表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゼアミ  作者: がくぞう
45/52

45 秘すれば花

 品子の引っ越しは無事に終わった。

 品子はとりあえず匠の事務所の俺の部屋で暮らすことになった。

 クリスマスイブの夜には、事務局のスズさんから電話でクリスマスプレゼントがあった。ストロングジャパンプロレスの向かいの駄菓子屋だった物件の売買契約が正式に決まったそうだ。

 来春には改築工事に入りたいので、プロレス風姿花伝とプロレス資料館の設計をどんどん進めましょうとハッパをかけられた。何か妙に急いでいるのが気になったが、スズさんの指揮のもとでいいものを作りたかった。

 この頃には、陰陽の面の訓練治療のおかげで俺の身体はすっかりよくなっていた。

 年が明けて早々には、上野桜木の寛徳寺で親父の三回忌の法要を行なった。参列者は身内だけだった。もちろん、俺と品子と結子さんと、そして小太郎の四人だ。すべて結子さんが手配してくれた。

 親父とおふくろの墓の前で寛徳寺の坊さんにお経を唱えてもらった後、寺の座敷で、馬鹿な親父のエピソードを肴にみんなで飲み食いした。めちゃくちゃ楽しかった。上座に飾ってあった小太郎手作りの銀のフレームの家族写真がひときわ輝いて見えた。

 二十五年以上もバラバラになっていた家族を、やっとひとつにすることができて、俺は本当に満足だった。征三、民子、結子、新吾、品子、小太郎――それぞれが大切な家族であり、それぞれがプロレスラーとしての原点でもあった。

 親父の最後の手紙にあった「秘すれば花」という観阿弥の言葉が身にしみた。

 帰り際、俺は親父とおふくろの眠る墓石に感謝の気持ちを込めて、ヘッドロックをかましてやった。品子はスリーパーホールド、小太郎はコブラツイストだ。とどめは、結子さんのくちづけだった。これで親父はノックアウトだ。

 結子さんは民子の分も含めて墓石に二度キスをすると、続いて小太郎、品子、最後は俺の頬にもキスをしてくれた。その意外にも、すこぶるやわらかくて悩殺的なくちびるは、俺のヘッドロックよりも、品子のスリーパーホールドよりも、小太郎のコブラツイストよりも、強烈な必殺技だった。

 親父が初対面で結子さんとできちゃったのが、なんとなくわかるような気がした。

 おふくろ、許してくれよな。


 寛徳寺での法要の翌日、匠の事務所に川野瀬先生と観阿さんが訪ねてきた。

 陰の(おもて)の般若を陽の面の若女(わかおんな)とセットにして、観阿家で保存していきたいから、般若の面を譲ってくれというお願いだった。

 俺も品子も、もちろん大賛成でしかない。

 使い方によっては、人生を大きく狂わせてしまう恐ろしい面だ。おふくろのように般若の面に命を吸い取られてしまうことだってあり得る。品子にしろ、俺にしろ、般若の面のために身体の自由を奪われてさんざん苦しめられてきた。この先、陰陽の面の効果を悪用する奴らも出てくるかもしれない。

 それなら、正しい使い道を伝統の力で守っていける場所で保管していくのが一番だ。観阿さんのところなら間違いない。元々、陽の面の若女は代々観阿家で大切に保存されてきたものだ。そこに、陰の面の般若が里帰りすることになった。元の鞘に収まるってことだ。

 観阿家で保存するにあたって、観阿弥・世阿弥親子の由緒書きのように、後世の人たちへの正しい導きになるような識語(しきご)ってやらを、川野瀬先生が新たに書いてくれるそうだ。俺の失敗談も戒めとして書くそうだ。いつぞやの時代に、若女の陽の面だけをつけ続けた馬鹿なプロレスラーが大怪我をした、なんてことが何百年後かの人たちに伝わっちまうのかと思うと、恥ずかしいやら誇らしいやらだ。

