第五話
聖都カナン。
賢者カナン=モーゼスが旅の果てに没した地である。
その死を嘆き、悲しんだ人々によってこの地にケイナン教会が築かれた。
大陸中に悪魔が蔓延る現在、世界で最も安全な地と呼ばれている。
法王が統べるこの土地は、グリモアの七柱ですら迂闊に手出しが出来ない聖域。
多くの使徒や信徒がこの聖都で暮らしており、人々を悪魔から守る為に訓練を積んでいる。
「………」
馬車を降りた二人は真っ先にこの町で最も大きな建物に案内された。
『大聖堂』
その場所は、法王の暮らしている聖都の中心だった。
マナが何か言う前から通されたことから察するに、法王は全て見抜いているのだろう。
この聖都に足を踏み入れた瞬間から、マナが悪魔と取引をした事実を把握しているのだ。
「ま、マナ様。法王様に拝謁した経験は…?」
「一度もないけど………話は沢山聞いているわ」
聖堂内に設けられた長椅子に居心地悪そうに座りながら二人は会話する。
「法王様はこの世で最も古く偉大な使徒様。このケイナン教会が設立した当時から約四百年間、法王を務め続けた伝説的な人物…」
マナは聖堂に作られたステンドグラスに視線を向けた。
それは、賢者カナンと十人の使徒をモチーフにしたステンドグラスだった。
法王とは、五百年の時を悪魔と戦い続けた人類最古の使徒。
賢者カナンに仕えた十人の使徒の唯一の生き残りだ。
ケイナン教会が設立される前から人類を護り続けた法王の権力は絶対であり、信徒にとってその決定は天啓に等しい。
故に、一介の信徒では拝謁することすら難しく、その素顔を知らない者も多い。
マナ自身も、今まで任務の報告は書類に纏めて送るだけで、本人に出会ったことはなかった。
二人が法王に思い馳せていた時、聖堂の奥から軽い音が聞こえた。
コツコツ、と靴の鳴る音が響き、二人の身体が硬直した。
「マナ=グラースとセシール=トリステスだな?」
現れたのは、無愛想な男だった。
年齢は五十を超えたくらいだろうか、暗い色の髪には白い物が幾つか混ざっている。
皮膚には皺が走り、老化を感じさせるが、伸びた背筋には弱々しさを感じない。
パイプオルガンのような色合いの重厚な法衣に身を包んでおり、その顔は石像のように無感動だ。
「法王様ですか?」
「いや、私は法王様の従士を務めるオズワルド=ガルグイユだ」
淡々と事実のみを吐き出すように話すオズワルド。
「法王様に代わって報告を聞こう。何があった?」
特に興味もなさそうに視線を二人に向けた。
オズワルドから発せられる重圧に怯みながら、マナは口を開く。
「まず、あの町では悪魔に遭遇しました。娼婦の女性が数名、突然悪魔に変貌したのです」
「………」
「…姿が変わるまでは一切の魔性が感じられず、気配は完全に人間の物でした」
相槌すら打たずに黙り込むオズワルドに、セシールが話を補足する。
その後に現れたセーレの衝撃で忘れかけていたが、思えばバフォメットの出現もおかしかった。
悪魔と契約した人間が悪魔に堕ちることはあるが、複数の人間が同時に堕ちるなど有り得ない。
そもそもあの場には他に悪魔は存在しなかった。
悪魔が人間のふりをしていた可能性もあるが、それでも魔性を一切感じないのはおかしい。
変化を遂げるまで、あのバフォメット達は確かに人間だった。
「なるほど。今までにない事例だ。法王様には報告しておこう」
「お願いします」
「それで、その悪魔達はどうした?」
無表情で話の続きを促すオズワルド。
それは質問と言うよりは、確認だった。
見習い使徒と従士の二人、複数の悪魔に囲まれて無事で済む筈がない。
こうして生き残ったからには、別の理由がある。
「別の悪魔が現れ、全て倒しました。もうあの町に悪魔はいません」
出来るだけ感情を込めずにマナは告げた。
「対価として、私はその悪魔に魂を差し出しました」
「マナ様!?」
セシールが悲鳴のような声を上げてマナを見つめる。
悪魔に魂を売った、と自ら罪を告白したのだ。
この聖都カナンの大聖堂で。
マナの告解を受けても、オズワルドの表情は然程変わらなかった。
「ケイナン教に於いて悪魔と契約することは禁じられている。それを理解した上で、君は悪魔に助力を求めたのか?」
「はい」
「後悔はしていないようだな」
オズワルドは視線をマナの顔から、持っている本へ落とした。
マナの握る黒一色の本。
そこから感じる魔性に眉を顰める。
「ま、待って下さい! マナ様は誓って私利私欲の為に契約した訳ではありません! 全て悪魔から人々を護る為に…!」
「黙れ。どれだけ騒ごうとも決定は変わらない」
「ッ!」
オズワルドは石の硬い表情でセシールを睨んだ。
その眼を見て、セシールは理解した。
オズワルドには説得など通じない。
この者は法の番人だ。
ケイナン教に於いて正しさは肯定し、過ちは否定する。
ただそれだけだ。
断罪される者の人間性など、一切関心を持たない。
「処分を言い渡す。如何なる理由があろうとも、悪魔と契約した者は死刑だ」
「なっ…!」
それは考える限り、最悪の事態だった。
あまりのことにセシールは抗議すら出来ずに言葉を失う。
「近日中に火刑に処される。それまでは牢に入ってもらうことになる」
「…はい。承知致しました」
流石にショックを隠し切れない表情でマナは頷いた。
オズワルドの言葉は脅しではない。
ただ無感動に吐き出された事実だ。
それを理解し、マナは手の中の本を強く握り締めた。
「おいおいおい! クソつまらない展開だな! もっと面白いことになると期待していたのに!」
一瞬、黒の書が光り、失望するような声が聞こえてきた。
青白い粒子を纏いながらセーレが出現する。
「待てども待てども呼ばれねえから自分から出てきてやったぞ、ご主人。さあ、願いを言え!『私、燃やされたくないんです。だから助けてセーレ様』ってな!」
わざわざマナの声真似までしてセーレは叫んだ。
マナは呆気に取られたままで何も答えない。
「…お前が、彼女と契約した悪魔か?」
「その通り。我が名はセーレ! 強欲の化身! 契約したいか? だが、残念。まだ順番待ちだ!」
場の空気を読まずハイテンションで告げるセーレ。
その神をも恐れぬマイペースさにセシールは青い顔をした。
「………セーレ、だと?」
その名を聞いたオズワルドは目を見開いて驚愕した。
死刑宣告の時ですら眉一つ動かさなかったオズワルドが、あからさまに顔色を変えている。
「この五十年近く、一切姿を見せなかったお前が、どうして今頃になって…」
「あぁ? よく知っているな、爺さん。確かにここ五十年程は誰とも契約せずに引きこもってたぜ」
オズワルドの態度に首を傾げながらセーレは言葉を続ける。
「何て言うか、人間の人生を見るのもマンネリなんだよな。だから、相当強い願いを持つ者以外には召喚されないように設定し直したら、五十三年も召喚されなくてな」
「………」
訝し気な表情を浮かべるセーレの前で、オズワルドは自身の耳に手を当てた。
何者かと連絡を取るように小声で何か囁いている。
それをしばらく続けた後、オズワルドは視線をマナへ向けた。
「…処分は撤回する。法王様は君の行動を御許しになったようだ」
あまりにも唐突に、オズワルドはそう告げたのだった。




