第百三話
「『声』は聞こえているな?」
確認するように、セーレはマナに言った。
「聞こえているよ」
マナは自身の耳に手を当てながら頷く。
世界中の『声』を聞く能力。
それはもうセーレから失われているが、マナにはしっかりと引き継がれている。
今はまだ、救いを求める全ての人々の声を聞くことなど出来ないが、セーレを見つけた時のように意識して一人を見つけ出すことくらいは出来る。
「コレは、サマエルの声だ」
「よし、そこが奴のいる『魔都ソドム』だ。そこへ向かって全員を転移するぞ、準備は良いな!」
マナの手を握りながら、セーレは不敵な笑みを浮かべた。
本来、転移は一度行ったことのある場所にしか移動出来ないが、マナの能力を頼りに転移する。
マナとセーレが同じカナンの魂を共有するからこそ、出来る芸当だ。
二人の足下に光の陣が浮かび上がり、それは次第に広がっていく。
「マナ様、無理はなさらないで下さいね」
「セシール。私は大丈夫だよ」
駆け寄ったセシールはいつも通り、心配そうな顔で言う。
ソドムへ向かうのは、マナ、セーレ、セシール、バジリオ、オズワルドの五人だけだ。
「…本当にこれだけで良かったのでしょうか、カナン様」
「俺をカナン様って呼ぶな、石爺」
真面目な顔でそう言うオズワルドに、セーレは呆れたように訂正する。
意外と柔軟なバジリオはあっさり受け入れたが、オズワルドは未だセーレとカナンを別物と認識できていないようだ。
「仕方無いだろ、転移の都合上これ以上多くの人間を移動出来ねえんだから」
「それでも他に手はあったと思うが?」
「…戦略的にも、あまり大勢で戦うのは却って不利になる。奴の悪法を知っているだろう?」
バジリオの疑問に対し、セーレは冷静な目で答える。
サマエルの悪法は自身を憎む者を悪魔に変えること。
この聖都に残っている者達は皆、法王を殺害したサマエルに対して憎しみを抱き過ぎている。
連れて行けば、それだけ敵の戦力を増やすことにしかならない。
「そう言う意味では、そこの石爺も連れて行きたくないんだがな」
「問題ありません。未熟な若造でも無し、自身の心に制御することなど造作もありません」
「…何で『未熟な若造』って所で僕の顔を見たんだ? おい。お前の僕は同い年の筈だろう?」
含みのある言葉にバジリオがその白銀の眼で睨んだが、オズワルドは無視した。
冗談を言う余裕があるなら、復讐に取り憑かれることも無いだろう。
「憎しみでは戦うなよ。奴は神の悪意。この世の全ての悪意を担う者だ。そんな感情は全て、奴の支配領域だからな」
セーレもかつて、サマエルを憎んだことがあった。
作戦の為とは言え、少なからず本音でも彼を憎んでいた。
そうして始まったのは、憎しみと憎しみのぶつかり合い。
それでは、駄目なのだ。
憎悪では奴を倒せなかった。
奴の呪いを解くのは、きっと…
「時間だ。ソドムへと転移する………全員、死ぬなよ」
セーレのその言葉を最後に、五人の姿は聖都から消え失せた。
荒れ果てた町並み。
人の生きていた痕跡を確かに残しながらも、既に生活感の失われた町。
道を歩くのは人でなく、異形の悪魔達。
禍々しい魔性が包む魔都。
「ここが、ソドム…」
廃都ゴモラとはまた違った意味で、人間の気配を感じない場所だった。
崩れ去った建物の上には、不気味な彫刻が幾つも作られている。
それは人の神では無く、悪魔を崇める為の像だ。
神の愛、神の神秘が一切感じられない背徳の町。
それがソドムだった。
「…あのお城」
マナは耳を澄ませながら、前を指差す。
その指の先にあるのは、朽ちた廃城。
深い崖に囲まれた、ソドムで最も大きな建物だ。
