41 陰陽の面のゼアミ
十一月二十三日(水)――。
PWMS・匠の第五回大会が大阪府立体育センターで開催された。PWMS・匠にとって初の関西進出だった。
対戦カードは十月下旬にすでにマスコミに発表されていたが、第二試合の般若ヒンコの名前だけは発表当時は「X」としてふせられていた。ヒンコの体調次第では別の選手に替わる可能性があったからだ。
第一試合 チーターマスク×チータハンター大林(四九)
第二試合 フラッシュ・ギャルズ(雷神あすか・風神ちぐさ)×ユンボ杉山(四〇)・般若ヒンコ(三六)
第三試合 ペリー・ヴァンク(六一)×スタンガン・ラリアット(五六)
第四試合 辰波馨(五一)×バク周南(五三)
第五試合 ガチ菅原(五六)×ゼアミ
第一試合から第四試合までは匠の大会らしく、各レスラーの現役バリバリの頃の名勝負・遺恨試合を再現する懐かしい対戦だった。その中でも、第二試合に出場するフラッシュ・ギャルズはおよそ二十年ぶりの再結成ということで、カード発表と同時に当時の熱狂的なファンからの問い合わせが殺到していた。
その日――俺は辰波さんの粋な計らいで、大阪府立体育センターの二階特別室から観戦していた。二日前に松葉杖をついて退院したばかりで、昨日、小太郎の車で品子と、そして名古屋で同乗した結子さんと一緒に大阪入りしていた。
品子は十日前に初めて陰陽の面を試してから、連日、小石川能楽堂の稽古場に通い続けていたようだ。陽の面の若女をつけてトレーニングをした後、今度は陰の面の般若につけかえて汗を流してきたという。五日目の夜には、これまで聞いたこともないような明るい声で品子から電話があった。
「やったぜ、兄貴! 今日、能楽堂から帰った後、ストロングジャパンの道場で小太郎とスパーリングをやったんだけどよ。できたんだよ。身体がぶれずに、昔のボディスラムがよ。それから小太郎の奴をよ、どんぴしゃのブレーンバスターで放り投げたんだぜ! すげえだろう。あたいはもう大丈夫だよ。五日後のフラッシュ・ギャルズ戦、ユンボさんと組んでとことん暴れてやっからな。辰波さんにも今さっき電話を入れたら、これからは遠慮なくこき使えるって喜んでたぜ」
陰陽の面の効果は絶大だったようだ。それにしても、焦って陽の面ばかりをつけて暴走してしまった馬鹿な自分がつくづく情けなかった。
品子、がんばれよと、苦笑いしながら妹の健闘を祈って携帯電話を切った。
特別室の時計が午後二時を回った。会場に何色もの光の束が乱舞して開戦の時がきた。主催者の辰波さんとマッチメーカーの天孫さんがリング上で挨拶を始めた。大歓声が起こって二人がリングを降りると、いよいよ試合開始となる。ケロリンが選手入場を告げた。
第一試合のチーターマスク対チータハンター大林の試合は、いきなりチーターマスクのローリングソバットと大林さんのトラースキックが交差した派手な展開から始まった。一進一退の攻防の末、フィッシャーマンズスープレックスを自ら外した大林さんがチーターマスクの覆面を剥ぎにかかり、七分二十秒、大林さんの反則負けとなった。
第二試合のフラッシュ・ギャルズ対ユンボ杉山・般若ヒンコの女子プロ因縁のタッグ対決は、両チームとも序盤から感情むき出しの大荒れの展開となった。フラッシュ・ギャルズのあすかとちぐさのコンビネーションは長いブランクにもかかわらず抜群だったが、最後は、はげかけた隈取りをもろともせずにユンボとヒンコが反則の限りを尽くして、フラッシュ・ギャルズを血祭りにあげた。十八分十三秒、ユンボ・ヒンコ組の反則負けだ。試合後、ヒンコの完全復帰を祝福するかのように四人が抱き合って大泣きする姿に観客ももらい泣きしていた。
――品子、やったな。ユンボさん、ありがとう。
俺も誰もいない特別室で思いっきり号泣した。
第三試合のペリー・ヴァンクとスタンガン・ラリアットは、お互いの意地と意地のぶつかり合いで収拾がつかなくなった。スタンガンがテキサスの化石になれと叫びながらペリーをブルロープで引きずり回した。最後はリング下でスタンガンのラリアットがレフリーのピューマ鳥取に誤爆して無効試合となった。
第四試合の辰波馨とバク周南は、まさしく往年の名勝負数え歌の再現となった。サソリ固めと逆サソリの攻防に会場が沸いた。周南さんの全盛期を思わせるパワーに押されっぱなしの辰波さんだったが、十分八秒、周南さんのバク・ラリアットをかわした辰波さんが絶妙の逆さ抑え込みでスリーカウントを奪い取った。
そして、ゼアミの第五試合となった。
羽織・袴姿の後見による謡、笛、鼓の音が静かに流れ始めた。PWMS・匠の初代シングルチャンピオン・ガチ菅原に挑戦すべく、ゼアミは花道に現れた。
若女の面と唐織の豪華ないでたちは、全米マットを震撼させた頃のゼアミとなんら変わらなかった。静かな中にも激しい情念を感じさせる所作は絶品だった。
俺はそんなゼアミの入場シーンに息をのんだ。何も言うことはなかった。もしかすると、俺なんかよりもよっぽど世阿弥らしいゼアミのような気がした。さすが『ゼアミノート』を作った張本人だ。贋作シリーズは伊達じゃなかったってことか。能楽師・観阿喜之さんの能舞台の特訓の成果も十分出たようだ。観阿さんは小太郎の物まねの筋の良さに驚いて、ぜひとも小太郎を能の世界にと誘ってくれたが、プロレス界の若い宝をみすみす渡せるものか。
リング上には、丸刈りのガチ菅原さんがベルトを手にして厳しい表情で仁王立ちしていた。決してベルトを腰に巻かなかった。
かつて、クラッシュ刀田さんとともに関節技と打撃技を主体にしたプロレス団体・KWFインターを立ち上げて、ショーマンシップなプロレスに一石を投じたガチさんだった。ゼアミのようなショーマンシップのプロレスをとことん嫌っているに違いない。
ゼアミが物音ひとつ立てずにリングに上がった。そして、ガチさんの方を向いたまま微動だにせずにいた。若女の面がライトに反射して、とろっと見とれるほどに白く輝いていた。この若女こそ、観阿家に伝わってきた伝説の陽の面だった。
小太郎、こんなチャンスはめったにないぞ。とことん闘ってこい! 俺は二階特別室で松葉杖を力いっぱい握りしめた。
この会場のどこかには、結子さんも川野瀬先生も観阿さんも観に来ているだろう。そして、親父の征三とおふくろの民子も天国で小太郎のファイトを見つめていることだろう。
カーン!
