第百二話
遥か昔、五百年以上前のこと。
『トペテ』と言う名の、貧しい村があった。
未だ賢者カナンもケイナン教も生まれる前の話。
彼らは彼ら自身の神を信じ、日々の平穏を祈っていた。
貧しい日々に対する不満や不安を抑える為の拠り所として、その神は無くてはならない存在だった。
『………』
その村に、シモン=マグスは生まれた。
あまり裕福では無い生まれだったが、彼はそれを不幸だとは思わなかった。
子供の頃から毎日働き、ささやかな食事を得るだけの生活。
そんな日々を、愛していた。
『…またか。コレで何人目だ?』
『何故だ。神は一体、どうして…』
シモンが十を迎えた頃から、村には『奇病』が蔓延するようになった。
外傷などどこにも無いのに、身体が氷のように冷たくなり、絶命してしまう死の病。
シモンの両親も真っ先に病に倒れ、命を落としてしまった。
まるで、魂を喰われたかのように死んでしまった。
信心深い村人達はそれを『神の怒り』であると思い込んだ。
それが悲劇の始まりだった。
『ぎゃああああああああ…!』
年に一度の『祭り』の日、子供の絶叫が響いた。
『生贄』の悲鳴だった。
この村『トペテ』では、ある神が信仰されていた。
その名は『モロク』
涙の王とも呼ばれるこの神は、生贄を好む邪神だった。
特に子供の生贄を好み、若ければ若いほど喜ぶと言われていた。
『まだだ。まだ呪いが収まらない。神はもっと生贄を望んでいるんだ!』
『今年は誰だ? 神に捧げられる名誉ある生贄に選ばれた子供は!』
狂信。
奇病によって自分や大切な者が死ぬかも知れない恐怖。
これまで心の拠り所であった神の怒りに対する畏れ。
狂った村人達は、生贄を捧げ続けた。
年に一人だった生贄が二人になり、三人になり、
遂には村の子供は一人もいなくなってしまった。
『いつまで、いつまでこんな馬鹿なことを続けるつもりだ! こんなことをして村が救われると本気で思っているのか!』
シモンは常に叫び続けた。
神が生贄など、望む筈がない。
神が何の罪も無い母と父を殺した筈がない。
『私の両親は病で死んだ! お前達にやっていることは、神の名を騙った殺戮に過ぎない!』
そう、狂った人々に訴えた。
いつか正気に戻ってくれると信じて。
『何と不敬な言葉だ。背信者め!』
『思えば、お前は今村で最も若い男だ。丁度良い。神への生贄としよう!』
その時のシモンは二十歳となっていたが、もう村にはシモンより年下の人間は存在しなかった。
生贄へと選ばれたシモンは、祭壇の箱に入れられ、生きたまま火で焼かれた。
『あ、あああああああァァァ! 熱い…! 熱い…!』
全身を包む熱と激痛に、シモンは地獄を味わった。
涙を流す眼は、いつの間にか開かなくなり、手足の感覚は無くなり、喉も焼け付いた。
『――――――』
しかし、全身を焼かれながらもシモンは生き残った。
既に使徒として覚醒していた肉体は、瀕死のシモンを無理やり生かした。
その代償は大きかった。
眼は見えず、手も足も動かせず、喉さえも動かない。
ただの焼け残った肉塊。
それが今のシモンだった。
当然ながら、村人達はシモンが死んだ物だと思い、焼けた箱を祭壇に詰めた。
『――――――』
シモンは唯一無事だった耳で外の音を聞き続けた。
それは、火炙りになった苦痛に勝る地獄だった。
シモンが生贄となった後も、狂気に囚われた人々は凶行を続けた。
生贄に選ばれるのに、男も女も関係無い。
次々と知り合いが焼かれていく音を、シモンは箱に入れられた状態で聞かされ続けた。
(何も、見えない。痛い。苦しい。誰か、助けてくれ。助けて、助けて、助けて………神、様…)
全身を苛む痛み。
何も出来ない絶望。
いっそ殺してくれ、と望みを口にすることも出来ず、
食事も睡眠も不要とする使徒の肉体が、それを赦さない。
シモンにはただ神に祈ることしか出来なかった。
この村で信仰されている邪神では無い。
本当の神に。
全ての人類を救う神に。
『―――――あ』
それから何年か時間が経過して、シモンはやがて悟った。
この世に、人を救う神などいないのだと。
それを理解すると、不思議なことに身体の傷が段々と治っていった。
初めに喉が治り、手足が機能を取り戻し、視力も戻った。
『…は』
長年入れられていた箱を破った時、口から笑みが零れた。
こんな簡単なことだったとは。
