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第12話 樋口さんとスコーン

 キッチンは特に念入りに掃除して、入るかどうかも分からないボクの部屋も掃除。時計は午前一〇時をまわる。

 冷蔵庫を見ると、ホットケーキミックスがまだ残っていた。足りない物ってあったかな。

 牛乳は昨日購入したのがある、使いきれてないチョコチップもあった。せっかくだし使おう。

「ちょっとお父さんと買い物に行ってくんねぇー」

 玄関へとドタドタと騒がしい姉さんの足音が聴こえてきた。

「うん、どこに行ってくるの?」

 ボクは冷蔵庫の中身を見ながら姉さんに訊く。

「アンタが好きじゃないところー」

 あぁ、服とか小物系のキラキラしたやつ、ボクはふーん、と返事をする。

「お父さん、早くしてよー」

「へいへい」

 まだ午前中なのに騒がしいなぁ。

 玄関の扉が閉じる音に、ボクはホッとする。

 何を期待しているんだろうか、キッチンでお菓子を作って食べるだけなのに。

 量も分けておこう、それぞれのカップに油と牛乳、ホットケーキミックスもボウルに入れておく。冷房もオッケー。

 よし樋口さんを呼びに行くぞ。

 意識しないようにしても高鳴る胸、家に女の子の友達を入れるなんて初めてのことで、しかも樋口さん。

 外に出ると言いたくなる、この暑さ。身体から冷えを奪う熱に参りながら道路と歩道の境目がない道を出て、隣の樋口家へ。

 庭に目を向けると、ふんわりとした人工芝に小さなビニールプールが置かれていた。

 長椅子には切りっぱなし黒髪ボブヘアのサイドを耳にかけた、樋口さんが座っている。

 家の日陰になっている場所で涼みながら素足をビニールプールに浸る水につけて、水色に澄んだ空を見上げていた。

 無表情で不思議な雰囲気がある樋口さんは、無愛想ってことはなくて、みんなを惹き込むほど綺麗だ。

 横顔にすぅーっと垂れる汗が、ボクから熱さと声を奪う。

 漆黒の瞳がボクの視線に気付いたようで、慌てて手を振る。

「お、お待たせ、準備できたからいこっか」

「はい」

 樋口さんは足をタオルで拭いて水気をとり、靴下、靴を順番に履く。

「お待たせしました」

「ぜ、ぜんぜん、ボクの方が待たせたから……部屋で涼まないの?」

「はい、風が通って涼しいですし、ここにいればトラさんがすぐに分かりますので」

「そ、そう」

 声が裏返ってしまう。心臓が抉り取られるぐらい効果抜群の発言に、ボクの顔は熱くなる。

 家に入って、樋口さんは失礼します、と呟いた。

 涼しいキッチンに準備したもの、樋口さんは材料を見下ろす。

「これだけでスコーンができるんですか?」

「うん、ホットケーキミックスって便利だよ。色んなお菓子に使えるんだ。まずは、手を洗おっか」

 頷く樋口さんと一緒に手洗いをして、スコーン作りに取り掛かる。

 ボウルに入れたホットケーキミックスに、牛乳と油も入れて、塊ができるまで、樋口さんはヘラで混ぜる。

 その間にボクはオーブンを一七〇度で予熱。

 生地が固まってきたところで、ボクはチョコチップをボウルに投入、さらに樋口さんに混ぜてもらう。

 ある程度まで混ざったら、手でさらに固めていく。

 ぎこちなく手で捏ねていく樋口さんは、時々ボクを見る。普段より表情筋が硬い。

「大丈夫だよ、樋口さん。ちゃんとできてるよ」

「はい、ありがとうございます」

「そういえば樋口さん、もう朝ご飯は食べちゃった?」

「いえ、まだです」

「完成したら一緒に食べよっか」

 樋口さんと朝ご飯を食べられるなんて、予想もしてなかったや。楽しみだなぁ、夏にスコーンって結構喉乾きそう。なんでボク、スコーンなんてチョイスしたんだろう。

「はい、頑張ります」

 樋口さんの手に力が加わる。

 ボウルが綺麗になるくらい生地が固まり、まな板に移動させた。

「平たく潰したら、食べやすい一口くらいにカットするんだ」

 体重を乗せて生地を丸く平たく伸ばしていく。

 無表情なのに、どこか熱心で楽しくしているような雰囲気が伝わってくる。

 板前の人やスーパーの人が職業体験をさせたくなる気持ち、少し分かるかも。

 ボクの口角は無意識に上がった。

 綺麗にカットした生地をボクは鉄板に敷いたクッキングシートに乗せて、オーブンへ。

「あとは一〇分くらい焼けば完成」

「分かりました」

