エピローグ 死なねば少女の望むまで
本日2回目の更新です。
突然だが、この世界には蒸気車、つまり車輪を用いた移動の概念がある。
ならば、この発想があるのも当然だろう。ただ、向こうで見たものよりも原始的と見える造りに、梨々は少々驚いている。
彼女の目の前に用意された、板組みに持ち手と四つの車輪をつけたそれは、
「車椅子、ですよね?」
「倉庫から出して参りました」
梨々の確認に、軽食入りの籠をさげたジェイが頷く。
なんでもベルーシャの父は発明家の気質があったらしく、倉庫にはこうした"発明品"が数多くしまわれているそうだ。ちなみにバドウ商会とのつながりもそこから来ているという。
閑話休題。
「さあ乗って乗って! 座面は変えたし膝かけもあるよ」
傘を携えたシェルに促され、梨々は手を借りて車椅子に乗り込む(板組みに足をかけなければ座れないのは、そうと称していいだろう)。
シェルの手が膝かけを被せてわきに留め、薄手の肩かけを調整して、料理長謹製の籠を受け取ると、後ろから大ぶりの傘を差す。
「まぶしいといけないからね」
見上げる梨々に一言添えて、車椅子を押し出した。動きは意外にもスムーズで、何らかの魔法も使われているのか、ありがちな揺れも感じない。
男性使用人が、屋敷の大きな扉を開く。久しぶりの外光に、梨々は気づかれぬよう目を細めた。
――梨々が目を覚ました後、医師の指示でリハビリが始まった。度重なるダメージに寝たきりが重なり、梨々の身体は著しく機能低下していたからだ。
食べること、座ること、立ち上がること、歩くこと……その全てに、シェルはかいがいしく付き合った。おかげで梨々は十日ほどで、屋内の短い距離ならば歩けるようになっている。
そうした間に、気候はすっかり暖かくなり、『お昼のリハビリは中庭ね!』とシェルに突然告げられたのだった。
「寒くない?」
「大丈夫です」
言いながら、梨々は背もたれに体を預ける。
傘に半ば覆われた空は、切れ目のない広さを誇るように青い。
落下を止められた配管も落ちかけで外された配管も、今は等しく処理場に一時保管されている。〈食らうもの〉が消えた今、再び空が配管で区切られることもないのだろう。
蒸気車のために舗装された道を進み、屋敷の修繕に務める人達に一礼して――手を振られたので振り返してみたのだが、なぜかそれまでより速い進みで遠ざけられた――覚えのある中庭に出る。
途端、梨々は目を丸くした。
大ぶりの、小ぶりの、名も知らぬ彩り豊かな花々が、芝生の垣となって咲いている。
淡い薄物を何十と重ねたような、ころりと丸い花が薔薇のようだと思うくらいで、他は想像もつかない。
車椅子を降りて花垣に近寄れば、甘く瑞々しい匂いにくすぐられる。それでいて消えるのも早く、絶妙な配置で気分を悪くさせない。
「不用意にかぐと刺されるよ」
暗に虫の存在を知らされ、ぱっと体を退く。その反応がおかしかったらしいシェルは梨々の手を取ると、そのまま垣根沿いに歩きはじめた。
日差しは明るく、差し掛けた傘の影も淡い。うららかと呼んでいいような、春の陽気である。
「前は気づきませんでした」
「あの時は全然咲いてなかったし、配管の被害で植え替えたものもあるからね。……本にも夢中だったし?」
それもある、けれど一番の要因は、余裕がなかったことだと梨々は思う。
あの頃は、相手の期待に無条件に従うやり方しかなくて、そうでない関わり方も、そうしない自由も知らなかった。そうあっていい許可すら浮かばなかった。
――義務教育も終えていない梨々に、生まれる前から呪われていた子供に、手探り以外の知識なんてない。
「私は、何も知らないから」
(……それでも、あなたが『主』と呼ばなくなったことは知っている)
「わからないことが沢山あるから」
(……それでも、あなたが小さな子の看病をし慣れてることはわかっている)
シェルが主を求めたのは、前の主の死後半年以内に、新たな契約が必要だったからだ。
梨々が"主"とされたのは、幼くして亡くなった昔の主に似ていたからだ。
けれども、梨々は一度〈食らうもの〉によって死んでいる。つまり契約は切れている。
かいがいしく傘を傾けて、歩みを合わせて、シェルが世話を焼く必要は本来ないのだ。
むしろ、早く新たな主を探さねばならないのに、引き留めているのはこの姿のためなのだろう。
外出用の靴が止まる。
迷惑も負担もかけなくないのに、彼にとっての最善がわからない。何度も、何度も、頭が同じ箇所をなぞって、停止ボタンも見つからない。……私は本当に、なにも
「どうしたの、疲れちゃった? 車椅子戻る」
「シェルさんは、」
――違う、それは遠慮ではなく逃避だ
「私が、シェルと契約したいの!」
*
時の止まる瞬間は存在する。風すらも動きをためらうような一瞬。
「……ほんとに?」
瞠目したまま囁く声は、ひどく幼い子のようで。
「ねえ、本気で言ってるの」
「だ、だめなら――」
「そうじゃなくて! 本当に気づいてないのかってこと!」
一瞬で日和った梨々に、爛々とした緑瞳が詰め寄る。そう言われても、梨々には疑問符しか浮かばない。
その様子で察することがあったのか、シェルはため息のままにしゃがみこんだ。
「あのね――ひとまず、俺達はもう契約済みです」
曰く。
召喚オークションでシェルがとった手段は、保護も含めた最終手段に近いものであり、通常は双方の同意によって契約できるのだという。
それも、相手を望む想いが強いほど、早く契約状態に変わるのだとか。
「え、だって、『主』呼び全然しなくて」
「帰ってから呼ばれるの嫌そうだったし、生きてるうちに名前呼ぶのは主義に反するし……最近遠ざけられてる気がしてたから」
遠ざけてなんて、と言いかけて梨々は振り返る。
悲鳴からのドアごと弾き飛ばし事件とか。
階段の上から下まで"お姫様抱っこ"事件とか。
利き手が使えるのに続きそうだった"あーん"事件とか。
右腕の痕について話した直後の治癒強行未遂案件とか(注:回復魔法は舐めるのが一番効く)。
「……えっと――」
「あーでも良かったぁ、主が俺の主でいてくれる気がちゃんとあって!」
……彼の前の主達の大半は、生まれる前からシェルがいる環境だ。それで違和感がなかったのだろう。そういうことにする。
そういうことにしないと、このふにゃふにゃの表情がきっと消えてしまうから。
*
瑞々しい葡萄を手に、彼女が言う。
「〈天を引き裂く〉」
「ん?」
「――私と、契約していてくれますか?」
「勿論!」
……あぁ、やっと笑った
ここまで読了ありがとうございました。
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