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第11話 樋口さんのお父さん。ボクの母さん。

 目覚まし時計よりも早くボクの目は開眼。腹筋するよりも早く上体を起こし、カーテンを捲って窓の外を見下ろす。

 樋口家の庭に、樋口さんはいない。代わりに男の人がいた。時間は分からないけど、空が明るくなり始めたぐらいだから早朝。

 ポロシャツにスーツパンツ姿でゴルフクラブを握っている。

 オールバックに眼鏡をかけている男性、多分、樋口さんのお父さん、初めて見たかも。

 いつも仕事でいないし、ボクがここに引っ越してきた時も親だけが挨拶に行ってたからボクは会ってない。

 真面目そうな、でもどこか不思議な、二階から見ても表情筋の硬さは分かる。本当に樋口さんと一緒にガスガンでダーツをしてた人なのか、信じられない。

 ゴルフクラブを、綺麗なフォームなのか分からないけど、何度か素振り。細見でモデルみたい。

 笑わないし、目つきも変わらない、ただただ無を貫く。

 ある程度素振りをして、納得がいったのか樋口さんのお父さんは頷いて、クラブにデフォルトされたハスキー犬のカバーをかけた。そして普通車へ入れる。

 玄関から眠たそうに欠伸をして出てきたのは、ショートボブの小柄な女性。樋口さんのお母さんだ。

 奥さんが見送りに来ても、硬い表情筋は微動だにしない。

 樋口さんのお母さんはチョイチョイ、と、手を招く。応えるように少し屈むと、無表情の皮膚をつまんでほぐすように揉み始めた。

 一体どんな風になっているのか二階からはよく見えないけど、樋口さんのお母さんは、ニコニコと楽しそうに揉んでいる。

 樋口さんが笑ったら、ああいう風なのかな、それとも静かに微笑む感じ? 想像でしか分からない。ボクは窓から離れて、着替えてから部屋を出る。

 一階のキッチンに行くと、母さんがパンツタイプのスーツに着替えて仕事に行く準備をしていた。

 セミロングで、ライトが当たらないと分からない程度のブラウンに染めている。

 母さんの足元には一泊以上できる大きなケースがあった。

 ボクはどうしてか緊張して、全身が強張る。

「お、おはよう……」

「あぁ……おはよう」

 母さんの冷めた目つきはボクを睨むよう。黙って冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すと、

「今日は、学校早いの?」

 ボクは増々身体を強張らせた。今日から夏休みなのに。

「えっとぉ、今日から夏休み」

 コップにお茶を注ぐ手が震えてしまう。

「え、あ、そ、そう、ごめん。夏休みなのに、早起きなんて……いいことね」

 母さんは時々目を逸らしながらボクに声をかけてくれる。

「う、うん、あっと」

 コップにお茶がギリギリまで、ボクは慌ててペットボトルを上向きにした。

「この前のプリン、えーと美味しかった……ありがとう」

 いつの話か、カスタードプリンの感想を今になって言う。それぐらいボクと母さんって会ってないのだと実感した。

「よ、よかった。今度また何か作る。えーと、何がいい?」

「なんでも、いいわよ、甘いのは好きだから」

 甘いのとブラックコーヒー、というセットが好きなのは知っているけど、なんでもって困る。

 母さんは腕時計を見て、焦るようにケースを持ち上げた。

「ごめん、一カ月だけ仕事でいないから。危ないことはしないでね」

「う、うん、分かった……」

 ついこの間まで出張だったのに、また。一体どんな会社なんだろう。母さんは忙しそうに飛び出してしまう。

 ボクは大きく息を吐き出して、ちょっとした安心を得た。

 お茶を飲んでからボクはグラスを洗い、壁にかけた時計を見上げる。

 まだ午前六時ちょっと、早すぎたなぁ。ボクは何気なしに外へ出た。

 明るく薄い空、新鮮な空気を吸い込んで、力を抜く。

「おはようございます、トラさん」

「うぅん?! お、おはようございます」

 道路から無表情の顔を出した樋口さんに、ボクは変な声が出てしまう。

 切りっぱなし黒髪ボブヘアのサイドを耳にかけた樋口さん。

「すみません、待ちきれずに来てしまいました」

「そ、そうなの? それにしても早すぎない?」

 樋口さんの手には謎の紙箱。ゴーグルを首にかけ、グローブをはめて、腰には映画とかでよくあるホルスター。

「えーと、何をするの?」

「スティールチャレンジです」

 す、すて? 何を言ってるのか分からないけど、紙箱には拳銃のリアルなイラストが描かれている。

「一緒に最速を目指しましょう」

「こんな朝から射撃!? またそんな危ないことを……もう少しこう、穏やかなことをした方がいいかなー」

 樋口さんは首を傾げる。

「そだ、スコーン、一緒に作らない? ホットケーキミックスで作れる簡単なやつ」

「……不慣れな私でも作れますか?」

 なんでも吸い込みそうな漆黒の瞳は惜しげなくボクを吸い込む。怯まないように、ボクは頷いた。

「うん、大丈夫だから。一緒に作ると楽しいよ」

 樋口さんの目線はボクよりさらに奥へ。

「家にお邪魔しても、いいんですか?」

「え、あっ」

 なんでそんなことを、ボクは口走ってしまったのだろう。まだ涼しい朝なのに、顔が熱くなってきた。

 自分から誘っておいて、やっぱりダメとは言えない。

 お、女の子が、樋口さんが家に入るって、父さんや姉さんに茶化されるかも。

「……片付けてからでもいい? また呼ぶから」

 怖気づくほど弱虫じゃない。友達なんだから、別に家に来たっていいんだ。なに、勝手に意識してるんだ、ボクは。

「分かりました。また後で、楽しみに待ってます」

 硬い表情筋のまま樋口さんはお辞儀をして、家に戻っていく。

 ボクは急いで玄関を開けて、キッチンから部屋まで掃除を始めた……――。

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