第72話 後始末は何度でも
本日1回目の更新です。
後始末、というのはつまらないもので、重要な割に見せ場がごく個人的であり、誰かにとってひどく感動的であることが、誰かにとっては気にもとめられないことであったりする。
よって、ごく簡潔にまとめよう。
元宰相マキュレイ・フェルデイシアは未だ痕跡も見つからず、行方不明のままとなっている。
おそらくは新王の即位後、同じく行方不明のヴェルデリア四世とともに、死亡扱いとなるだろう。
〈耳長の姫〉に王位継承権はなく、直系も途絶えてしまったため、後継者問題はもめにもめているようだ。
当の本人は、諜報組織でもある〈王の耳目〉を用いて国の状況を整理させ、非公式に支援を取りつけるなど元気に暗躍しているらしい。竜臣スクィーズは人の姿で、変わらず姫君に付き従う。
〈諫めの一族〉として王の代役を務め(させられ)たベルーシャは、今は役目を大叔母に返し、一介の貴族として動いている。
一方で、"黒竜の貴婦人"の名が知れ渡り、求婚の話が殺到中。帝国との交渉まで加わって、忙殺に近い状態にある。
ルカは補佐として側についているが、最近はこりない求婚者を追い払う姿のほうが多いかもしれない。
警邏隊は現場を駆け回ると同時に、人手不足となった騎士の役目も請け負うこととなり、日々東奔西走の有様だ。隊長に逃げられた、と元副長はこぼしていたとかどうとか。
鞭の武器精霊レウと、その主である医師とは、被災した病人や怪我人の診察に追われている。バドウ商会は国のあちこちで支援に回りつつ、運路と人脈の更新に余念がないようだ。ロコンチェルキ家の屋敷は一部損壊したが、使用人たちは全員無事で怪我もなかった。
そして――
「お召し替えの時間です」
「そう? ……わかった、出るよ」
――シェルは仲間の雑事を手伝いつつ、じっと、主の目覚めを待っている。
気絶したあの日から十数日、時に高熱にうなされながらも、梨々は昏々と眠り続けていた。
武器精霊であるシェルに、寝食は本来必要でない。戦闘がなければ疲労も少なく、その特徴は病人の看護にも向いている。
とはいえ徹夜を重ねれば、精神的な負担は相応にかかるのだが。
「あまり無理をなさいませんよう」
「ルカがやってたことを俺ができないはずがないでしょ。大丈夫、慣れてるよ」
目に見えるところで倒れている分ましだと思う、とまでは口にしなかったけれども。
*
宙空に無数の画面が浮かぶ中、長い墨色の髪を泳がせる女性が現れる。
梨々よりも背の高い、肉感的な体つきは、ゆるやかな服の下でも隠せない。
「……リーシャさん」
「また会えた――いえ、初めましてになるのかしら。八百年超の知を取り込んでしまったあなた」
上から下から左右から、ぼそぼそと絶え間ない誹謗を背景に、リーシャはただにこりと笑う。
細切れに、繰り返し画面に流れるのは、全て梨々の記憶だった。
無意識下に続く嘲罵は、自覚するまでとらえることもできない。
重奏され、輪唱され、アクセントのように蒸気が鳴る。肉と金属の接触に音が立つ。
「右手、戻ったのね」
「――はい」
知らず手首の上を対の手で覆う。梨々の右腕だという、明確な証がそこにある。
痛みはない。呪いは聞かない。
ただ、どうしても確信が持てないだけだ。
「あの、」
思い切って言いかけた唇を、指ひとつで相手に押さえられる。梨々よりずっと大人の顔。
「駄目よ、それは遠慮じゃなくて逃避。あなたはそんな弱い子じゃない」
「でも」
梨々にもわかっている。
今ここにある"リーシャ"は、梨々が以前シェルから奪い、返した記憶の写しだ。
その有様は単なる記憶ではなく、人格を持つ魔法に近い。蓄えた知識と技能と経験を、梨々に刷り込み続ける魔法である。
しかし、"リーシャ"の人格はほぼ間違いなく、シェル達の創造者、リーシャ・レグラントなのだ。
ならば彼は、かつての主をこそ喜ぶのではないか……自分などより、よほど。
「怖い?」
「え、」
「奪われるか与えることしか知らない子はね、得ることや受け取ることが怖くなるの。それは超えなくてはならない怖さなのよ」
失うよりも、得られてしまったほうがよほど恐ろしい、と感じる人間はいる。他者という不確定に耐えられないのだ。
壊して、無にして、孤独になれば、静謐な確定だけが残る。安らぎに似た心地さえする。
ただ、それでも
「わたし、〈私が、望むの、は……〉」
始まりの呪が、波打つ。
引き潮のように雑言が遠ざかり、微苦笑した魔術師が頷く。
「何度でも解けばいいの。あなたの呪いは、あなたがかけたのだから」
*
ほのかな温かみが肌を撫でた。
温度差に体が震え、かすかな肌寒さに気づく。
息をこぼす唇も、舌も喉もかさついているのがわかる。
暑いような、寒いような、乾くような湿気るような、脳の混乱を来す情報。
ふいに、聴覚から追加の情報がやってくる。
「リリ様、もう少々ご容赦ください。汗を拭きませんとお体に障りますので――」
「……ジェイ、さん?」
こぼした声は、梨々の思うより細い。
瞼を押し上げる。視界はぼんやりとして、人影と天井の色くらいしかわからない。
それでも何度か瞬くと、固まったままの世話役とようやく目が合った。
窓の外が明るい。室内の大半は灰色がかり、でも下のほうは真っ白で。
もう日が昇ったのだと、梨々は思う。
「おはよう……?」
「――ッ、おはよう、ございます」
目の端に知らない天蓋が映る。
頭がうまく回らない。
寝台に沈む全身は重怠く、息をするたびに心許ない寒さが届く。
梨々は何気なく視線を下に移し――己の素肌と、剥がされた寝衣を認めて。
……表情の割に悲鳴はひどく細かったため、部屋に飛び込んだ忠実な精霊は、勢いよく外に弾き飛ばされただけで済んだという。
次回は5/4夜18時頃更新です。