「あの場所から、サマエルの声が聞こえる」
「そうか、なら…」
『ようこそ。愚かなる神の使徒諸君』
その時、サマエルの声が辺りに響き渡った。
マナだけでは無く、ソドム全てに響くような声だ。
「チッ。やはり気付いたか」
『当然でしょう。声を聞く能力を持っているのは、お前達だけでは無いのですよ』
舌打ちをしたセーレの言葉に、サマエルは平然と答える。
どうやら、こちらの声も聞こえているようだ。
『まあ、こんな力。欲しくて手に入れた力ではありませんがね。五月蠅くて、五月蠅くて、頭がおかしくなりそうな、こんな物』
「………」
世界中の救いを求める声を聞く能力。
誰にも救いを与える気が無いサマエルにとって、それは無用の長物だ。
毎日毎日頭の中に響く声に、人類と神に対する憎しみが募るばかりだった。
『人間を全部殺せば、世界は静かになりますかねェ。そうすれば、私の苦しみも少しはマシになると言う物ですよ』
「…サマエル」
『何ですか? マナ=グラース』
マナは真っ直ぐ廃城を見つめながら、言葉を口にした。
サマエルの過去を見たことで、ずっと心で思っていたことを。
「あなたを、自由にしてあげます。あなたを苦しめ続けてきたその呪いから、解放します」
『………………』
それは同情では無く、決意だった。
サマエルを倒すだけではなく、その呪いから解放する。
マナは人類を救うのだ。
その人類には、当然サマエル自身も含まれている。
かつてシモン=マグスと呼ばれた人間を、神の呪いから解放する。
『…は』
マナの言葉を聞き、サマエルは失笑した。
この娘は何を言っている?
自由にする? 神の呪いから解放する?
『はははははは! そんなこと、とうの昔に諦めたわ! 私に自由は無く! 呪いに限りは無く! 我が憎悪に終わりは無い!』
諦めると言うことを知らないサマエルが、初めて屈した運命。
人間になりたい、と言う願いはとうの昔に諦めた。
その憎悪と絶望を込めて、サマエルは己の魂を引き裂くように叫ぶ。
『我が悪意は増殖する』
ズズズ…と地面から這い出るように現れたのは悪魔の群れ。
女の顔と蝗の体を持った、悍ましい怪物。
体長は二メートルを超える、悪魔の蟲。
「な…」
その数を見て、セシールは思わず声を上げた。
空を埋め尽くす蟲の数は、三百を優に超えている。
「どうして、これ程の数が…!」
シュトリの活躍で、サマエルに宿る命は百まで減少していた筈だ。
もう三百を超える悪魔など、生み出せる筈がない。
「…予め、ソドムにストックを用意してたってことか?」
雲のように密集した蟲を睨みながら、セーレは呟く。
聖都を襲撃する前から、保険としてソドムに配置していた悪魔がいたのだろうか。
「いや、違う。よく見ろ」
セーレの言葉を否定し、バジリオは大群の一角を指差した。
バジリオの指先では、壊れた瓦礫の中から蟲が這い出る所だった。
まるで煙のように、瓦礫をすり抜けて空へ上っていく。
「アイツらは、幻覚だ」
「ッ! そうか、サマエルはアンドラスの能力を…!」
思い出したように、マナは叫ぶ。
マナ達の前でサマエルはアンドラスを殺した。
殺して、その魂を喰らったのだ。
アンドラスの持つ能力ごと。
「なるほど。何であの時一度退いたのか疑問だったが、その為か」
記憶を取り戻したセーレと対面した時、憎悪の言葉を吐きながらもサマエルは撤退した。
一秒でも早く殺したい筈のセーレを前に、ろくに攻撃もせず退いたのは、新たに手に入れたアンドラスの能力を馴染ませる為だったのだ。
蛇のように狡猾なサマエルらしく、確実にセーレを殺せる力を得る為に。
