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第19話 樋口さんと夏祭り

 当日の朝になってしまった。嬉しさと不安で押しつぶされそうな感じ、時々胸が痛い。

 熱気のこもった部屋、ボクは真っ先に冷房のボタンを押した。

 カーテンを開けて、窓の外を見た。樋口家の住宅と庭が視界に入る。誰もいない。

 置時計は、午前八時半を示す。ボクはしばらくぼぉーっと、ベッドに腰掛けて天井を見上げた。

 震えるスマホ、着信音が部屋に響く。

 二階堂君からだ。

「もしもし」

『おはよう、トラ。今起きたばっか? 鼻声みたいだね』

 声だけだと、女子と勘違いしそう。

「うん……そんな感じ。どうしたの?」

 目を擦り、ボクは誰もいないのに笑みを浮かべた。

『あぁー昨日はごめん、いきなり樋口を連れ出してさ。俺ね、二人を応援してるんだ』

「う、うん、嬉しいよ。ありがとう」

『でもさ、すっきりしないまま応援っていうのも辛いから、ごめん、先に樋口に告った』

「え」

 変な声が出た。同時に心臓が抉れるような感じがした。

『そんで、玉砕したから……はいスッキリーってね。それだけ。朝から電話してごめん。なんか俺、面と向かって話すとホントのこと喋れないっぽいしさ。応援、してるよ』

 息切れしたみたいにボクは呼吸を速める。

「二階堂君、ボク、ちゃんと樋口さんに告白するから……」

 勇気を振り絞って告白したのかもしれない、無下にすることなんてできない気持ちで、喉を震わす。

『そうしてくれないと困るかなぁ。じゃ、俺は俺で日向と仲良く夏祭りを堪能するよ』

 別の疑問も浮かんだ。

「う、うん。あの、日向さんのこと、どうして誘おうと思ったの?」

『なんとなく寂しそうだったから、俺も似たようなところあるしね。それだけだよ、まぁ気にしないで。あ、そうそう、良き友達としてこれからもよろしくね』

 細目のサモエドスマイルが頭に思い浮かぶ。

「……ありがとう二階堂君」

 胸が締め付けるような痛みと温かい気持ちが溢れる。ボクは改めて二階堂君という少し変わってるけど、背中をいつも押してくれる友人と会えてよかったと思う。

 まだ出会って数か月、そんなに経ってないけど、長く一緒にいるような感覚。

 二階堂君から通話は切れ、ボクはゆっくりとスマホを下ろす。

 ボクは自分の頬を抓って叩いた。ボクなりに気合を入れて、シャワーを浴びに行くことにした。

 汗を流して、服も着替えた、鏡に映る目の周囲は情けないほど腫れている。

「ボクは……樋口さんに告白する。できる」

 そう強めに呟いてみた……――。


 夕方になって、ボクは外で樋口家の庭を見た。

 まだまだ明るい茜空の中、樋口さんはやわらかい人工芝のベンチに腰かけていた。

 切りっぱなし黒髪ボブヘアでサイドを耳にかけて、漆黒の瞳はなんでも吸い込んでしまう。無表情だけど、決して無愛想じゃない、思わず綺麗だとストレートに漏れそうになる雰囲気。