ただ、神を否定すれば良かった。
この信仰心を捨てれば、それだけで良かった。
自分を救えるのは、自分だけなのだから。
『ははは…ギャハハハハ!』
さあ、復讐を始めよう。
自分に地獄を味合わせた村人に復讐しよう。
一人残らず、火炙りにしてやろう。
そう考え、シモンは数年ぶりに瞼を開いた。
『…?』
その視界に入ったのは、憎い村人達の姿では無く、
荒れ果てた村の跡だった。
あれから、一体どれだけの時が流れたのか、村に散らばるのは白骨化した死体ばかりで、生きている者は一人もいなかった。
眩暈を感じながらも、シモンは喉の渇きを感じて近くの川へ向かった。
『…お前は、誰だ?』
川の水を飲もうと顔を屈めた時、シモンは呟く。
水面に映る男は、シモンの記憶にある自分では無かった。
黒く濁った不気味な瞳に、蛇のように細い金色の瞳孔。
額にも開く第三の眼。
火傷が治った両腕に浮かぶ爬虫類のような鱗。
まるで悪魔のような男がそこに映っていた。
『…は。そう言うことか』
シモンの顔が歪む。
彼らは、間違ってなどいなかったのだ。
この村に奇病を『呪い』をばら撒いていたのは、シモンだったのだ。
彼らを狂わせ、村を滅ぼしたのは、シモン自身だった。
『はは…ははは…』
シモンは狂ったように嗤いながら、故郷の村を去った。
自身が、悪魔に取り憑かれたと信じて。
『………』
それから更に数年が経ち、滅んだ村の名前も忘れ去られた頃、一人の賢者の名前を聞くようになった。
賢者カナン。
数名の弟子と共に旅を続けていると言う者だ。
『…詐欺師の集団か。少し興味があるな』
既にこの世に神はいないと考えていたシモンは、カナンを詐欺師と決めつけていた。
だが、その集団の中に自分と同じ悪魔に取り憑かれた者がいるのではないかと思い、考えた末に接触することを決めた。
『………』
盲目の男を演じ、カナンの弟子になることに成功した。
そして、彼らを観察する内に彼らの持つ力が本物であることを知った。
『…まさか』
同時に、彼ら使徒の特徴が自分にも当てはまることを知り、自分も彼らと同じ存在であることに気付く。
シモンは悪魔に取り憑かれたのではなく、神に選ばれた使徒であったのだ。
『…そんな、そんなことが有り得るのか? 私が神から授かった力は、奇病を広め、人々を殺す力だとでも言うのか?』
どうして、神はそんな物を自分に与えたのか。
どうして、この者達と同じ物を与えてはくれなかったのか。
『…神は、私を救わなかった。それどころか、こんな呪いを私に押し付けた…!』
憎い。
存在しながらも、一切救いを与えなかった神が憎い。
何の罪も無い村を滅ぼす為、自分にこんな呪いを与えた神が憎い。
そして、
『シモン…?』
自分とは違い、神から救いを与えられた者達が憎い。
神が我を救わないと言うなら、自身が神となり、この我を救おう。
神の生み出したこの世の全ての生命を殺し尽す。
それこそが、全てを失った我の最後の救いである。
『はははは! ギャハハハハハハハハハ!』
「ッ!」
「マナ様? どうかしましたか?」
サマエルに対する作戦会議中、
急に青ざめたマナに気付いたセシールは、心配そうに呟いた。
「セシール…いや、何でも無い」
「…『見た』のか?」
「え?………セーレも?」
マナは今見た物に怯えるような顔で、そう尋ねた。
セーレもあの地獄を見たことがあるのか、と。
「…昔、な。あの頃の俺はどうしようもない程に鈍く、あの地獄を見ても何とも思わなかった」
そのことを後悔するような表情でセーレは吐き捨てた。
僕だけが知っていた。
シモン=マグスの持つ闇。
彼が味わった地獄を知っていた筈だった。
今更後悔してもどうにもならないことではあるが、考えずにはいられない。
もし、あの時もっと違う言葉をかけることが出来ていれば、何か変わったのではないかと。
「…セーレ。あの人を倒そう」
「…ああ、勿論だ。それで世界は救われる」
迷いはない。
後悔はしても、奴を倒すことに何ら躊躇いは無い。
「五百年以上もの間、世界中の悪意を担い続けたあの人を………その呪いから解放しよう」
「…そう、だな。勿論だ」
世界だけでは無く、シモン自身を救う為にも。
(この力はきっと、その為にあるのだから…)
権能の宿った自身の手を眺めながら、マナはそう決意した。




