第四話
「マナ様。どうしても考え直しては貰えませんか?」
馬車に揺られながらセシールは沈痛な面持ちで呟く。
「セシール、まだ言っているの? もう聖都に向かっている途中じゃない」
読んでいた本を閉じながらマナはセシールを宥めるように答える。
「いえ、今からでも遅くはありません。窓から投げ捨てましょう」
「そんな拾った犬猫じゃないんだから」
「ですが…!」
のんびりとしたマナに、思わずセシールは立ち上がった。
プルプルと怒りに震えながら、対面に座る男を指差す。
「どうして聖都に、この男を連れて行くのですか!」
セシールの指差す先には、呑気に本を開くセーレの姿があった。
「散々説明しただろ。俺は契約者が死ぬまで離れられねえの」
セーレは大声を出すセシールを煩わしそうに一瞥する。
「本来は魂を奪った段階で契約が切れる筈なんだが…何故か、その小娘は生きている。よってコイツが死ぬまでは契約が切れん」
「小娘じゃなくて、マナなのですが…」
ボソッと呟くマナの言葉は聞こえないふりをして、セシールはセーレを睨み続ける。
当の本人はこんな調子だが、セーレはマナから魂を奪ったのだ。
傍にいれば、いつ襲い掛かってきても不思議ではない。
「そんな顔をせずとも、契約の対価は既に受け取った。これ以上、貴様らから何かを奪う気はない」
「…お前、本当にマナ様から魂を奪ったのか?」
「そうだ。だが、安心しろ。それでこの聖女様がどうにかなることはない」
セーレはズレた仮面を直しながらマナを指差した。
「軽く調べてみたのだが、この小娘はどうやら類稀な魂の持ち主のようだ」
「魂?」
ぱちくり、と目を瞬かせてマナが聞き返す。
どうやら自覚は一切なかったらしい。
「伝説に語られる賢者カナンの再来………とまでは言わないが、常人の数十倍。下手すれば百を超える魂を持っていることになるな」
セーレが奪ったのはあくまでも魂一人分だ。
それは常人なら一瞬で干上がる量だったが、マナは例外だった。
魂の十分の一、若しくは百分の一。
その程度なら魂が削れても、全体に影響が出ることは少ない。
「我がご主人。貴様は一体何者だ?」
「何者、と言われても…」
困ったように頬を掻くマナ。
薄々気付いてきたが、この娘は楽観的な所があるようだ。
平和ボケしているように見えるが、それにしては自分の命に執着が無さすぎる。
二十年も生きていないように見えるこの娘の正体は何か、とセーレは考え込む。
「マナ様は史上最年少で使徒に認められた天才だ」
「使徒?」
少し不思議そうにセーレは首を傾げた。
『使徒』とは本来、賢者カナンの十人の弟子を指す言葉。
旅の途中でカナンが命を落とした後は、ケイナン教会に認められた者を指す言葉にもなった。
神の祝福を得た者と呼ばれる彼らは、神より様々な恩恵を受ける。
覚醒した瞬間からその肉体の成長は止まり、老いることも病めることも無くなる。
そして、悪魔と戦う為の力を与えられるのだ。
「それにしては、戦うことに慣れていないようだったな。使徒の年齢が見た目通りではないのは知っているが………それでも若いように見える」
「あはは………実は私、まだ三年前に覚醒したばかりなんです。十七歳の時に目覚めて、今は二十歳です」
恥ずかしそうに苦笑しながらマナは手の平を眺めた。
「私が神様から授かった力も、戦うことには向かなかったから。魔性の調査とか、簡単な任務ばかり受けてきたんです」
魔性とは悪魔が放つ気配のような物。
強い悪魔ほど放つ魔性は強くなり、悪魔が離れてもその場に残る。
今回マナが与えられた任務は、魔性の調査のみで悪魔の討伐ではなかったのだ。
そのような雑用ばかりで、まともに悪魔と戦った経験もない。
それを恥じるように、マナは自分の頬を掻いた。
「マナ様がそんなことを気にする必要はありません! 悪魔は全て従士である私が倒しますから!」
「…バフォメットに殺されそうになっていた奴がよく言う」
「お前から先に倒してくれようか、この悪魔め!」
ぎろり、とセシールはへらへらと笑うセーレを睨んだ。
殺気すら含んだ視線をセーレは心地良さそうに受けている。
「小娘二号。貴様如きに殺される俺ではないわ。たかがバフォメット。不出来な悪魔に追い詰められる貴様では『本物の悪魔』は殺せない」
「本物の悪魔、だと?」
「その通り。貴様も聖職者の端くれ。賢者カナンの死くらい知っているだろう?」
「当然、知っている」
不機嫌そうな表情のままセシールは頷いた。
それはケイナン教会に所属する人間なら誰でも知っている伝説だった。
十人の使徒と共に救世の旅を行ったカナン。
その旅の道中、カナンは人々を苦しめる怪物を知る。
怪物の名は悪魔。
人間を殺し、魂を喰らう七体の悪魔。