 いつもならこの間にボクはスマホで次に作るお菓子のレシピを調べたり、ゲームをしたりして過ごす。

 今日は特別、樋口さんがいる。さすがにそんなことをしちゃダメだ。

 なに話したらいいのかな、意外と通学路でもお互いあんまり喋んないからどうしよう。ボクは別に喋らなくても平気だけど、樋口さんはどうなのかな。

 そういえば確かめたいことってなんだろう。

「あの、トラさん」

「な、なに?」

 樋口さんはオーブンを眺めている。

「私の……顔、硬いですか?」

「え、えっと、かたいっていうのは」

 ボクの手に少し温い指先が触れて、意思とは別にボクの手は樋口さんの頬に密着した。

 お、おぉぉ!? そんな声が漏れそうになり、ボクは必死に心の中で留める。

「どうですか?」

 無表情で、樋口さんはボクに訊いてくる。ボクの手に伝わるしっとりと柔らかい肌。

 ボクの顔の方が熱い。強張って、冷房が効いているのか分からない。

「や、柔らかい、です……樋口さん」

 樋口さんは、漆黒の瞳を少し大きくして、ボクの手から指先を離す。ボクは重力に従って手を戻し、沈黙。

「あの、少し、コンビニに行ってきます」

「あ、うん……気を付けて」

 俯きながら行ってしまう樋口さん。

 ボクはさっきまで樋口さんの頬に触れていた手を眺めた。

 どうしよう、ハイタッチとか間接キスよりドキドキしてる。どうしようもないくらい心臓が痛い。

 多分、樋口さん、自分の表情を気にしているんだろうな。ボクがよく訊いちゃうし、この前のシャボン玉でもそうだった。

 悪いこと、しちゃったな。

 時間を見て、ボクはオーブンからスコーンを取り出した。

 いい感じに焼けている、チョコチップと甘い香りが漂う。満足だけど、まだ樋口さんは戻ってきていない。

 大丈夫かな、暑さで倒れてないかな。ボクは玄関から外を覗いてみる。

 人影もない、熱気のある外。ボクは身体全てを外に放り出して、道路へ。

 コンビニなら五分もかからない。ボクはもしかして、と思って樋口家の庭を覗いた。

 そこに、樋口さんはいた。

 長椅子に座って、ビニールプールに足を突っ込んでいる。

 スマホを手に、空に顔を向けている樋口さんの姿。横にはコンビニの袋。ボクは安心から綻ばせた。

 ボクはキッチンに戻って、チョコチップ入りのスコーンを小皿に盛って、樋口家の庭に向かう。

「樋口さん、戻ってこないから心配した。スコーンできたよ」

「すみません……ご迷惑を」

「ううん、一緒に食べよう。隣座ってもいい?」

「はい」

 樋口さんはコンビニの袋を持ち、空いた席にボクは座る。靴と靴下を脱いで、ビニールプールの冷えた水に足をつけた。

 思っていた以上に冷たくて、ボクは身体を一瞬震わす。

「何を買ってきたの?」

「タピオカミルクティーです」

 太いストロー付きのカップを取り出し、ボクに渡す。

 見覚えのあるラベルとタピオカミルクティーに、ボクは思わずクスっと笑ってしまう。

「……」

 樋口さんは特に何も言わず、ボクを見上げる。

 本当に単純で、思い出として残っている出来事が頭に浮かび上がった。

「ごめんね、ボクが悩ませてるみたいで……樋口さんは熱心に何かを取り組んでる時、すごく楽しそうなの伝わってくるから、大丈夫だよ」

 無表情なのは確かで、普段の感情は読み取れないけどね。

 黙り続ける樋口さんに、ボクは小皿に盛った一口大のスコーンを食べるように向けた。

 スマホを置いて、樋口さんは会釈して一個を取る。

 ボクも一個取って、同じタイミングで口に運んだ。

 美味しい、甘い、まだ温かい、そして、夏に食べるものじゃないなって改めて思う。

 同じタイミングでカップに太いストローを差し込んで、タピオカミルクティーを吸い込んだ。

 冷えたミルクティーと、もちもちと柔らかいタピオカが口に運ばれる。

 樋口さんは涼しさか、スコーンの甘さか、いつもより目を細くさせて、ほぉっとした表情で空を見上げていた。

 初めて無表情以外の樋口さんを見た気がした。

 横顔につたう汗が煌めいて、綺麗、という言葉以外が消えてしまう。

 それと気付いてしまった、ボクが意識しないようにしていた心が。

 友達として、美人で少し変わった不思議な人だと思っていた。

 ただ少し距離が近いだけで、他のクラスメイトと同じ位置にいたはず。

 ボク、樋口さんが好き……――。

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