 プラス、樋口さんは白い浴衣を着ていた。紺と水色で描かれた紫陽花が涼しく、落ち着いた印象。黄色い帯にも薄っすらと紫陽花の柄が描かれている。白い素足に下駄。

 大人っぽさと可愛らしさが混在している。ボクは声を忘れて小さな門を開けて、庭に踏み込んだ。

 気付いた樋口さんはゆっくりと立ち上がり、ボクに無表情でお辞儀。つられてボクもお辞儀する。

「こんばんは、トラさん」

「こ、こ、こんば、んわ……樋口さん」

 ぎこちない挨拶。樋口さんは漆黒の瞳にボクを映した。

「行きましょうか」

「は、はいぃ」

 情けない声が出てしまう。樋口さんにリードされている気がして、ボクは控えめにも強めに首を振る。

「ゆ、浴衣、買ったんだね、えと、似合ってる、よ」

 単純なことを言っているのに、どうしてか首まで熱くなった。

「……そうですか」

 樋口さんは前を向いて歩き出す。ボクは隣に並んで、樋口さんの歩幅に合わせて歩く。

 家を出て、夏祭りがある町の商店街に向かう。

 手、繋ぐのはさすがにまだ早いよね、だって告白してないし、いきなり掴んでドン引きされたら最悪だし。

 徐々に人が多くなってきて、同じ学校の人も見かける。

 同時に、樋口さんという存在を認識するように集まる視線、しかも大体男の人。

 思わず零れる、綺麗、という声がボクから余裕を引きはがそうとしてくる。

 ベビーカステラから始まる屋台の列。

 隣を横目で覗くと、樋口さんは屋台に興味を示さず真っ直ぐ前を見て歩き続けている。

 身体が強張って、何を喋ればいいのか分からなくなった。

「ひ、樋口さん、なにか、食べたいものってある?」

 とりあえずボクは無難なことを訊いてみる。

「いえ、お腹はまだ空いてないです。お父さんが屋台をしているそうなので、まずはそこへ行きましょう」

「え? お父さん、屋台を出してるの?」

 無表情でゴルフスイングをしている樋口さんのお父さんが浮かび上がる。

「はい」

 ちゃんと真正面から会うの初めてで、どうしたらいいんだろう。変に緊張してきた。

 しばらく真っ直ぐに進んでいくと、さらに大勢の人で賑わい、油断すれば離れてしまいそう。

「樋口さん、だいじょう」

 大丈夫、と声をかけようとした。シャツに少し重みを感じて、ボクは目線を落とす。

 シャツの裾にしがみつく細い指先。その指先から手首、浴衣の袖、そして無表情の樋口さんが少しだけ魅せた下がる眉。

 もう、なんか叫んじゃいそう。

「すみません、はぐれたら、怖いので」

 裾なんか掴んでもあっけなく離れそうで、ボクは混乱する思考の中、手を震わした。

 シャツの裾を掴む樋口さんの指先を解き、今度はボクが樋口さんの手を掴んだ。

 あっつい、ボクなのか、樋口さんなのか、分からないぐらい手が特に熱い。

 樋口さんはそっと手を握り返してくれた。

「これで……はぐれませんね」

 硬い表情筋がほんの僅かだけど和らいで、口元がいつもより微かに上向きになった気がする。

 ボクだけがそう見えたのかもしれない。

「うん……」

 なにもかも樋口さんに奪われそう。

 樋口さんの歩幅に合わせて、繋がるお互いの手が解けないように歩いた。

「やき……ば、です」

 鉄板の焼ける音と香ばしさに食欲をそそられ、麺を焼いているジューっとした音に負ける、誰かの声に、ボクと樋口さんは立ち止まる。

 樋口さんは屋台に顔を向けて、

「お父さんです」

 お父さんを発見。

 合図のように、手を離してしまう。

 鉄板を前に、ヘラを持って焼きそばを調理している、細身でモデル体型の男性が静かにボクと樋口さんを、これまた硬い表情筋で、無の瞳に映していた。

「こんばんは」

 とにかく低くて渋い声だ。眼鏡をかけて、タオルを首にかけている。何故か頭にサングラスを乗せている。

「こ、こんばんは、えと」

「娘がお世話になっています」

 お辞儀されて、ボクは慌ててお辞儀。

「い、いえ、ボクの方こそ……あ、そのぉ」

 樋口さんのお父さんはただ無言で、ボクと樋口さんを見つめている。

「それではお父さん、花火を見たら家に帰ります」

 英語圏では肯定的なサムズアップを、お父さんに向けた樋口さん。

 ただ静かにそっくり、返した。何事もなかったかのように調理を再開する。

 ど、どういう意味?

 樋口さんはまた歩き出す。戸惑う暇もなく、ボクは並んで歩いた。

「会社ので出してるの?」

「はい、社内ゴルフコンペで最下位でしたので、任命されたそうです」

「そ、そうなんだ」

 早朝に気合入れてスイングしてたのを思い出す。

「花火、見たら帰りましょう。遅いと心配しますので」

「うん」

 どうしよう、どのタイミングで告白したらいいんだろう。花火を見た後? それとも帰り?

 できるって強く言ったくせに、臆病だ。

 屋台が並ぶ商店街を抜けると、神社があって、手前に石段がある。

「花火、ここから見えるそうです。少し遠くなりますが」

 浴衣がはだけないよう石段にゆっくり腰掛けた樋口さん。ボクも隣に腰掛けた。

「ぜんぜん、見えたら大丈夫だよ」

 正直花火どころじゃない。いつの間にか夕方の空は薄闇に変わっていた。

 手、繋いじゃったなぁ。離れた手が涼しくなる。

「私は、ここ最近気付いたことがあります」

 突然、樋口さんは語りだす。ボクは目を丸くして、樋口さんに顔を向けた。

「恐らく、奥底に潜んでいたことでしょう。とても残酷です。二階堂さんに一昨日告白されました」

「あ……」

 ボクは俯いてしまう。

「不思議なほどに鈍く、好意すら気付けませんでした。トラさんより前から一緒にいたのに、恐ろしく悲しくなりました」

 その割にはサングラスかけて、ウクレレ弾いてたけど、気を紛らわす為だったのかな。

「そして、今まで隠れていた感情に、はっきり気付きました」

「樋口さん……」

「どうやら私は、トラさんのことが」

「樋口さん!」

 ボクは強めに、制止するように名前を呼んだ。

 ヤバい、ヤバい、今、樋口さんなんて言おうとしてた? え、あれ、おかしい。ボクが言うはずの台詞じゃないですか?

 なんて堂々と、淡々と。

「あの、樋口さん」

「はい」

「そのぉ、えっと……ボク、樋口さんのこと、す、すー、好きぃだったりして」

 真面目に言いたいのに、変な感じになっちゃった。

 樋口さんの顔が見れない、ただ真下を見て頭を抱えた。

 遠くから聴こえてくる破裂音。石段や辺りを照らす緑や赤の光が視界の隅に映る。

 沈黙が続く。ボクは恐る恐る顔を上げて、隣を覗いた。

 顔は真っ赤で、口角を下げた樋口さんは漆黒の瞳を大きく揺らしている。

「なら…………私と同じですね」

 お互い湯気でも立っているような気分。樋口さんは相変わらず無表情だけど、赤い頬と少し動揺している薄桃色の唇がよく目立つ。

 そしてボクは、脱力気味に微笑んだ。

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