31 執事とメイドのベッドの中
「人質、ですか」
「僕や父さんはそう思っていないよ? でも、他の使用人や分家……あとは彼女自身も、自分のことを『人質だから』って言うんだ」
完璧に役目をこなす彼女の背負うものの重さに、悠斗は小さく眉をひそめた。
「理由は……」
「詳しいことは僕の口からは言えない。ただ、かなり前の代から莫大な借金があったらしくてね。それが巡り巡って彼女の両親の代に降りてきて……うちがそれを引き受けた、という感じかな」
そこで一度言葉を区切ると、大和はいつも以上に優しい笑みを浮かべた。
「彼女も両親も今うちの傘下で必死に働いてる。僕から言えることはそれだけだ」
彼女が長野から離れ一人で東京にいること。メイドとして従事していることこれですべて合点がいった。
そもそも同じくらいの年齢の使用人が五大財閥の中にいれば気づくはず。それなのに悠斗が彼女の存在を知らなかったのは、そういう理由だったからだろう。
「だから悠斗と下見デートをあの娘に頼んだのよ」
華凛もと身を乗り出しこちらへ顔を向けてくる。その顔はいたって真剣だ。
「あんたの仕事ぶりを見れば、あの娘も気づけるんじゃないかって。自分の仕事に……本当の自分の価値にね。それに、息抜きにもさせてあげたかったし……。まあ、大和なりの不器用な気遣いってやつよ」
「僕は富士見を利用している側だからね。すべて命令になってしまうから。瑠衣と呼んでしまえば彼女は戻れなくなってしまう」
大和が富士見と呼んでいるのは彼女の居場所を守るため。「富士見」を奪ってしまったら彼女は「富士見瑠衣」でなくなってしまう。そんな切実な大和の思いを、悠斗は視線を下にして聞くことしかできなかった。
自分の話をしていた時に辛そうにしていたあの人は、自分より重い何かを背負っている。
「……お二人の意図は、よく分かりました」
悠斗はゆっくりと顔を上げ、夕闇の中の二人を真っ直ぐに見つめた。
「それを知ったからと言って私にできることはなにもありません。星原の業務に従事するまでです。……ただ」
そこで一度言葉を区切り、悠斗はガラス戸の向こう――静かに眠る瑠衣のいる室内へと視線を向ける。そこには安心しきった様子で眠る女の子の姿、使用人の彼女はいない。
「これからの俺の行動には少し私情が入ってしまいそうです。そこは目を瞑っていただきたいです」
「それって、執事とメイドっていう同業としての話? それとも、星原悠斗っていう一人の男の友達として?」
「勿論、どちらともです。どっちも大切な私の一面なんですから」
そう言うと二人は顔を合わせ満足そうに笑った。
「ねぇ大和。やっぱり私達は使用人に恵まれているわね」
「そうだね。富士見も悠斗くんも」
「それを言うなら、私も主に恵まれましたよ」
悠斗は形の良い眉を少しだけ下げ、呆れたような、けれどどこか楽しげな苦笑を二人に向けた。
「犬猿の仲とまで言われる月若と日ノ内の次期当主が、裏でこっそり付き合っている。挙句、密会デートの下見を手伝えだ、プランを考えろだなんて前代未聞です。普通の執事なら卒倒していますよ。こんな貴重な体験、他では絶対にできません」
悠斗が肩をすくめて見せると、静まり返っていた海辺のヴィラに、三人の抑えた笑い声が心地よく木霊した。
「お二人ともそろそろ。本日はここでお開きにしましょ」
二人がヴィラに入るのを見送ると時刻はすでに一時を回っていた。
いくら悠斗でも限界なので倒れこむようにベッドに飛び込むとそのまま意識を失った。
◇
次に目を覚ましたのは、カーテンの隙間から差し込む太陽の光と――それから、やたらに重い左手の感覚が原因だった。
金縛りにでもあったのかと思ったが右手が自由である為、布団をめくるとそこには見知った顔がすやすやと寝息を立てている。
「これは完全にやらかしたなぁ……」
昨夜の最後の記憶を必死に手繰り寄せる。極限の疲労のせいで頭がぼーっとしていた。ろくに確認もせず、近くのベッドにダイブしてやらかしてしまったというのがオチだろう。
この危機的状況を打破するため、手を抜こうにしても強く抱きしめられているし対処ができない。
「あたま……なでぇ」
どうやら瑠衣もまだ寝ぼけているようで当分起きなさそうでもある。
