39 若女の面の高揚感
川野瀬先生と観阿さんに見守られながら、俺はガチガチに緊張したまま、陰陽の面の片割れである若女の面を、とうとうつけてみた。
一分、二分、五分、十分と時間が過ぎた。
時間の経過とともに、徐々に全身に力がみなぎってくるような感覚だった。心がだんだんと研ぎ澄まされて、いろいろなものの本性が素直に見えてくるようだった。それはまるで、ストロング闘鬼の真っ赤な闘魂がメラメラとこの身体にのり移ってくるような、そんな高揚感でもあった。対戦相手の技をしっかり受けきって、いや吸収した上で、最後にキレのある必殺技を繰り出して観客を魅了してしまうストロング闘鬼のプロレス。あの誰にもまねのできないカリスマ性。まさか、闘鬼さんも、この若女の面を使っていたのか。いや、さすがにそれはないだろうが。
「今日は念のために、それぐらいにしておきましょう」
川野瀬先生が静かに微笑んだ。観阿さんが俺の顔から若女の面を取り外してくれた。
「日を改めて、近々また試しましょう。ああたのところの般若の面と二つ揃いで、今度は実際の能舞台で観阿さんにも試していただきましょう。もちろん、ああたにも妹さんにも陰陽の面をつけていただきますよ。本当に楽しみですね」
先生が黒ぶち眼鏡の前で、無邪気に何度も手を叩いて喜んでいる。
俺もワクワクした。今度は品子も連れてこよう。きっと先生のように手を叩いて大喜びするだろう。
小石川能楽堂を出た頃にはすっかり夜になっていた。でも、俺にとっては復活の希望に満ちた明るい星空だった。
俺は川野瀬先生のご好意で帰りのタクシーに同乗させてもらった。町屋土手の事務所まで送ってくれるという。
タクシーの中で先生は、
「陰陽の面のことはともかく、ああたにいただいたプロレス、本当に楽しかったです。お能とは違った、実に自由で発散された空間でした。伝統や文化にとらわれない誰もが自由に熱狂できる初めての場所でした。三刀屋さん、ありがとう」
黒ぶち眼鏡を曇らせながら、初めて俺の名前を呼んでくれた。
「ただひとつ、気になった試合がありました」
「えっ?」
俺は思わず先生の横顔を見た。
「第二試合の小太郎とかいう選手です。あれはいけませんね」
先生が腕組みをした。
「技の攻めがちぐはぐで、ほとんど相手とかみ合っていないと思いましたが、ああたはどうお考えですか?」
プロレス観戦初めてにして、贋作でないお粗末な小太郎のプロレスをそこまでお見通しとは恐れ入る限りだ。
「あ、いや、学者先生のおっしゃる通りです。小太郎はまだ自分自身のハッキリとしたプロレスができないんです。古今東西の名レスラーの物まねは素晴らしく得意なんですけど……」
「ほう。物まねが得意ですか――」
川野瀬先生は車窓に顔を向けると、納得の表情でうれしそうにうなずいていた。