 事務所を出るときに、観阿さんが自分に言い聞かせるように長い決意を漏らしてくれた。

「わたくしは一生、陰陽の面を使いません。なるほど、確かに陰陽の面をかけて舞った『安達原(あだちがはら)』は卓越したできだったのかもしれません。わたくしもこれまでにないような陶酔感で舞台を務めることができました。でも、やはり間違いです。観阿弥・世阿弥親子の時代の能楽、いや、その当時は申楽(さるがく)と申しましたが。当時、申楽の発展のためには、何よりも時の権力者に認められなければなりませんでした。ライバルも多かったことでしょう。観阿弥も世阿弥もそのことに苦心惨憺して、常に最高の舞いを披露し続けなければならなかったと推察いたします。権力者のわがままな要求に応えるためには、時に応じて陰陽の面の力が必要だったのです。舞台で失敗したら斬首か切腹ものだったでしょうからね。しかし、今は当時とは違います。観阿弥・世阿弥から連綿と続いてきた先人たちのたゆまぬご努力のおかげで、能楽は日本の伝統芸能としての確固たる地位を築き上げました。まさに結晶芸術となってきたわけです。わたくしたち現代の能楽師は幸せなことに、その基盤の上で舞台に立たせていただいているのです。舞いの向こう側に能楽師の鍛錬や精進が見えるからこそ、はじめてお客様に感動していただけるのです。表現こそ違いますが、プロレスも同じですよね。十分にトレーニングを積んだ身体を張って一生懸命に闘う姿がファンの胸を打つんです。陰陽の面をかけることは、まさにそういったお客様の真の感動にそむくことです。小太郎さんの陰陽の面でのゼアミを観た時は、その見事に完成されたファイトに胸を熱くしました。しかし、時間が経つにつれて、どこか違うなと感じるようになってきたんです。それは、陰陽の面に支配された、まやかしの姿だからです。まず陽の面の若女が、観る者の気を吸い取って、その心を惹きつけます、その後に陰の面の般若が、集めた気を吐き出して、大きなまやかしの空間を作るのです。自分が陰陽の面を使ってみて、初めてそれを体感しました。陰陽の面の真実がはっきりとわかりました。そういう意味からも、わたくしは、お客様に堂々と胸を張れる能楽師として、今後、この陰陽の面をかけるわけにはいかないのです。陰陽の面は観阿弥の言う通りに、まさしく『秘すれば花』なのです」

 川野瀬先生が、励ますように観阿さんの背中を叩いていた。

「どうやら『陰陽の面』という名称はいけませんね。後の人たちの戒めのためには『陰陽まやかしの面』に変えたほうが良いかもしれません。今度の識語に、そのことも、ぜひ記しておきましょう」

 俺は高ぶる気持ちで手を振って、二人を乗せたタクシーを見送った。

 新春の乾いた風が、ほてりきった俺の頬を冷たくかすめて、なんだか最高に心地よかった。


 PWMS・匠の所属レスラーは新年から引く手あまただった。

 血まみれになりながらもゼアミとのPWMS・匠シングル王座初防衛戦を乗り切ったガチ菅原さんは、二度目の防衛戦でいきなり、プロレスリング・ナビの社長エルボー|光沢(みつさわ)さんと遭遇した。序盤はねちっこいグランドの攻防で玄人好みの展開になったが、光沢さんの執拗なエルボー攻撃に激怒したガチさんがコーナーで頭突きを連発。エルボーと頭突きの応酬で収拾がつかなくなり、ノーコンテストとなった。

 天孫(てんそん)さんはオリエンタル・クマドリとしてビッグジャパンプロレスの新春シリーズに出場した。ジーニアス武闘(ぶとう)ことオリエンタル・ケイジとのオリエンタル親子タッグでシリーズを通して大暴れしてくれた。

 ニューヨークのWPFで、人間山脈の大巨人ビッグ・マウンテンと抗争を繰り広げていたキラー・モンゴリアンは、PWMS・匠のベルトに照準を合わせて帰国し、匠のレスラーとして様々な団体に上がっていた。「ギャー」というかん高い奇声とともに相手の鎖骨に両手を叩き込むモンゴリアンチョップで大人気となった。リングに上がるたびにガチさんへの挑発をアピールし続けて、匠のベルトの知名度をぐーんと上げてくれた。

 バク周南さんとミスター源龍(げんりゅう)さんのタッグチームは、その強靭な肉体にものを言わせて、各団体の生きのいい若手の挑戦を真正面から受け止めていた。胸板を真っ赤に腫らしながら「いくら身体があっても足りんよ」という二人の活舌の悪いボヤキが連日、スポーツ誌をにぎわしていた。

 クラッシュ刀田(かたなだ)さんは、相変わらずキックを主体にした格闘プロレスを展開していた。少しお腹がふっくらとして往年のスピードこそなくなっていたが、日本刀のような切っ先鋭い打撃技は対戦相手を震え上がらせていた。

 鬼山(きやま)(さとし)さんは、団体の依頼があればいつでもチーターマスクとなって宙を舞った。チータハンター大林さんとのきびきびとしたライバル対決は、まだ十分に銭が取れる試合内容だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