運命のゴングが鳴った。俺の頭の中は真っ白になった。いつの間にか小太郎と一緒に闘っている自分がいた。
試合開始直後に後見のサポートで、ゼアミはきらびやかな唐織の衣装をはがされ、白装束の上衣と白袴姿の戦闘モードに変身した。
ガチさんは意外にも、ゼアミのセオリー通りの鉄扇攻撃・こめかみ扇を受けてくれた。コーナーでダウンするガチさん。その間に再び後見の補助で、ゼアミの面は陽の面の若女から陰の面の般若に変貌した。
どよめく会場に、正気を取り戻したガチさんが反撃に出た。ゼアミの白装束の腕を取って得意の脇固めだ。ゼアミはすぐにロープにエスケープする。ガチさんは攻撃の手を緩めなかった。ゼアミの足を取るとアキレス腱固め。強烈に極まった。しかし、ゼアミはギブアップしない。その後もガチさんの関節技のオンパレードに苦しめられたが、あの不思議な力を持った陰陽の面をつけたゼアミにとって、ガチさんの攻撃は観客を楽しませるための演出にしか過ぎなかったようだ。
ゼアミはガチさんの攻撃をことごとく受けきると、ゼアミファンのうっ憤を晴らすべく、一気に悪の反撃を開始した。後見から、凶器の鉄扇を再び受け取ると、鮮やかに扇を開いて、ガチさんの横っ面に二発目のこめかみ扇をさく裂させた。たまらずにリング中央で大の字にダウンするガチさん。さらに素早く扇を閉じると、それを鋭利な刃物のようにガチさんの額にザクザクと突き刺した。
ガチさんの額からどくどくと鮮血が噴き出して白いマットに染み出していく。場内が騒然となる。
これぞゼアミの真骨頂だ。ゼアミはガチさんの真っ赤な額に容赦なく鉄扇を振り下ろす。レフリーのピューマ鳥取さんが割って入り、再三にわたってゼアミを制止するが、鉄扇攻撃はますますエスカレートするばかりだった。
たまらずに鳥取さんがゴングを要請する。
カン、カン、カン、カーン! けたたましくゴングが鳴った。
「十一分四十六秒、十一分四十六秒、ゼアミの反則負け。ガチ菅原のタイトル防衛であります」
ゼアミは、ガチさんの返り血を浴びて芸術的な模様に赤く染め抜かれた白装束を誇らしげに観客にアピールした。リング下の後見からPWMS・匠のベルトを受け取ると、リング中央でダウンしたままのガチさんの腹に放り投げた。
「おー!」会場が沸く。
リングサイドに並んでいた後見が謡と囃子を始めた。
ゼアミは観客に向かって艶やかな舞いを披露しながらリングの四方を一周すると、後見三人を従えて涼風のように軽やかなすり足で花道の奥に消えていった。大量の流血試合にも関わらず、そこにはさわやかな余韻が残っていた。
俺は感動した。ゼアミの中身が三刀屋新吾じゃなく小太郎だったなんてことは誰一人として気付いちゃいないだろう。
小太郎、本当に立派だったぞ。ありがとよ。
試合後はPWMS・匠恒例の打ち上げ会が会場近くの居酒屋を借り切って行われた。主催者の辰波さん、マッチメーカーの天孫さん、レフリーの鳥取さん、リングアナのケロリン、そして事務局のスズさんをはじめとする裏方スタッフが集まってワイワイやるのだ。
大会に出場したレスラーも、ガチさんを除いて全員が出席したそうだ。リング上では荒っぽいレスリングのスタンガン・ラリアットがとても紳士的なおじさんだったことが、品子にとっては印象的だったようだ。フラッシュ・ギャルズの雷神あすかと風神ちぐさは、ユンボさんにさんざん飲まされて、最後は品子に介抱されながらタクシーに押し込まれたそうだ。
退院したばかりで松葉杖頼りの俺は、みんなに面倒かけちゃいけないと思い、一人で宿泊先のホテルに戻っていた。情けなかった。
品子からの報告の電話を切った後、ワンカップを一気飲みした。




