ! なんであんたの旦那になるわけ。 だいたい、悠斗がそんな約束するはずないでしょ!」
「えー? だって悠斗は運命の相手で王子様なの。小さい頃もいっぱい助けてくれたし」
「朱莉様、それは月若の執事であれば当たり前の行動です。他の家の方々も同じ行動をするかと」
「それでも! うちの胸はときめいた。『あ、うちはこの人と結婚するんや』って」
「……大変うれしいのですが、現在の私はあのころとは変わっております。それゆえご希望にそえないかと」
周囲の喧騒を余所に、悠斗は眉一つ動かさず完璧な角度でお辞儀をした。
朱莉は全く堪えた様子もなく嬉しそうに髪を揺らしてこちらへ距離に踏み込んでくる。
女性にしては高い身長と、制服の上からでも分かるスタイルの良さ。イケメン風のクールな外見に反して、距離の詰め方は肉食系そのものだ。
「もー、悠斗は相変わらず固いなぁ。そこがかっこいいんやけど。月若辞めてうち早うきぃや」
「無理ですね。私の命は月若のものですから」
そんな二人のやり取りを一歩後ろから見ていた瑠衣と華凛が、冷ややかな声で呟いた。
「ずいぶんと愛されているのですね。星原さんは。月若さんの執事だというのに」
「ねぇー。あれはないわー。さいてぇー」
「富士見さん、お嬢様誤解です。これは朱莉様なりのお戯れのひとつなのでしょう」
「ええ、分かっております。ですが五大財閥の令嬢をそこまで勘違いさせるような、思わせぶりな業務をなさっていたのは事実のようですね。……一人の『友人』として、少々失望いたしました」
理不尽だと言いたくなるようなこの状況に、風穴を開けるように背後から声が聞こえる。
「あーここにいた。富士見さんこの後生徒会でお話があるみたいよ」
「大和さ……くん。わざわざ呼びに来てく、れたの?」
大和が学校では身分を隠しているのもあり、瑠衣はぎこちのない返事をした。いつと違い前髪を降ろし眼鏡をかけている為普段とは違うイメージを抱くが、これが日ノ内大和の学校での姿だ。
「それと水船先輩。先生がお呼びです、今後について相談したいと」
「へえー……。学校ではそんな感じでいるんだぁ。悠斗がここに来た理由も……なるほどね」
「?どうしたんですか先輩。早くいかないと怒られてしまいますよ?」
「……うん。そうやね。大和くんにそこまで言われたら行かんとね」
朱莉は不敵な笑みを浮かべたまま、スマートフォンの画面をパッと伏せてポケットに仕舞った。その去り際、すれ違いざまに悠斗の耳元へ顔を寄せ周囲に聞こえないほどの小声で囁く。
「……じゃあね、ダーリン」
それだけ言い残すと、朱莉はひらひらと手を振りながら、嵐のように教室を去っていった。
「じゃあ月若さん。私も生徒会室へ向かいます。また明日」
瑠衣は華凛に一礼し悠斗の方には一切視線を向けないまま、大和の後を追って廊下へ出ていく。
教室に残されたのは呆然とするクラスメイトたちと、怒りで肩を震わせている華凛とその執事。
「……さて、悠斗」
いつになく低い華凛の声が室内に響く。自然とクラスに見ていた温度が冷えていく感じがする。
「帰りましょ? 色々と聞きたいことはそこで聞くから」
「……承知いたしました。そのように」
二学期初日。夏休みに抱いていた期待感と裏腹に壮絶なものが待ち受けていそうだ。




