第5話 差し伸べられた手の先に…
不遇な令嬢が前世の記憶を取り戻したとき、自分を幸せにする覚悟を決めた。記憶と接客技術を武器に踏み出した一歩は、やがて国も巻き込んでいく…。
不定期更新です。
「エノレア!突然どうした?」
騎士舎の扉が開く。
快活な声が、外の空気を一気にさらっていく。
颯爽と現れたのはハンナ・グレイスだった。
「あなたにお願いがあって来たの。」
トランヴェール夫人はいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「面倒ごとはごめんだよ」
ハンナは眉間にシワを寄せる。
だが、その声はどこか楽しげだ。
トランヴェール夫人はリノの方に向かって歩く。
くるりとリノの背後に回る。
そっと肩に手を置き、前へと押した。
馬車の影から、リノが姿を現す。
「この子と二人っきりで話したいの。」
おちゃめな声。
「⋯は?」
ハンナは目を丸くする。
リノはただ口を開けたまま立ち尽くした。
「おう、リノ。二人とも知り合い?」
リノは勢いよく首を横に振る。
トランヴェール夫人は、にこやかに首を縦に振った。
「エノレア〜。⋯何を考えている?」
呆れたように言いながら、ハンナはリノを見る。
そして、ぽんっと頭に手を置いた。
「面倒なやつだけど、悪いやつではない。」
リノは安心した顔でハンナを見た。
トランヴェール夫人は軽くハンナを睨む。
「ほら、お土産のカスタードタルトあげないわよ?」
「それは困るな。」
ハンナは即答した。
「⋯。私の執務室に案内するよ。」
ふっと優しく笑う。
リノは呆然と眺めていた。
執務室の席に座った。
「相変わらず、殺伐としているわね。」
トランヴェール夫人は笑いながらハンナを見る。
机の上は書類で埋もれている。
「普段は客は呼ばないからね。」
ハンナは笑いながら手際よく用意する。
テーブルには、ハーブティーとコーヒー、カスタードタルトが、並べられた。
リノは少し落ち着かない。
キョロキョロと周りを見渡す。
「リノ大丈夫だから。何かあったらベルで鳴らしなさい。ドアの外にいるから。」
ハンナは、引き出しからベルを取り出す。
リノの前に置いてから、部屋から出た。
トランヴェール夫人はコーヒーを一口飲む。
リノに優しく話し始めた。
「ハンナとは幼馴染なの。昔からよく一緒にいたのよ。エレナともね。」
「母も?」
リノは不思議そうに呟く。
ー母は男爵家出身だし⋯。お祖母様は元庶民だし⋯。どこで知り合ったんだろう⋯。
「男爵家のお茶会で知り合ったのよ。昔のアシュフォード家は誰とでも仲良くしていたの。」
リノは夫人の話に耳を傾ける。
「それが縁でエレナは、アシュフォード家で働くことになったの。あなたが小さい頃はここでよくお茶していたのよ。記憶にないかしら。」
トランヴェール夫人はリノの顔を覗き込む。
「申し訳ありません。母が亡くなる前の記憶が⋯。覚えてるのは、母が亡くなる瞬間ハンナと母に愛されていた記憶しかなくて。気付いたときには本家に引き取られてそこからの記憶のみです。」
リノは伏し目がちに伝えた。
「ハンナの話通りね。だから昔と印象も違うのね。」
トランヴェール夫人はふぅっと一息ついた。
「昔の私はどんな子供でした?」
リノは熱っぽい声で聞く。
額には汗が滲んでいる。
「妙に大人びてて生意気。負けず嫌いで頭が切れて意地悪。だけど明るくて真っ直ぐな優しい子だったわよ。」
トランヴェール夫人はリノを見つめる。
「あなた体調悪いでしょ? 手短に済ませるわ。うちの養子にならない? 本家での扱いは知っているつもりよ。ハンナも。」
「なんのことでしょう?」
リノは息を飲む。
抑揚のない声で話した。
トランヴェール夫人はため息をつく。
「まぁいいわ。考えておいて。カスタードタルトと冷めないうちにハーブティー飲んで。体調悪いなら無理しなくてもいいわ」。
トランヴェール夫人に促される。
リノはハーブティーで喉を潤した。
フォークを持つ手が、わずかに震える。
視界の端が少しぼやける。
ーおかしい。
息が、うまく吸えない。
それでも手が止まらない。
カスタードタルトを口に入れた。
ー懐かしい⋯。何だろう。この卵の甘みを知っている。
「昔、あなたもよく食べていたのよ。よく”これより美味しいお菓子作れる”と言ってたわ。」
トランヴェール夫人は懐かしそうに話す。
ー頭の中に自分の知らない光景が浮かぶ。
白い服を着て花に囲まれて寝ている女性。
知ってる。
⋯誰?
急に深い悲しみが押し寄せる。
リノの体が徐々に傾いた。
ーあれ⋯。体が言うこときかない⋯。
床が視界に入る。
遠くで夫人の声が聞こえる。
そこで世界が途切れた。
「リノ大丈夫??ハンナ!リノが倒れた。」
トランヴェール夫人の緊迫した声が室内に響き渡った。