『グリモアの七柱』と呼ばれた悪魔達の力は強大で、その戦いは百年にも及んだ。
カナンは戦いの末に七柱のリーダー格である『サマエル』を滅ぼすが、自身も命を落としてしまう。
カナンの死後、生き残った弟子達はその遺志を継ぎ、悪魔と戦う組織を築く。
それが現在に於けるケイナン教会である。
「バフォメット共は悪魔と契約した人間の成れの果てだ。サマエルに創られた純正の悪魔ではない」
「…つまり、あなたは」
恐る恐るマナはセーレの顔を見る。
仮面の奥でセーレの眼が青白い光を放った。
「そうとも。我こそはサマエルに創られた純正の悪魔! グリモアの七柱が一柱、強欲のセーレ! 五百年の時を生きた真なる悪魔である!」
大袈裟な仕草をしてセーレは叫ぶ。
あまりの事態に呆然としている二人の顔を見て、機嫌よく笑い声を上げた。
「ぷ、くく、くはははははは! どうした聖職者共よ! 今頃になって、自分達が呼び出してしまった者の強大さに気付いたか? この俺を恐れたか? くはははは!」
「「………」」
「しかし、先程も言ったように不安になることはない! これでも俺は悪魔一誠実な男だ! 虚言や暴力を用いて貴様らの魂を奪うことはないから安心して………ぎゃああああああああ!?」
ハイテンションで叫んでいたセーレが唐突に絶叫した。
バチバチと落雷のような音が轟き、セーレの身体が神々しい光を放つ。
「え…? えぇ!?」
「な、何が起こって…おい、大丈夫か!」
まるで電流が流れているかのように痙攣し、黒焦げになって倒れたセーレに二人は慌てて駆け寄る。
弱々しく震えながら、セーレは真っ黒になった仮面の向こうからセシールを睨んだ。
「や、やってくれたな、小娘二号。正体が分かった途端に不意打ちとは、実に悪魔的で好ましいわ…」
「ち、違うぞ!? 私は何もやってない!?」
「セシール、あなた…」
「マナ様まで!?」
敬愛する主にまで疑われて涙目になるセシール。
雷に打たれたようにボロボロになったセーレと泣きそうなセシールを交互に見た後、マナは窓の外を見た。
いつの間にか聖都に辿り着いていたのか、窓の外には大勢の人が見えた。
「…あ。そう言えば、前に聖都には悪魔が入り込めない結界が張ってあるとか聞いたような…」
今思い出したようにマナが呟いた。
聖都に展開された悪魔を拒絶する結界。
セーレがそれに気付かない内に、馬車が結界を通り抜けてしまったようだ。
流石に消滅する程のダメージではないが、仮にもケイナン教会のトップ『法王』の展開した結界。
五百年を生きるセーレでも、割と痛いダメージだった。
「こ、このままでは身体が持たない。我がマスターよ。俺は少々席を外させてもらうぞ」
元々青白い顔を更に青くして言うと、セーレは指を鳴らした。
次の瞬間にはセーレの姿が消え、代わりに一冊の本がその場に残された。
「これは…?」
『この本は契約書代わりだ。貴様が望めば、いつでも俺を呼び出せる。ご利用は計画的に』
題名も何もない黒一色の本には、そう書かれていた。
どうやら空間を転移出来る能力を使ってどこか遠い所に逃げてしまったらしい。
「やっぱりコレ捨てましょうよ。マナ様」
間抜けな姿に毒気が抜かれてしまったが、冷静に考えればセーレは人類が倒さなければならない悪魔の内の一柱だと言うことだ。
これ以上関わらない方が良い。
ただでさえマナは悪魔に魂を奪われてしまったのだ。
「どちらにせよ。法王様に報告して判断を任せるつもりだよ」
「ッ!…それは、全て偽りなく報告すると言うことですか?」
何かを堪えるような表情でセシールはマナに問う。
マナがどう答えるかは分かり切っていたが、希望を込めて見つめる。
「当然でしょう? 嘘偽りなく、起こったことをありのまま伝えます」
マナは何を当然のことを、とあっさりと答えた。
そう、清廉潔白なマナはありのまま事実を述べるだろう。
助けられなかった死者が出てしまったこと、バフォメットから町を守ったこと。
その為に、悪魔と取引をしてしまったこと。
マナの行動には一切の私利私欲はない。
全てセシールと町を守る為であり、その為だけにマナは自分の命を捨てようとした。
それは讃えられる行為だが、その判断は法王の手に委ねられている。
「………」
マナとセシールの所属するケイナン教会のトップ、法王は慈愛に満ちた人物だが、悪魔に対しては苛烈に接することで有名だ。
人類に敵対する悪魔に対しては当然であり、その悪魔に魂を売った人間も一切の同情の余地なく、処刑してきた鋼の信仰心を持つ使徒だ。
その法王は、マナにどんな判決を下すだろうか。
他者を救う為に魂を売ったマナにはどんな罰が下されるのだろうか。
それが、セシールは不安だった。




