第六話
「………」
マナとセシール、そしてセーレの三人は聖都を歩いていた。
マナは何かを考え込むように口を閉じ、セシールは安堵したような表情でチラチラとマナを見ている。
セーレは町の様子が珍しいのか、呑気に周囲を見渡していた。
「私達、助かったのでしょうか…?」
「…多分」
セシールの言葉に、マナは曖昧に頷く。
あの大聖堂で、マナを処刑すると言っていたオズワルドは突然、前言を翻した。
二人が呆気に取られている間に無罪放免となり、理由を聞く間もなく大聖堂を追い出されてしまった。
「認めたくないですが、本当に認めたくないですが………その男のお陰に、なるのでしょうか?」
心底嫌そうにセシールは視線を近くを歩くセーレに移した。
キョロキョロと辺りを眺めていたセーレと視線が交わる。
「何だ? 俺に感謝しているのか?」
「…いや、違いました。考えてみればマナ様が処刑されそうになったのもコイツのせいでした。マッチポンプと言うやつです」
「ぷくく、感謝も罵倒も好きにするが良い。俺は気分が良いのでな。全てを赦そう!」
何が楽しいのか高笑いを上げるセーレ。
人目を憚らない笑い声に周囲の視線が集中する。
仮面にローブと言うセーレの奇抜な恰好は、この場でかなり目立っていた。
「ああもう! 無駄に騒ぐんじゃない! 法王には赦されたが、それでもお前の正体が広まったら色々とマズいだろうが!」
「え、何? 俺の心配してくれているのか? 我、感動」
「マナ様の心配だ! お前など知るか!」
軽口を叩くセーレに息を荒げながら吠えるセシール。
そんなセシールの反応に愉悦の表情を浮かべ、セーレはマナを見る。
「ご主人。この後はどうする?」
「そうですね。昼食もまだですし、どこかに寄って行きますか?」
「それは良いな! 人間の食事など、五十三年ぶりだ」
「…お前、人間のお金を持っているのか?」
ウキウキしているセーレにセシールは冷ややかな言葉をぶつけた。
その言葉にセーレはくるりと振り返る。
セーレの得意げな表情を見て、セシールは嫌な予感がした。
「笑止! このセーレが無銭飲食なんてちんけな罪を犯すと思ったか! 当然、自分の代金は自分で払うとも! 何なら貴様らに御馳走してやっても良いぞ!」
パチン、と指を鳴らすとセーレの手の中には大きめの革袋があった。
軽く空いた袋の口からは大量の金貨が覗いている。
「う、嘘だろ! コレ、全部『ミナ金貨』か!?」
「えと、ミナ金貨は一枚で百枚のドラクマ銀貨と等しくて、一枚のドラクマ銀貨は十枚のレプタ銅貨と等しくて、パン一個が二レプタだから………え、えーと?」
袋の中身に驚愕するセシールと、あまりの金額の大きさに錯乱するマナ。
この大陸では銅貨、銀貨、金貨の貨幣が使用されている。
一ミナ=百ドラクマ
一ドラクマ=十レプタ
二レプタでパンが一個買えるくらいだ。
セーレが軽々と扱う袋の中には、千を超える金貨が詰め込まれている。
「パ、パンがたくさん買えますよ!」
「千枚と仮定するなら五十万個買えるな。つーか、何でパンで例えるんだ?」
計算を放棄して叫ぶマナに、セーレは冷静に突っ込む。
「コレ、本当に本物?」
「おお、良い眼をしているな小娘二号。金に目が眩んでいて、悪魔的には実に好ましいぞ」
「…ハッ!?」
ふらふらと無意識の内にセーレに近付いていたセシールが我に返る。
冷や汗を流しながら慌ててセーレから距離を取り、金貨から視線を逸らした。
「何だ何だ、金が入り用ですか? 知らない仲でもないし、このセーレが金を貸してやろうか?」
嫌らしい笑みを浮かべてセーレは金貨の入った袋をちらつかせる。
「ちなみに利子は十日で一割だ」
「暴利過ぎるだろう!?」
「金銭ではなく、魂一割だ」
「私、百日で死ぬのだが!?」
大金にビビっているのか、やや抑えれ気味なセシール。
セシールの反応に満足したのか、セーレは手にしてた革袋を消した。
「あ…」
「俺の力で作った倉庫に戻した。だから、そんな残念そうな顔をするな。物乞い娘」
「ざ、残念そうな顔などしていない!? 物乞いでもないわ!?」
やや気落ちした様子を誤魔化しながらセシールは叫ぶ。
「マナ様! 私はどこか昼食が食べられる店を探してきますね!」
居た堪れなくなったのか、セシールは早口で捲し立てるとどこかへ走っていった。
