32 原因不明の病
骨の髄まで空虚な日々が続いた。
辰波さんだけには事実を打ち明けて、品子が通っている横浜の大きな病院に行った。
さんざん身体中を検査されたあげく、予想通りに、品子と同じ、原因不明と診断された。脳腫瘍、パーキンソン病、筋ジストロフィー、遺伝性のハンチントン病ほか、さまざまな病気の可能性があるということだが、どれもこれも、はっきりと当てはまらないと説明された。胸元に包丁を突きつけられた心境だ。これからどんなふうに症状が進んで行くかなんてまったくわからなかった。品子のように進行が遅いことを願うばかりだ。
とりあえず、匠の役員には俺の症状のことを伝えた。天孫さんは電話口で絶句したまま固まってしまった。事務局の鈴木さんは「これからも一緒に盛り上げてくださいね」と静かな口調で励ましてくれた。
それにしても俺のプロレス人生は一体どうなるんだ。せっかく素顔でデビューして思いっきり暴れてやろうとワクワクしていた矢先に、まったくなんてこっただ。
辰波さんは、たとえプロレスができなくなっても匠の代表として協力してほしいと言ってくれてはいるが、大馬鹿者の俺からプロレスを取ったら、いったい何が残るんだ。
品子のどん底の気持ちが初めてホントにわかったような気がした。
日に一度は品子から安否確認の携帯が鳴るようになった。格別に話すこともないから、俺が電話に出ると「……じゃあな」と言ってすぐに切ってしまうことがほとんどだった。それでもなんだか、俺の気持ちをわかってくれる人がいてくれることがうれしかった。それに比べて、妹はずっと一人ぼっちで悩んでいたのかと思うと、力になってやれなかったことが今さらながらに悔やまれてならない。ごめんな。
道場でのトレーニングは相変わらず続けた。続けなければ不安でしょうがなかった。小太郎とのスパーリングも欠かさなかった。体の動きは、あの東京武道館の控室以来まったく異常はなかった。本当に病気なのかと疑いたくなるほどだった。
町屋土手の事務所には、相変わらず匠所属レスラーの出場依頼や問い合わせの電話が鳴りやまなかった。
夜になると、相変わらず事務所の入り口の横に『風姿花伝 缶詰バー』の白い段ボールの看板を立てた。小太郎が真っ先にやってくる。顔なじみとなった練習生たちも愚痴をこぼしにちょくちょく飲みに来ていた。
それは、原因不明の症状が出る前となんら変わらない日常だった。
東京武道館のエルボー光沢対贋作・新吾戦から九日後の八月十五日――この日は、おふくろ民子の二十回目の命日だった。
俺は品子と一緒に朝早くに、親父とおふくろが眠る上野桜木の寛徳寺に墓参りに出かけた。墓前に、おふくろが好きだったサイダーを供えた。品子はワンカップで親父と乾杯してグビグビやっていた。
手を合わせた後、結子さんのことを思い出した。近いうちに小太郎もここに連れてこなければ……ふと横を見ると、品子が、あろうことか墓石の端っこでうんこ座りして二本目を開けていた。
「足の具合がよろしくなくってよ。ちょっと座らせてもらうよ。親父も母ちゃんも勘弁してくれよな」
怒る気にもなれなかった。きっと、親父もおふくろも天国で大笑いしていることだろう。腹の底から可笑しくなった。
午後には、PWMS・匠の事務所で企画会議に出席した。第五回大会の開催日と開催場所が決まった。勤労感謝の日の十一月二十三日、大阪府立体育センター。PWMS・匠にとって初の関西大会進出となる。出場選手と対戦カードは次の会議で決める予定だ。
会議が終わって、辰波さんが帰り際に言った。
「新吾、第五回大会のちょうど一か月前になるが十月二十四日、空けといてくれよ」
隣で天孫さんがこれまで見せたことのないような笑顔でうなずいていた。
「なんですか、それ」
「いいから、とにかく開けといてくれ。十月二十四日だぞ」
辰波さんは理由を言わずに念を押して天孫さんとともに事務所を出て行った。




