29 執事とメイドの世間話
結局、ベッドの主は悠斗ということで決着がつき、そのままリゾートの夜は静かに過ぎていった。夕食の為に向かったレストランから帰るころには、すっかり雲が晴れていた。あてにならない雨予報に振り回された。
少し早く止んでくれればそれぞれの島に帰ることもでき、こんなイレギュラーも起きなかったのに。と、天を仰ぎたくもなる。だが、今更そんな恨み言を吐いたところでどうなるわけでもない。
「じゃあ、私たち帰るから仲良くね」
「お二人ともおやすみなさい」
主達が宿に入るのを見送りながら悠斗たちも自室にまで戻ることにした。
「警備などもいないですが……お二人は大丈夫でしょうか」
「治安も悪いわけでないので大丈夫かと。お二人には外に出ないようお伝えしておりますので」
ヴィラへと続く静かな回廊を歩きながら、瑠衣の問いに悠斗は静かに答えた。そもそもここは高級リゾート地。もしもの対策としてお嬢様の位置情報は、月若でも把握できるようになっているから大丈夫であろう。
「どうぞ、富士見さん」
入口を開けると瑠衣はまっすぐソファへ向かうので、悠斗は仕方なくベッドに腰掛けることにした。
「うーん暇ですね」
「ですね。星野さんはオフの時何をしていますか?」
思えば何もしていない。旦那様がいる時はジムを一緒にしたり、奥様がいる時は話し相手になるがそれ以外は寝ているだけだ。
「部屋にずっとこもってしまいますね。日ごろの疲れは取れないので」
「あぁ……。あれはそうですね」
なぜか主たちのいるヴィラに顔を向ける瑠衣の姿に悠斗も思わず笑ってしまう。一か月の出会いでも彼女にもどこかわかるところがあったのかもしれない。
「富士見さんはなにされてますか?」
「私は最近は漫画を見ていますね。お嬢様や大和様に勧められた漫画やアニメを見ています。ほらこうやって――」
瑠衣は腰を上げると悠斗の隣に座りスマホの画面をこちらに見せてきた。そこには漫画のアプリがありどれも、華凛が好きそうなジャンルのものだ。
「見事にお嬢様達に毒されていますね」
「お恥ずかしいですが、とても影響を受けてしまっています」
そう言って、瑠衣は照れくさそうにクスクスと笑った。こんな笑顔を見せるようになったのも信頼故のものなのかもしれない。
「確かに漫画いいかもですね。勉強になりますし」
「そうですよ。それに『あたりさわりない恋愛』読み終えましたか?」
「……ノーコメントで。これは月若の守秘義務にひっかります」
「うちに来て以来読んでー?」
「ないですね。はい」
やはり挫折してしまった。瑠衣の家お邪魔した時は面白いな、と思えたが、なぜか一人になると読めなくなってしまった。これには悠斗も理由がさっぱりだ。
「なら……私のおすすめ読みますか? こちらだったら男性主人公で読みやすいかと」
瑠衣はさらに一歩距離を詰めると、嬉しそうにスマホの画面をタップしてある作品の表紙を表示させた。映し出されたのは、武骨な感じのバトル漫画だ。
「これなら恋愛要素も控えめですし、ストーリーが王道で面白いんです。もしよろしけば是非」
「ほう……なるほど。いいですね」
勧められた画面を覗き込みながら、悠斗は「これなら確かに読めそうだ」と小さく頷いた。
同時に、先ほど自分が感じた『一人になると読めなくなってしまう理由』の答えが、ほんの少しだけ分かったような気がする。
あの時は分からないことを聞いてお互いで相談しあうことができた。お嬢様には申し訳ないが漫画の中身よりも、会話が楽しかったということなのだろう。
「……富士見さんがそこまで仰るなら、少し興味がありますね。そのアプリこちらに入れ購入しようと思います」
執事の仕事のお陰で高校生が持つには、考えられないほどのお金が悠斗の口座に眠っている。だからこそ躊躇なく全巻余裕で買ってしまった。
「えっ、全巻? 星原さん、まだ一巻も読んでないのに……。よろしいのですか?」
「形から入るのも悪くないかと。それに、富士見さんが太鼓判を押す作品ですから、間違いはないでしょう」
瑠衣は一瞬呆気にとられたような顔をした後目を細めた。
「……ありがとうございます。なんだか、そうやって全巻買ってもらえると、私まで自分のことみたいに嬉しいです」
そう言って、彼女はソファに戻ることなく、ベッドの端に腰掛けたまま自分のスマホを開いた。
「じゃあ、一緒に読み進めましょうか。分からないところがあったら、何でも聞いてくださいね。……前の時みたいに」
「ええ。よろしくお願いします」
◇
思っていた数倍面白かった。いつの間にか読み進めものの数分で一巻を読破してしまった。
「いいですねこれ。読みやすいです」
「本当ですか? 良かったですおすすめできて」
華凛が勧めたものとは、違う硬派なお話で驚きはしたがこっちの方が性に合っている気がする。満足感から息を吐き、スマホから顔を上げると、隣にいる瑠衣がじっとこちらの顔を覗き込んでいた。
「……」
「……富士見さん? 私の頬に、何か付いていますか?」
「いえ。ただ……最初に星原さんとお出かけした時は、全然お話しできなかったのに、な、と」
確かに初対面の時の渋谷デートの時には何も話すことができなかった。話も盛り上がらないし、どうすればいいのか手探りの状態だったにもかかわらずこうやって話せるようになったのは奇跡かもしれない。
「私もあの時は気まずかったですね」
「私もです」
そう言って自然に視線を合わせ、二人はどちらからともなく静かに笑い合った。