それを見送りながらセーレはケラケラと可笑しそうに笑う。
残されたマナはセーレの力に興味を持ったように、視線を向けた。
「転移や転送があなたの悪魔としての力なのですか?」
「その通りだ、聖女様。我が悪法は『強欲』。その能力は空間の支配」
悪法。
即ち、悪魔の法術。
人間の従う法とは異なる、悪魔の従う法。
「俺は強欲だからな。盗まれた盗品。隠された財宝。どんな物であれ、俺はいつでもそれを手に入れることが出来る。この世の全ては、俺の手の中だ」
セーレの能力は空間の支配。
空間の転移。一定空間の圧縮。異空間の創造。
それは人類の敵対者であるグリモアの七柱の一角に相応しい強大な力だった。
「貴様が望むなら俺は何だってくれてやるぜ? 特に、奪うことに関して俺の右に出る者はいねえからな」
「要りませんよ?」
「欲しい物とか無いのかよ? 貴様だって年頃の娘。欲望と言うやつがあって然るべきではないか?」
「うーん。最近欲しい物と言ったら、愛の戦争の新刊くらいで」
「…悪魔相手に願うのは本の新刊のみ。無欲も極まったな。聖女ってのはこんな奴ばかりなのか?」
マナの無欲さに強欲の悪魔は呆れ果てる。
その謙虚さをセシールは尊いと感じるかもしれないが、人間の本質が強欲だと信じるセーレの眼には異常に見えた。
(まあいい。時間は幾らでもある)
理由は不明だが、法王に認められた以上、契約を破棄される可能性は少ない。
聖職者に囲まれている状況は不快だが、別の悪魔の邪魔が入らないと考えれば悪くない。
セーレは嘘をつかない。約束を破らない。契約には従う。
その上で、マナを堕落させてみせる。
(コレはゲームだ。聖女と悪魔のゲーム。人間の本質は善であるか悪であるか)
仮面に下に浮かんだセーレの表情は、悪魔と呼ぶに相応しい邪悪な物だった。
「………」
マナ達の立ち去った大聖堂では、オズワルドが静かに瞑想していた。
まるで石像の様にぴくりとも動かず、荒れた心を静める。
「ご説明を」
ゆっくりと目を開き、オズワルドは大聖堂の奥へ視線を向ける。
「貴女にとってセーレと言う悪魔が特別であったことは存しておりました。ですが、その理由までは伺っておりません」
窓の光の入り込まない暗闇にオズワルドの声だけが響く。
「何故、セーレと契約したマナ=グラースの処刑の撤回を?」
「…何も、感じなかったのですか?」
暗闇の中から女の声が聞こえた。
まだ年若い女の声だ。
声だけでその人柄が伝わってくるような、穏やかな声だった。
「『彼』に出会って、その眼で見て、あなたはどう感じましたか? オズワルド」
「どう、とは? 私には質問の意図が分かり兼ねます」
オズワルドの言葉に、小さなため息が聞こえた。
その返答に、女はどこか失望したような雰囲気だった。
「…悪魔でありながら人間に力を貸し、場合によっては同じ悪魔とも敵対する。そんな悪魔、私は彼しか知りませんわ」
「確かに、奴はグリモアの七柱でも人間に強く干渉する悪魔ですが…人類の味方と言う訳ではありません」
「そうでしょうね。彼は願いを叶えるけれど、その願いは大抵欲深く醜い物。彼は欲に溺れた愚者に好んで手を貸し、破滅へと導く。まるで堕落した罪人を罰する神の様に」
「そのような感情で動くような者には見えませんでしたが…むしろ、破滅する様を愉しむ悪魔らしい悪魔だったと思います」
「ええ。それもまた正しいのでしょう」
くすくすと女は笑った。
悪魔嫌いで知られるこの人物が、悪魔のことで笑う所などオズワルドは初めて見た。
「彼が本当に私の想像する者なのか、私の眼で確かめてきますわ」
「…貴女が直接出向くのですか? 法王様」
オズワルドは初めてその名を呼んだ。
法王、と呼ばれた女性は機嫌良さそうに笑い続ける。
「私もたまには外で羽根を伸ばしたいのです。引き籠ってばかりでは早く老けますからね」
「…五百年も生きて、それは今更なのでは?」
「何か言いましたか? オズワルド」
「いえ、何でもありません」
「それでは後のことは任せました。日が沈む前には戻ります」
そう言うと上機嫌で法王は町へと繰り出していった。
通貨
一レプタ銅貨(四十円)
一ドラクマ銀貨(四百円)
一ミナ金貨(四万円)
千ミナ金貨(四千万円)