「アンドラスと違って歌を聞かせる必要も無いようだな。まあ、アイツの歌なんて聞きたくも無いが」
「アレが全部幻なら、私達に攻撃することも出来ないんじゃないの?」
「………そう甘くも無いだろうな」
「どう言うこと?」
「…こう言うことだ」
空を舞う蟲の一匹が、口から毒針を放った。
マナを狙ったその一撃をセーレは青白い粒子を纏うことで、防御する。
「幻なのに、実態が…ある?」
「本物が幾つか混ざってやがる。見分けるのは流石にキツイぞ」
苦い顔を浮かべてセーレは言った。
今攻撃してきた個体も、群れに紛れて分からなくなった。
空に浮かぶ三百の蟲の内、本物は五十にも満たないだろうが、見分けがつかない限りは全部の攻撃を防ぐしか無い。
厄介な作戦を考え付いた物だ。
「セーレ。ここは僕に任せろ」
考え込むセーレに対し、バジリオは空を睨みながら言った。
「アレはアンドラスの悪法だ。僕はアンドラスを打倒する為、幻と実体を見分ける訓練もしてきた」
「…貴様には本物が見えているのか?」
「『眼』にだけは自信があるんだよ。僕は」
セーレと会話しながらも、バジリオは真剣な表情で蟲の群れを目で追っていた。
羽根の動きの違和感、建物をすり抜ける光景、それらを見抜き本物を探している。
「こいつらの相手は僕だけで大丈夫だ………と言いたい所だけど、僕だけでは本物を見抜いても仕留めることが出来ないからな」
「…そうだな。私もここに残ろう」
今まで黙って様子を窺っていたオズワルドは大きく頷いた。
この蟲達の相手は、二人だけで十分だと。
「…任せて良いんだな?」
「ああ、勿論」
最後に確認するセーレに、バジリオはあっさりと言った。
その眼を真っ直ぐ見た後、セーレはバジリオに背を向ける。
「バジリオ…」
そんな二人のやり取りを眺めた後、セシールはバジリオに視線を向けた。
「お前も早く行け。心配しなくても、僕は死なない。僕の伝説は知っているだろう?」
心配そうに呟くセシールに、バジリオは冗談めかして言った。
どんな戦場からでも必ず生き残る使徒。
仲間を犠牲にしてでも必ず生き残ってしまう使徒。
本人が忌み嫌っていた筈の伝説を口にして、セシールを元気づける。
「お前も死ぬな。負けても良い。逃げても良いから、必ず生き残れよ」
「に、逃げたりなんかしない! 私はマナ様と共に奴を倒し、生き残る!」
「…そうか。なら、それでもいい」
「………あなたも、気を付けて」
最後にそう言い残し、セシールは先を行くセーレの後に続いた。
サマエルのいる城へと向かっていく三人を見送り、隣に立つオズワルドへ目を向ける。
「かの賢者カナンの為、悪魔の群れを相手するなんて、まるで英雄みたいだと思わないか?」
長い付き合いの旧友にバジリオは笑みを浮かべて言う。
「得た力に溺れて、使徒の地位すら失ったこの僕が、だぞ? 笑えるよな、オズワルド」
「………」
「ただ、こんな僕でもな。もう仲間を失うのは嫌だ、って思うんだ」
白銀に光る眼で蟲の群れを睨みながら、バジリオは言う。
「だったら仕方ないよな! 例え分不相応でも、英雄の真似事をするしかないだろう!」
三百を超える蟲を全て視界に捉え、本物を探し出す。
「オズワルド! 本物の数は四十八匹だ! 場所は、あの建物の上の二匹、その次は…!」
「了解した」
バジリオの指示に従って、オズワルドは法術を放つ。
光に撃ち抜かれた蟲が黒い煙を上げて、地上へと落ちる。
(こんな奴ら、数が多いだけだ。あの城の方が、危険度は高い筈…)
蟲の数を減らしながら、バジリオは一瞬だけ廃城を見る。
(頼むから、誰も死なないでくれよ)
そう、心の中で神に祈った。