そんな中待ってましたと言わんばかりにこの窮地を救ってくれそうな声がかすかに聞こえてくる。悠斗は藁にも縋る思いで、スマホに手を伸ばしコールをした。
「お嬢様お助けください、部屋に今すぐ来てください」
数秒の沈黙の後、スピーカー越しに聞こえてきたのは、弾けるような華凛の爆笑だった。
『ちょっと悠斗、朝っぱらから何事かと思えばそんな情けない声出しちゃって! 腰でもやった?』
「……声が大きいです、お嬢様。とにかく事態は一刻を争います。富士見さんが」
『は? まじ!?』
その時、廊下から聞こえていた足音がピタリと悠斗の部屋の前で止まった。スマホの向こうの華凛の期待感が伝わる。
直後、スペアキーを使ってドアが勢いよく開け放たれた。
「ちょっと悠斗、どういうこと――って、ええええええ!?」
部屋に飛び込んできた華凛は、ベッドの上の光景を目にした瞬間、両手で口元を押さえて硬直した。
「し、静かに……! 彼女を起こしたらすべてが終わります」
悠斗が青い顔で人差し指を唇に当てると、華凛は目を爛々と輝かせ、音を立てないようにすり足でベッドサイドへと近づいてきた。
「ちょっとこれ、どういう状況よ。あんた達の友達って、セフ――」
「下品ですよ。それに誤解です、昨日夜までお話してたじゃないですか」
「じゃああんたまさか、女の子のベッドに潜りこんだってこと? 首はねるわよ?」
「それは……否定できないというか。疲労で気絶していたらこんなことに」
悠斗が冷や汗を流しながらのんきに言い訳をしていると、そこへ開け放たれたドアから、眠そうに目をこすりながら大和がやってきた。
「大和やばい。昨日私達の前で格好つけていた有能執事が、今は私情でゴミカスになってる」
「えー……うーーーーーん。悠斗くんがそんなことするわけないでしょ……」
まだ眠気が勝っているのか、大和は大きく腕を伸ばしてあくびを噛み殺し、手元のスマホをいじりながら生返事を返す。
「じゃあどう説明するのよ! 見てよこいつ、よそのメイドを抱き枕にしつつ、自分も布団までしっかり被って満喫してるわよ!?」
「逆でしょ。悠斗くんが抱き枕になっているというか……あ、起きた」
大和がそう指を差すと視線は一気に左腕へと集まる。
「ん、んーーー……。いまぁ……何時ぃ……?」
華凛の大声が響く中、悠斗の腕の中で瑠衣がむにゃむにゃと身をよじり、薄く目を開けた。完全に寝ぼけている彼女の視界には、目の前にある悠斗の左手しか映っていないらしい。
「……八時よ」
「ならまだ寝るぅーーー」
瑠衣は秒で目を閉じると、不満げに眉をひそめて悠斗の体にさらにぎゅっと抱き着き寝息を立て始めた。
「まぁこういうことでしょ?」
「えぇ……なんで寝れるのよこの子」
「あくまで僕の予想だけどさぁ、悠斗君がダイブする形で意識を飛ばしたら自然に覆いかぶさる格好になるはずじゃん? それで重さで目が覚めて、富士見がベッドの中に入れて腕に抱き着いたと思うんだよね。この感じ」
ここで冷静な大和がいてよかったと、胸をなでおろした。あわや職を失うところだった。
「つまり悠斗は悪くない……。信じてたよ悠斗! やっぱりあんたは私の執事ね!」
先ほどまでぼろくそに言ってきた人と同じ口と思えない。
そんなやりとりをしている間に、左腕は限界に達していた。すでに張っていて感覚がない。
「お嬢様お助けを。私の疑いも晴れたはずです」
「あ、ごめんごめんでも最後に写真撮らせてよ」
「いいわけな――」
「るいるい、ピースしてー」
「ん……かりん……さま……ぁ……? ……はーい……」
薄目を開けたまま、悠斗の体にぎゅっと抱き着いた状態のまま、自由な右手で小さく頼りないピースサインを作ってカメラに向ける。
「よし、撮れた。大和いる?」
「僕のスマホにも共有しといてね」
「ちょっと待ってくださいお二人とも、今すぐそれを消去――」
そこまで言って、悠斗はふと腕に抱き着いてた感覚がほどけるのを感じた。
「ん……んぅ……? ……華凛、様……? 大和、様……?」
自分と同じベッドにいる悠斗の姿と、それを見つめる二人の主の姿。
「……え? なにこ……れぇ」
瑠衣が体を起こした瞬間、悠斗は顔を覆った。最も最悪のタイミングだと。




