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第17話 樋口さんと日向さんの相談ごと

 八月に入った昼過ぎ、熊みたいな体格をした父さんはキッチンで腕を組み、占拠している。特にオーブンを。

 テーブルは牛乳の雫やホットケーキミックスの粉が散らばり、調理器具はそのままシンクに置きっぱなし。水かお湯にすらつけてない。

 ガチャガチャと音がするから、何ごとかと思えばお菓子作り?

 母さんが出張でいない時は、父さんが決めた交代制でご飯を作ることになっている。

 父さんが作る時は後片付けがとにかく、すごいことになる。それで結局ボクが洗うんだ。今回もそうなるかも。

「なに作ってるの?」

 声をかけると、父さんはオレンジ味のアイスキャンディーを銜えて、へらへらとだらしない笑顔を浮かべている。

「実はなぁ、母さんが今日の夕方には帰ってくるって話! なにやら仕事が思いのほか早く終わったらしいぞ」

 嬉しそう。ボクは体中に力が入ってしまう。

「そうなんだ……良かった。それで、デザートを作ってるの?」

「おぅ、甘い物好きだし、パイナップルケーキだ」

 またシャレたものを作る。テーブルにもう一度目を向けると、微糖の缶コーヒーが置いてあった。

「あれ、母さんがいつも飲んでるのはブラックだよ」

「えっ!? 嘘だろ、そんなの聞いてねぇ!」

 別にそんなに驚くことでもないけど、父さんはテーブルを叩いて、眉をこれでもかと下げた。

 少しずつしゅん、とした顔になっていき、悲しそうに俯く。

「……あんまり知らねぇの、なっさけなぁ」

 そう自分に呟いて、父さんは腕を組みなおしてオーブンの前に立つ。猫背になっていく大きな背中に何も言えず、部屋へ戻ることにした。

 来週には夏祭りがある。樋口さんと一緒に行って、告白、できたらいいなぁ。考えるだけでざわつく心臓に、ボクは首を横に振る。

 窓の外を覗けば樋口家の家と庭があり、玄関前の門に誰かがいた。隠せない身体を猫背にして縮めようとしている彼女は、日向さんだ。

 玄関から出てきた樋口さんは相変わらずの無表情で迎える。

 家に入るのかと思えば、そのまま外に出て、二人はどこかへ行ってしまう。数秒後、インターホンが家に鳴り響いた。

 もしかして、樋口さんと日向さんかな。

 ゆっくり階段を下りて、玄関の方に目を向けた。父さんが対応している。

 二人とも、二メートル級の熊を前にぽかん、としている。首を上げる日向さんなんて結構レアだ。

「お、ちょうどよかった。友達だぞ」

 そう言って、父さんは再びキッチンへ。

 切りっぱなし黒髪ボブヘアでサイドを耳にかけている樋口さんと、長い茶髪を後ろで二つ結びにしている日向さんがいた。

「こんにちはトラさん」

「こ、こんにちは……」

 お辞儀をする二人にボクはつられてお辞儀する。

「こ、こんにちは、樋口さん、日向さん。今日はどうしたの?」

「トラさんにご相談がありまして、今大丈夫でしょうか?」

「ボクに、相談? いいけど、ええと」

 キッチンは父さんが占拠してるし、父さんの仕事部屋に入ったら怒られるし、つまりボクの部屋?

「外で話すにはちょっと……私、アパートで、お父さんも休みだから……その」

 ボクは平静を装う。二人の女子を部屋に招くことになっちゃった。落ち着け、落ち着け。

 最近片付けたばっかだし、大丈夫。そもそも変な物なんて持っていない。

 失礼します、と入る二人、ボクはぎこちなくどうぞ、と言った。

 ボクはカーペットに座り、二人は正座する。

「そ、それで、相談ごとってなに?」

 ボクの問いに、口を開けたのは樋口さん。

「二階堂さんのことです。実は私、よく知りません」

 あれ? 二階堂君と樋口さんって前から友達じゃなかったっけ。ボクは首を傾げてしまう。

 日向さんは自信なさげに俯き、ボクを覗き見る。

「二階堂君のこと?」

「う、うん……」

 これは、好きっていうことかな。

「れ、恋愛的な?」

「ちち、ち、違うの! 樋口さんと虎君もそうだけど、二階堂君もよく私に話しかけてくれるから、お礼に何かしたいなって」

「あーそういうこと」

 ちょっと肩の力が抜けていく。二階堂君って何が好きなんだろう。誰も知らないのでは?

「二階堂さんは、なんでも喜ぶような気がしますが……」

「そうですかね。あ、そだ、夏祭り」

 日向さんは思い出したように顔を上げた。

「二階堂君に誘われたんです。その時に、何かお礼ができるといいな」

 二階堂君が、日向さんを誘った。ボクのことじゃないのに顔が熱くなる。

 柔らかく目を細める日向さんに、樋口さんは何を思ったのか手を伸ばした。そして、そのまま日向さんのほっぺを揉む。

「ひゃ、ひゃに?」

 じっと、漆黒の瞳で、硬い表情筋で、困っている日向さんを見上げる樋口さん。

「すみません、笑顔が素敵でしたので、つい。きっと二階堂さんは日向さんと一緒に過ごせたら十分だと思っています」

 手を離して、樋口さんは英語圏で肯定的なサムズアップをする。

「え……そんなのでいいの、かな」

「うん。ボクもそう思うよ。夏祭りに誘うってことは、一緒に過ごしたいってことだし、せっかくなら浴衣着てみたら? 喜ぶと思うよ」

 樋口さんって浴衣を着てくれるのかな。すごく、見てみたい。

 日向さんは背があるし、スラっとしてるし、足長いし、大きい柄の浴衣とか似合いそう。

「……浴衣、買いにいきましょう。日向さん」

 戸惑う日向さんは、樋口さんの無表情だけど力強い口調に、小さく頷く。

「は、はい」

 無事に解決したようで、樋口さんと日向さんは帰っていく。

 二人は仲良くお辞儀して、ボクもつられてお辞儀をして、玄関まで見送る。

 はぁー喉渇いた。キッチンに行くと甘い香りが漂う。

 父さんはイスに座って、パイナップルケーキという四角く分厚いクッキーのようなお菓子を眺めている。

「いい感じに焼けてるね」

「おう、ブラックもコンビニで買ってきた。あとは母さんが帰ってくるのを待つだけだ」

 にっこりと嬉しそうにしている。さっきは缶コーヒーを間違えて買ってショック受けてたのに。

「……う」

 シンクに目を向けると、まだ片付けていない調理器具とお菓子を作る際に出たゴミが一緒になって、放り込まれていた……―

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