19 執事とメイドの家(2)
少しトラブルもあり気まずい空気が流れる中、この空気を打破するように瑠衣が声をかけてきた。
「そ、その……何もない場所ですがくつろいでください。せっかくなんでなにか……」
自宅のキッチンのはずなのに、瑠衣はあわあわと目に見えて慌てふためいている。
お盆を持つ手もわずかに震えていていつもの彼女とは思えない所作だ。彼女のそんな様子を見ていると、不思議と悠斗の方の緊張が少しだけ和らいだ。
「富士見さん、落ち着いてください。お盆ひっくり返しますよ」
「……っ、お、落ち着いています」
「もしよろしければ、私がお持ちいたします。座っていてください」
「しかし、ここは私の家ですし日ノ内のメイドとして」
「そうですが、今の富士見さんを見ていると少し心配です。リビングのテーブルを片付けておいていただけると助かります」
悠斗がそう言ってそっと手を差し伸べ、瑠衣の手からお盆を滑らせるように引き取った。
「あ……」
一瞬、また指先が触れ合いそうになり、瑠衣が小さく肩を揺らす。だが、悠斗がいつもの執事としての完璧な、それでいて押し付けがましくない笑みを浮かべると、彼女はそれ以上抗議する言葉を見つけられないようだった。
「……分かりました。では、お言葉に甘えて」
瑠衣はどこか敗北感をにじませながらも、真っ赤になった顔を隠すようにしてリビングへと歩いていく。残されたキッチンで、悠斗はトレーに乗った冷たい麦茶のグラスを見つめテーブルに持っていく。
「お待たせいたしました。お嬢様」
「お嬢様?」
「あ……すみません、つい癖で」
完全にいつもの業務モードのノリで口走ってしまった自分に気づき、悠斗は誤魔化すように頭を掻いた。
「ひどいですよ。他の女と間違えるなんて……」
「え……」
一瞬、心臓が爆発するかと思うほど大きく跳ね上がった。あまりにも破壊力の高すぎる言葉。頭が真っ白になり、気の利いた返しの一言も浮かばない。
「すみません。華凛様から頂いた漫画に同じようなシチュエーションがございまして」
「あ、あぁ……なるほど、お嬢様の仕業ですか」
「……はいこちらの漫画をこの前頂いて。勉強用として」
テーブルに置いたのは、見覚えのある単行本。以前悠斗が借りた「あたりさわりない恋愛」と書かれた少女漫画。悠斗も一巻は読み終えたがそんなセリフはなかったので、瑠衣はだいぶ先まで読んでることになる。
「そういえばこちら星原さんも借りていませんでしたか?」
「あぁ……そういえば、ソウダッタヨウナ……」
「まさか読んでないんですか?」
「……そういえば。さっきの台詞だって読んでいればわかるはずなのに」
まさか思わぬ形で、読書不足がバレるとは思わなかった。これが瑠衣だったからよかったが、華凛にばれてたら大目玉だ。
「では残りの時間はこの本を読破しましょ。わからないところはお互い話し合いながら」
「しかし、時間が……」
「華凛様から連絡を頂いております。『悠斗は、この後オフだから自由にしていいよ。お泊りはだめね』だそうです」
「泊まるわけなんてない」とツッコもうと思ったがそれ以上に、密に連絡を取っているほうが驚いた。悠斗の所には自撮りの写真が送られてくるだけだ。
まぁ実際今日の業務はないので、この後屋敷に戻ってもやることがない。ここはお言葉に甘えるか。
「……わかりました。それでは読みますか、そのマンガを」
「では二巻からお借りします」
教室で手をつなぐ表紙のものを手渡され二巻を右にめくっていった。
◇
いつの間にか一時間が経っていた。
その間お互いは質問をしあってこれはどういうことかなど聞きあっていた。
「……富士見さん、ここのページです。この『なにかお揃い』を作るという行為、これには一体どのような実用的メリットがあるのでしょうか」
例えば今読んでいる十二巻のこのシーン。主人公とヒロインたちが、修学旅行でお揃いのキーホルダーを買うというシーン。これの何がいいのかイマイチ理解できないでいた。
「メリットとかそういうことじゃないでしょう。お揃いのものを持つことで、離れていても相手を身近に感じられる。……精神的な充足感が目的というか」
「精神的な充足感……。なるほど、数千円のキーホルダーをお互いつけることによって、離れていても愛情を確認しあうことができる。確かにこれなら遠距離恋愛など費用対効果がいい」
この漫画を貸されて読めなかったのも、主人公たちの行動を理解できなかったことが大きい。こういうお揃いとか、付き合ってることを隠しているシーンなども正直理解できなかった。恋愛を経験したことも友人もいない、悠斗には恋に堕ちる感覚もドキドキする感覚も縁が遠い話。
「いいですね。こう考察しあうと、意外と面白いなと気づけます」
それでも瑠衣の考察や自身がこうなった場合など考えると、意外と分かったりするものだった。これはただの少女漫画と侮って放置していたことを申し訳なく思う。
「漫画もよろしいですが……よろしいのですか? そろそろお時間が」
「うわ、もうこんな時間か……」
液晶に表示された時刻は、すでに二十時を回っている。あまりに居心地がよくくつろいでいてしまった。
「すみません、つい居心地が良くて長居してしまいました。私はそろそろ出ますね」
急いでカバンに荷物を持ち上げ玄関に向かうと、瑠衣もついてきてくれた。
「誰かが家に来るなんて貴重な経験でした。模様替えを手伝っていただきありがとうございました」
「いえこちらこそ……あのそういえば」
悠斗がこの部屋に入ってきてから気になっていることがあった。それは、瑠衣以外の生活の跡がないこと。
日ノ内家からあてがわれたマンションの一室と言っていたが、他の家族や同居人がいる気配がまったく感じられないのだ。今も玄関にあるのは彼女の靴一足だけ。
「富士見さん、ここって……もしかして、一人で暮らしているんですか?」
「はい。日ノ内家での正式な雇用を機に、東京に来たので。両親は長野にいます」
「長野ですか? 私と同じですね」
悠斗の言葉に、瑠衣は驚いたようにパチパチと瞬きをした。
「星原さんも、長野のご出身なのですか?」
「ええ。私も長野生まれらしいです。なので一緒ですね」
「なるほど。それを言われると余計に親近感がわきますね」
もっとこの共通点について話していたい――そんな名残惜しさが胸をよぎる。しかし、スマホの時計はすでに二十時を回っている。いくら予定がないからといっても、異性の家にこれ以上長居するのは気が引ける。
「それでは今度こそ、お邪魔しました」
「また機会があれば是非」
「はい!」
元気よく返事をして、悠斗はマンションを後にした。




