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第18話 樋口さんと二階堂君

 浴衣、買えたのかな。樋口さんも浴衣を着るのかな。そんなことばかり気になってボクは勉強に身が入らない。

 明後日だ。八月のカレンダーに力強く記した赤インク。

 手とか繋げたら最高だろうな。その前に告白、したい。

 願望でしかないボクの気持ち、振られたらどうしよう……。

 机に向かっているだけじゃ落ち着かない、ボクは部屋から出た。

「あ」

「あ」

 廊下に、目の前に母さんがいた。久し振りにスーツ以外のラフな格好をした母さんがいる。ラフといっても細見のパンツスタイルでクールな印象を与える。

 緊張を増長させるような冷めた、睨むような目つき。父さんいわく生まれつき、とのこと。

「えーと、出かけるの?」

「い、いや、ちょっとジュースでも飲もうかなって」

 その後生まれる沈黙、どうしてか気まずい。

 そういえばあのプラネタリウム、父さんは一緒に見れたのかな。

「あ、あの、母さんは星とか、興味ない?」

「何故?」

 母さんの口癖を聞くと、ボクの体はさらに強張る。

「え、あ、あの、父さんが、この前小さいプラネタリウムを組み立てたんだ。母さんと、一緒に見るって……」

 母さんは目を少し丸くした。

「何も、言ってなかったわ。そう」

「う、うん」

 臆病を背負っていると終わりだとか言ってた父さんも臆病だ。悪い意味じゃない、少し嬉しい気分。

 着地の悪い終わり方をして、母さんは二階の奥にある部屋へ行ってしまう。

 いつか、緊張なく母さんと話せるといいな。

 キッチンに入る前から、騒がしい声が聞こえてきた。

「だぁからぁー牛乳いれすぎなんだってば!」

 姉さんの呆れるように怒った口調。

「少なすぎるのもダメだろ! お前の粉まみれじゃねぇか!」

 父さんも負け時と強めに言う。

 一体何をしているのか分からないけど、入らない方がいいか。仕方ない、コンビニに行って何かジュースを買って来よう。

 車道と歩道の境目がない道に出て、まず樋口家の庭を見た。

「よ、トラ」

 庭に誰もいない、代わりに声が聞こえた。女子の声。ボクは道に再び目を向ける。

 常に細目でサモエドスマイルの二階堂君がいた。

「あれ、二階堂君久し振り」

「久し振り。樋口を夏祭りに誘えた次は、告白だね」

「うっぅん!」

 返事をするつもりが変に裏返っちゃった。

「順調よく進んでるところ悪いんだけど」

 玄関をそっと開けて、出てきたのは無表情の樋口さん。その間も二階堂君は続ける。

 切りっぱなし黒髪ボブヘアのサイドを耳にかけて、なんでも吸い込む漆黒の瞳がボクを映す。

 お辞儀をして、樋口さんは道へ。

「ちょっと樋口を借りるね」

 二階堂君の手が動いた。樋口さんは硬い表情筋のまま、手に目線を動かす。

「二階堂さん?」

 大きな手が、樋口さんの手を覆うように握る。

 その映像に、ボクの胸はじんじん、と複雑に痛めつけられてしまう。

 なにを考えているのか分からない、二階堂君は細目を開けて、樋口さんを連れてどこかへ早足で行ってしまう。

 ほんの一瞬のこと、ボクは樋口さんの無表情がうつったように、遠くの道が揺らぐ世界を眺めながら歩く。

 コンビニ、コンビニ、ジュースを買って落ち着こう……。

 涼しい店内に入る。

「あ……虎君、こんにちは」

 紙パックのジュースとパンを持っている、日向さんがいた。

 ボクは首を上にして、柔らかい笑顔を視界に映す。

「こんにちは」

 炭酸飲料とタマゴサンドイッチを購入して、飲食スペースに二人で座る。長い茶髪を後ろに二つ結びしている日向さんは、座ると同じ背丈になった。

「虎君、大丈夫? 顔色があまりよくないような」

「え、そ、そうかな……うん、全然大丈夫。浴衣、買ったの?」

 ボクは頬を何回か抓って、口角を上げる。

「樋口さんも一緒に。夏祭りなんて久し振りだから、楽しみかも」

 日向さんはガラスの外を眺めた。眉を下げて、空っぽのような瞳。

「久し振りなの?」

「うん、お母さんと小さい時に行って以来……虎君は、樋口さんと行くんだよね? 樋口さん、すごく楽しみにしてる」

 楽しそうにしている樋口さんか、無表情でサムズアップしている姿しか思い浮かばない。楽しみにしてくれている、それだけでボクも楽しみだし、嬉しい。

 ふと、目にやきついた二人の手が嫌がらせのように差し込んできて、心臓をまた痛めつけてくる。

「そ、そっか」

 ボクは特に会話が思いつかず、サンドイッチに噛みついた。

 コンビニの自動ドアが開く度に聴こえる軽やかなメロディと一緒に入ってきた、二階堂君。

「あぁーこんなところにいた」

 いつものサモエドスマイルで、ボクと日向さんを見下ろす。

「あ、二階堂君。こんにちは」

「ども。トラ、樋口が呼んでたよ、庭で待ってるみたい。早く行かないと熱中症で倒れるかもね」

「え、えっ……」

 ボクは慌てて食べかけのサンドイッチと炭酸を持って、コンビニから駆け出す。

 直線の道、ボクは照り付ける陽射しに汗を垂らしながら走る。

 自分の家を通り越して、すぐ隣の樋口家の庭へ、小さな門を開けて入った。

「ひ、樋口さん!」

 急いできたのだけど、樋口さんは日陰のベンチで腰掛けて、サングラスをかけて、ウクレレを抱えて、コードも押さえずに右手で渇いた音を鳴らしていた。ハワイ?

「あれ?!」

 樋口さんはサングラスを外して、ウクレレを立てかける。

「どうしました?」

「え、あ、二階堂君から、呼んでるって聞いたんだけど」

 首を傾げる樋口さん。また二階堂君に遊ばれた、毎回引っ掛かるボク自身に呆れてしまう。

 ちょっとの間、二階堂君とどこに行ってたのか、そんな疑問が浮かぶけど、訊いていいのかな。

 ベンチから立ち上がった樋口さんは、ボクを漆黒の瞳に映して吸い込む勢いで見つめてくる。

「ど、どうしたの?」

「夏祭り……楽しみですね」

「う、うん、凄く楽しみ」

 樋口さんは何を思ったのか、自らの頬をつまんで無理やり口角を上向きにした。無表情のまま。

「ちょっ樋口さん」

 不自然すぎて、驚きと笑いがこみ上げてしまう。堪えようとするボクに、樋口さんは首を傾げる。

「変でしょうか?」

 二階堂君に何か変なことでも吹き込まれたのかもしれない、笑おうとしてくれる。

「あはは、変かも……樋口さん」

「そうですか」

 頬から手を離し、樋口さんは俯く。

「無理に笑顔にならなくていいんだよ? そのままの樋口さんが一番だから」

 少しだけ和らいだ心臓の痛み。ボクは自然と安堵の笑みを浮かべた。樋口さんはどうしてかサングラスを再びかける。

「どうしたの?」

「いえ…………眩しかったので」

 眩しい? 日陰なのに。

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