第七話
「そう言えば…」
セシールの見つけてきたレストランで遅めの昼食を取る途中、
マナは対面の席でステーキを切り分けるセーレを見つめる。
「何だ?」
「身体は大丈夫なのですか?」
ふと、マナはセーレが聖都に入った時のことを思い出した。
法王の展開した結界の影響で雷に打たれたみたいにダメージを受けたセーレを。
「今更何を言うか。大丈夫でなければこんな風に食事を取れる筈がないだろう」
「そうですよね…」
「弱小悪魔ならともかく、俺は『結界破り』の異名も持つセーレだ。結界があると理解すれば、幾らでも対処できる」
セーレはそう言うとナイフを置き、何かに触れるような仕草をした。
「空間を弄って結界内に穴を作った。これで俺は一切ダメージを受けない」
手の動きに合わせてセーレの周囲の空間が不自然に歪む。
「とは言え、結界に穴を空ける訳だから、湖に出来た浮島のように、あちらから居場所を簡単に見つけられてしまうデメリットはあるがな」
つまり、法王には今セーレが何をしているか手に取るように分かると言うことだ。
セーレが拘束もされずに野放しになっているのもその為かもしれない。
聖都で不審な行動を取れば、それはすぐに法王に発覚してしまう。
監視されているのが気に喰わないのか、セーレは不機嫌そうにワインを呷った。
「…ところで話は変わるが、聖女様は随分と小食だな」
セーレは手にしたフォークをマナへ向けた。
テーブルの上にはセーレが頼んだ料理が並んでいるが、マナの前にはパンとスープしか置かれていない。
セーレのように肉を食えとまでは言わないが、流石に小食過ぎるだろう。
「え、ええ、そうですね…」
曖昧に頷きながらマナは罰が悪そうに眼を逸らす。
実直な聖女様にしては珍しく煮え切らない態度だ、とセーレは首を傾げた。
「…マナ様」
いつもより低いセシールの声に、びくっとマナの肩が跳ねた。
「以前も言いましたけど、食事を疎かにするのはお止め下さい」
「で、でも、使徒はそもそも食事を取る必要性がなくなるから…」
そこまで聞いて、セーレは使徒に関する知識を思い出した。
使徒は覚醒した瞬間から成長が止まり、老化もしなくなる。
それに加えて、神に近付いた影響か『欲が薄れる』のだ。
睡眠や食事をしなくても生きられるようになり、その欲求も無くなる。
「それでも人間らしい生活を送らなければ肉体はともかく、精神が疲弊しまうと法王様も仰っているではないですか」
使徒になれば睡眠欲、食欲、或いは性欲からも完全に解放される。
しかし、覚醒する前は使徒も人間だったことには変わりない。
必要でないからと言って、非人間的な生活を送っていると段々と心が荒んでいく。
人間の常識と使徒の身体の矛盾に精神が摩耗してしまう。
故に、法王の命令で使徒は皆、人間らしい生活を送ることを義務付けられているのだ。
(…睡眠欲は怠惰。食欲は暴食。性欲は色欲を切り離す為か。全く、これだから聖職者と言う人種は相手がし辛くて敵わん)
欲こそがセーレの力の源だと言うのに、使徒は人間の三大欲求すら切り離している。
これではマナをこの三つで堕落させることは不可能だろう。
「節制は美徳ですが、マナ様はもう少し自身のことを優先するべきです」
「それに関しては全面的に同意する。気が合うな、従士」
「…お前と一緒にするな、この欲の権化め」
げんなりした表情でセシールは自分の注文したパスタを口にする。
普段肉体労働をしているからか、その量は一般の女性よりは少し多めだ。
マナとセシールの料理を見比べてセーレはふむ、と頷く。
「これだけ摂取している栄養に差があるのに、発育に逆の差がついてしまったのは何故だろうな」
心底不思議そうに、特に悪意もなくセーレは呟いた。
セクハラ以外の何物でもなかった。
「発育…!?」
ガーン、とショックを受けたように固まり、セシールはマナへ目を向ける。
具体的には飾り気のない修道服でも隠し切れない豊満な体つきに。
「あ、あはは…大丈夫だって、セシールは私と違ってまだ成長するし」
セシールの視線から庇う様に胸を隠しながらマナは曖昧に笑った。
プルプルと震えてセシールは自分の胸に触れる。
