第十八話
「バジリオ=コマンダン…?」
驚愕に目を見開きながら、セシールはその名を繰り返す。
その名前に、聞き覚えがあった。
バジリオと言う名前を聞いた時にも感じた、この感覚。
使徒コマンダンの通称で知られる男の本名。
(アイツ…やっぱり、本物のコマンダンじゃなかったのか!)
明らかに使徒らしくなかった中年を思い出しながら、セシールは激怒する。
あの胡散臭い男に騙されたことに憤るセシールの前で、本物のコマンダンは部下へ指示を出していた。
「…僕はこれからその後輩に指導をする。お前達は邪魔だ、塔から出ていろ」
「は、はい…」
足に怪我をした男を含めて全員が頷き、取り巻き達は塔から出て行く。
全員を見送ってから、バジリオは白金色の眼をセシールへと向けた。
何物にも染まらない白。
金属の様に冷たい視線を浴びて、無意識の内にセシールはナイフを強く握った。
「命令『武器を捨てろ』」
バジリオの口から、拒絶を赦さない勅命が下される。
セシールの手にしていたナイフが地面に落ち、軽い音が鳴り響いた。
「な…」
その音を聞いて初めて、セシールは自分がナイフから手を離したことに気付いた。
完全に無意識の行動だった。
まるで何者かに取り憑かれたかのように、自分の手が勝手に動いたのだ。
「今のは、法術じゃない…!」
「その通りだ。コレが僕の授かった権能『神の命令』」
マナの言葉に、バジリオは己の力を誇るような笑みを浮かべた。
「僕は神より『絶対命令権』を授かりし者。我が声は神の声だ」
バジリオが神より授かったのは、命令する権利。
あらゆる人間を思い通りに従わせ、操る権限。
使徒は人間を支配する者だと考えているバジリオに相応しい力だ。
「命令…」
バジリオはマナとセシールの二人を見つめながら、新たな命令を下す。
「『この場に於いて、法術を使うことを禁ずる』」
言葉と共に、不可視の力がマナとセシールを包み込んだ。
真綿で首を絞められるような、息苦しさを感じた。
「これでお前達は何の力もないただの娘だな。呆気ない」
「くっ…!」
セシールは地面に落ちたナイフを拾い、それを構える。
先程は無意識の内に操られてしまったが、今はその感覚はしない。
(所詮、言葉で操る催眠術のような物…! 意思さえ強く持てば…)
「命令だって跳ね除けられる、そう思ったか?」
セシールの思考を目から読み取りながら、バジリオは嘲笑を浮かべる。
瞬間、セシールの身体が雷光に包まれた。
「あ、ああああああああ!」
身を焼き焦がし、精神すら焼き切る程の電流がセシールの全身を流れる。
「それが天罰、と言う物だ。我が意思は神の意思。それに逆らう者には、罰が下る」
ナイフを取り落として地面に倒れるセシールを、バジリオは冷徹な目で見下していた。
「セシール…!」
「ま、マナ様、駄目です!」
思わず治療しようと駆け寄るマナの手を掴み、セシールは叫んだ。
法術を封じられたのはセシールだけではない。
マナがセシールを治療しようと法術を使えば、マナも同じ目に遭うのだ。
「ふっ、賢明な判断だな。信仰心の強い者ほど、天罰は強くなる。使徒グラースが命令を破れば、天罰で死にかねないぞ」
「で、でも…!」
「大丈夫、です。私は混血だから、普通の人間より身体も丈夫ですから…」
ボロボロの身体で自虐的な笑みを浮かべるセシールを見て、マナの表情が曇る。
傷付いた相手に逆に気を遣われ、マナは無力感を噛み締めた。
(法術は封じられた…それなら)
「権能『神の慈悲』…発動」
マナの口が、小さな言葉を紡ぐ。
無数の黄金の蝶が塔の中を舞う。
「…権能か。そう言えば法術だけで、権能は封じていなかったな」
然程驚いた様子もなく、バジリオは興味深そうに黄金の蝶を眺めていた。
その中心に立つマナの手から光が放たれ、傷ついたセシールの身体に触れる。
「何だと…?」
バジリオはそこで初めて驚いたような表情を浮かべた。
