18 執事とメイドの家(1)
週末の金曜日。
華凛の出国を見送るため、悠斗は空港のVIP用プライベートロビーに足を運んでいた。
今回の出国の目的は、期末テストのご褒美として大和に水着を選んでもらうこと。ついでに本場の韓国料理を食べ歩きデートしたいという、我が儘によるものだった。
「お嬢様。最近少々浮かれておいででしたが、あなたと『あの方の』関係はあくまで秘密なのですからね」
あの方――大和の名前は、公共の場では決して口にできない。
最近は二人の距離が近く気を抜いてしまうこともあるが、表向きの月若と日ノ内の関係は、一般社会から見れば「犬猿の仲」のまま。
これを隠し通せるのも、両家の徹底した努力の上で辛うじて成り立っている。今回の大がかりな出国劇にしても、周囲の目を欺くためにわざわざ利用する空港を分け、到着先の空港すらも全く別の場所に設定しているほどだ。
「わかってるわよ。あんたこそ気をつけなさいよね。最近、パパラッチが周囲を張っているみたいだから」
「そうですね。まあ、あいつらの処理なら私にお任せください。目にものみせてやりますよ」
「はぁ……あんた、過激なのは勘弁してよ?」
華凛は呆れたようにため息をついた。
「まあ、行ってくるから。るいるいと仲良くね」
「お任せください。お嬢様もお楽しみくださいね」
ゲートの向こうへと消えていく主人の背中を見送りながら、悠斗は頭を下げた。
空港を出ると同時に、プライベートスマホに着信が来ていた。このスマホが鳴るということは勿論そういうこと。
「お疲れ様です。時間通り便は飛び立ちました」
『はい、こちらもすでに韓国へ向かいました』
日ノ内との出国を合わせるため彼女からの定時連絡に応じながら、小さく息を吐いた。
「了解しました。それではこの後はよろしくお願いします。――制服の方がカモフラージュになりますので、そちらのままで。自宅の住所はメッセージで送ります」
『わかりました。三十分後に向かいます』
ぷつり、と通話が切れたと同時に悠斗は深い息を吐いた。
今日は二組のご褒美を同時に叶える日。それが、事前に華凛から受けていた指示だった。悠斗は彼女に指定された住所の場所――瑠衣の家へと足を向かわせた。
◇
案内されたのは、高級マンション。
オートロックのエントランスの前で悠斗が待っていると、自動ドアの向こうから、見慣れた同じ制服姿の女子生徒が姿を現した。
「星原さん、どうぞこちらへ」
瑠衣は軽く一礼すると、流れるような所作でキーをセンサーにかざし、解錠されたドアの奥へと悠斗を促した。そのまま二人でエレベーターに乗り込む。
「てっきり……お屋敷の近くにでも住んでいるものかと思っていました」
「そうですね。プライベートと学校生活を尊重したほうがいいという奥様からのご意向で、この部屋を貸し与えられています。星原さんは……?」
「私はずっと屋敷住まいですね。『いつでもすぐに呼び出せるようにしておきたい』というご要望で、その形になっています」
月若の屋敷には、若い使用人は少ない。
だからこそ華凛の遊び相手は自然と悠斗になっており、それは『執事と主人』という関係以上のものになっていた。
目的の階に到着した電子音が響く。廊下を進み、一つの扉の前に立った瑠衣が鍵を取り出して扉を開くと瑠衣が扉を開けこちらに促す。
「どうぞ中へ」
瑠衣に促され、悠斗はついにその一歩を踏み出した。
部屋は1LDKと高校生では持て余すような広さ。無駄なものが一切なく、整理整頓されている。彼女の性格を体現したようなイメージ通りの部屋だ。
「……あ。スリッパは、こちらを」
瑠衣が差し出してきたのは、真新しいメンズサイズのスリッパだった。
それを受け取ろうとした瞬間、二人の指先がかすかに触れ合う。
「っ……」
「あ……」
お互いに手を引き、奇妙な沈黙が流れた。よくよく考えれば月若家の人を除けば人の部屋に入るのは初めて。ましてや同級生でよその家のメイドの家に入るなんて、今までの生活の中では考えることもなかった。
すぐ隣にいる彼女の存在が、嫌でも悠斗を緊張させる。
「星原さん」
「は、はい」
「……そんなに硬くなられては、こちらの調子が狂います。今日お呼びしたのもお願いがあってのことですから」
そういえば、今日呼ばれた理由をまだ聞いていなかった。『家に来てくれ』とだけ言われたのでどんな理由があるかもわからないまま、流れでここにきてしまった。
「そうです、そのお願いとは」
「事前に詳細を伝えておくべきでしたね。……実は、リビングにあるソファと、奥の寝室にある本棚の配置を換えていただきたいのです」
「家具の移動……ですか?」
彼女が指差したリビングの隅を見ると、そこには少しだけ位置がズレて不自然な角度のチェストがあった。一度一人で頑張って動かそうとしたようだが、確かにこれは厳しい。
「なるほど、事情は分かりました。お任せてください、そのくらい一瞬で終わらせてみせますよ」
悠斗が制服の上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり上げるとチェストに手を伸ばした。
家具の移動は物の十分もかからずに終わった。
確かに重いものもあったが、普段から鍛えている悠斗からしたら朝飯前だ。
「あんな重かったものを、ものの数分で動かしてしまうなんて」
瑠衣は感心したように声を漏らした。最初は「おぉ……」と感嘆の声を上げていたが途中からその声も上がらず、口を大きく開いていた。
「こういう力仕事は月若の中でしていますから」
「いや……その細い体にどんな力があるのかと」
瑠衣は我に返ったように小さく首を振ると、信じられないものを見る目で悠斗の腕をじっと見つめてきた。
「見かけ倒しじゃないってことですよ、旦那様に鍛え上げられていますから」
悠斗が少し得意げに、まくり上げていた袖をさらに一折りすると瑠衣はハッとしたように視線を逸らした。なぜかその耳の裏が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「どうしました?」
「その……お腹が見えていて」
指さされた先を見て、悠斗は「あ」と声を漏らした。
大型の家具を抱えて持ち上げた際、激しい動きでスラックスからシャツの裾が完全に飛び出してしまっていたらしい。露出していることに今の今まで気づかなかった。
「……っ、すみません!」
普段は完璧な身だしなみを崩さない悠斗だったが、今回ばかりは顔が一気に沸騰した。慌ててシャツの裾をスラックスの中に押し込み、ベルトの位置を直す。
「い、いえ。不慮の事故ですし、そのすみませんじっくり見てしまって」
瑠衣は瑠衣で、両手で顔を覆うようにして完全にそっぽを向いていた。指の隙間から覗く頬まで真っ赤に染まっている。