戦力差は歴然だった。
「わ、私はこれで良いんだ。そもそも私は男が嫌いだ。男受けする身体になど、なりたくもない」
「ほう。それでは貴様は男ではなく、女が好きだと」
「当たり前だ。私はマナ様のような綺麗な女性が………」
ビシリ、とセシールは石の様に硬直した。
自分が何を口走っていたかを振り返り、その意味を考えて、思考が停止する。
段々と赤く染まっていくセシールの顔を、セーレは面白そうに覗き込んでいた。
「え、あ、違っ、今のは、その…」
「従士よ…」
セーレは慈愛に満ちた笑みを浮かべて、真っ赤に染まったセシールの肩を叩いた。
「同性愛はケイナン教で禁じられているぞ?」
「違うと言っているだろうがー! うわぁぁぁぁぁん!」
羞恥と怒りから泣き叫びながらセシールはレストランから逃げていった。
それを見送り、マナは深々とため息をつく。
腹を抱えて笑っているセーレをジト目で見つめた。
「セシールをイジメるのはやめて下さいよ…」
「ぷくく、くはははは! 何て遊び甲斐のある娘だ! ますます気に入ったぞ! 正直、貴様なんぞよりもアイツと契約したい程だ!」
ゲラゲラと笑い、セーレはテーブルの上に数枚の金貨を投げた。
「楽しませて貰った礼に、貴様らの分も俺が出そう。見世物に対する対価だ」
「見世物ではなかったと思うのですが…」
「くくく、アイツは良い。自分の願いや欲を理解し、それに従って行動している」
本人なりにセシールを高く評価するセーレ。
セシールからすれば迷惑極まりないだろうが、セーレはかなりセシールを気に入っていた。
「それに比べて貴様は駄目だ。全く面白味もない。少しはアイツを見習え、殉教者」
「何かいきなり凄い駄目だしされてる!? 私、そんなにつまらないですか!?」
真正面から全否定され、流石のマナも反論した。
その反論すら、セーレは実に退屈そうにため息をつく。
「ああ、つまらん。魂を対価に願う物が他者の幸福であり、その願いに殉ずることに何の葛藤も迷いもないなど、美談過ぎて吐き気がする」
「そ、そう言われても…」
「良いか、人間ってのは欲の為に生きる物だ。それが善であれ悪であれ、強い願いや欲を叶える為に努力することを人生と呼ぶ」
完璧過ぎる聖女を諭すようにセーレは持論を告げた。
「無欲な人間ってのは、言い換えれば感情のない人形と同じだ。何に対しても執着を持たず、友人が死のうと他人が死のうと心が揺るがない」
何も求めない人物とは、そう言う物だ。
何も欲しがらないからこそ、何も持たない。
「そう言う人間は欲を知るのは決まって、全て失った時だ。失って初めて価値に気付くなど、愚か者のすること。大切な物ならば、初めから箱に入れて鍵をかけていろ」
「………」
「貴様はまず執着を知るべきだ。全てを平等に見るのではなく、差別を覚えろ。愚鈍な貴様だって、赤の他人と従士を比べれば、後者を選ぶだろう?」
諭すように、唆すように、悪魔は聖女に『欲』を教える。
「欲を知れば、貴様の灰色の人生も少し彩りのある物になるだろう」
そう言うと、話し疲れたのかセーレはテーブルのグラスを取った。
ワインを水の様に飲み干しながら、マナは見る。
静かにセーレの話を聞いていたマナは、困惑したような納得したような微妙な表情を浮かべていた。
これは先が長そうだ、と思わず苦笑する。
その時、パチパチと手を叩く音が背後から聞こえた。
「欲を知り、人生に彩りを得る、ですか。聖職者的に全て肯定することは出来ませんが、感銘を受ける所も幾つかありました」
柔らかい女性の声を聞き、セーレは振り返る。
最初に目に入ったのは、赤。
腰まで伸びる赤みがかった金色の長い髪。
身に着けているのはマナの地味な修道服とは異なる、派手な赤色の修道服。
女性にしては背が高めで、バランスの良い整った体型をしている。
年齢はマナより少し年上くらいで、二十歳前後に見える。
表情は子供の様にあどけないが、紅を塗った唇は大人の色気を出していた。
「…誰だ?」
「はじめまして! 私はヴェラと申します。ご一緒してもよろしいですか?」
満面の笑みを浮かべて、ヴェラはそう言った。