光が触れた先から段々と傷が治癒していく。
それは治癒法術だった。
バジリオが封じた筈の法術を使用している。
「…命令の無効化。いや、制限を緩めたのか?」
セシールの傷を癒そうとするマナの身体には弱い電流が走っているように見えた。
完全に無効化できている訳ではない。
制限を緩め、天罰を弱めているのだ。
「慈悲…なるほど。その名の通り天罰を下す神に慈悲を乞うか」
「くっ…うっ…!」
細い針で全身を刺されるような激痛を感じながらも、マナは治療の手を止めない。
「自分が傷付いてでも、従士を助けるか…ふん」
呆れ果てたようにバジリオは呟いた。
「従士とは使徒に使われる為に存在する。使徒が将なら、従士が兵だ。たかが弱兵一人の為に身を削る使徒がどこにいる?」
従士は使徒の為に生きるが、使徒は従士の為に生きるのではない。
兵の命を惜しんで判断を誤るのは無能な指揮官だ。
「命は平等じゃないんだよ。信仰。才能。幸運。使徒であるお前の命と、その半魔の娘の命、どちらの価値が上か考えるまでもないだろう?」
「そんなこと、考えたこともありません」
マナは冷静な表情で答えた。
「セシールは従士である前に、私の友達です。かけがえのない存在です。セシールを助けることにそれ以上の理由は要りません」
「―――青二才が。従士を、友だと? 身を守る為の道具を、かけがえのない存在だと?」
ギリッとバジリオの表情が歪んだ。
今までの冷笑や侮蔑ではなく、明確な怒りを浮かべる。
「道具に愛着など持つな! 期待などするな! 僕の部下達を見てみろ。どいつもこいつも吐き気を催すようなクズ共だ。だからこそ、簡単に捨てられる!」
何か、身に秘めた物を触れられたかのように、バジリオは声を荒げる。
心底不愉快そうに、マナを睨みつける。
「使徒とは時として、非情な判断を迫られることもある。部下を犠牲にしてでも、生き延びなければならない時がある。それが神に選ばれた者の義務と言う物だ!」
怒り狂うバジリオを、マナは冷静な目を向けていた。
怒りが浮かんだバジリオの白金色の眼。
その怒りの奥にある、感情に気付く。
「…あなたは、そうしたのですか?」
「―――――――――ッ」
声を荒げていたバジリオの口が閉じる。
「セシールに聞きました。使徒コマンダンは従士を大切にした英雄だと」
仲間を一人も見捨てない理想の使徒。
リーダーシップがあり、多くの従士を従えた英雄。
「なのに、あなたの傍には誰もいない。それはどうしてですか?」
バジリオと共に戦ったと思われる従士は誰一人いない。
恐らく、バジリオが信頼していたであろう仲間はもう誰もいない。
「あなたはきっと、誰よりも従士を大切していた。でも、それを全てを失ったから、私の言葉が受け入れられないのではないですか?」
彼の目的は、この村の人間を兵士に変えること。
言い換えれば、新たな従士を作り出すことだ。
「…命令」
「ッ!」
バジリオの返答は、拒絶だった。
その白金色の眼がマナを射抜き、バジリオの口が新たな命令を下す。
「させない!」
瞬間、それを邪魔するように小さな袋がバジリオの顔へと飛んできた。
「…何だ?」
咄嗟に手で弾き落とした袋から粉のような物が宙を舞う。
「コレは粉? 目晦ましのつもり…ッ!」
言いかけてバジリオは喉を抑えた。
焼けつくような激痛に思わず咳き込む。
「お、前…ゲホッ、ゲホッ…!」
「それは唐辛子の粉だ。しばらくは声も出せないぞ」
ゆっくりと立ち上がりながらセシールは言った。
「セシール…」
「治療、ありがとうございました」
心配そうに自分を見つめるマナに、セシールは小さく頭を下げる。
無理をしたことなど、色々とマナに言いたいことはあるが、それよりも逃げる方が先だ。
バジリオは今、声が出せない。
即ち、命令を口に出すことが出来ない。
「今の内です。急ぎましょう!」
セシールはマナの手を掴み、塔の出口へ目を向けた。




