第67話 ユイゲン、警邏隊長職に忙殺される
ツァルデン王国において、拐かされた姫君と同じかそれ以上に、男色は忌むべきものである。
かつて臣下であった父祖が王位を奪ったのが、仕えていた王が男娼に狂い、国庫を著しく傾けたせいだからだ。
ゆえに、マキュレイに向かう王の目が蔑視の色を帯びるのは、もはや条件反射に等しい。王に最も近い男が、長らく陰日向に支えてきた男が、王によく似た見た目の男を囲っていたのだ。この国で、彼らにとって、それは裏切りや冒涜と言った言葉では足りなかった。
「──陛下」
「寄るなっ!」
とっさの叫びに、ヴェルデリア王は顔を歪める。親と兄たちが続けて病死し、即位直後に王族の直系が皆粛正を受けた今、ヴェルドであった彼を知るのは目の前の友──友であったかもわからない男しかいない。
「お前は……お前は……わかっているのか、国と王権に対する大罪だと」
「ええ、判事を待つまでもない」
宰相であるはずの者は、ただ静かに微笑んでいる。先ほどまで、王が浮かべていたのと同種のものだ。
己の死に役目があると、散り時は今なのだと、悟りきった微笑。
王がその違和感にとらわれた一瞬、宰相の胸が放射状に割れる。
「ご、はっ……!」
「マキュレイ?!」
くずおれる端からおびただしい体液が流れ、友と呼んだ者の体がひび割れていく。だが王は、ヴェルデリアは名を叫ぶことしかできない。古き転移術の赤光が、彼を捕らえて離さないのだ。
「なぜだ! 何をする気だ!?」
「──星、を」
必死に問う声に対し、応える声はあまりにか細い。
ひび割れはもはや全身に達し、流す体液は服も床も吸いきれず溢れていく。
だがまだかろうじて生きていた。その身に埋めたらしい禁術が生かしている。
「あなたに、星を──」
かすかな声が薄れ、しとどに濡れた顔が赤光にかき消えていく。
(なぜ)
──それは、彼も忘れていたほど遠い記憶。
王太子である兄の婚約者となった少女は、まだ幼子でしかない末王子にも優しかった。彼は未来の義姉姫を慕い、兄よりも構われているとよくからかわれた。
『わたしは、ほしのことをまなびたいのです』
忙しい父母や兄たちには言えず、彼女にだけそっと教えた夢。暦と星と未来の不思議なつながりを、彼女だけが楽しそうに聞いてくれた。
『ないしょですよ、ぜったいですよ』
『ええ、絶対の内緒です』
穏やかな交遊は、ある日突然終わりを告げる。兄の婚約が急に破棄され、義姉になるはずだった少女は忽然と姿を消した。病死、と聞いたのはそれからしばらく後のことだ。
『忘れろ、ただの流行病だ』
そう冷淡に言い捨てた、兄たちがまさに突然の病で亡くなったのは皮肉でしかない。しかし今重要なのはそこではない。
(なぜ、お前が)
いつかあなたに、星を学ぶ場所を──幼い約束は、色あせた素描より薄れている。
だが、それを呼び覚ましたのは。
呼び覚まして、しまったのは。
ひびにも体液にも侵されぬ、姫と同じ目のやわらかさだった。
*
女として一切が終わった日
あなたのくれた〈星百合〉に
慰められたあの日から
わたくしはこの命限り あなたを生かすと誓ったのです
──この世の全てを砕いても
*
足下の揺れる感覚に、はっと梨々は顔を上げる。
シェルも身を起こし周囲を警戒する。
「地震……?」
「〈竜の足踏〉じゃない、これは──」
転瞬、シェルは少女を腕に飛び退く。半秒で折れた配管がどこからか墜落、天井をぶち抜き床を穿つ。
しかし異様はそれに留まらず、丸太に等しい配管に幾何学の光が走ると、霧と弾けて消えてしまったのだ。
「っ〈飛ぶ〉よ、しっかり掴まって!」
転移の気配に、梨々は青年にしがみつく。揺らぐ、と感じたときにはもう、覚えのある部屋に立っていた。
「他は?」
だが、ルカも姫君も姿がない。ただひとり残る姫の従者に、シェルは訝しげな顔でたずねる。
「淑女の目覚めを早めに。回復を待つ余裕がなくなりましたので」
「あのっ、〈食らうもの〉が消えて、山の向こうから他の国が、戦争に」
「そこはとうに過ぎています。事態は一刻を争う、あなた方もご協力を」
詳しくはこちらで、と続き間の扉を開けた先には、寝台に眠るベルーシャと彼女の手をそれぞれ取る男女の姿がある。ルカと姫君だ。
「ベル様、ご病気ですか?」
「……あっ、あー、えぇと──」
「襲撃者との戦闘に協力し、甚大な疲労を負ったのです」
訊ねられたシェルが言いよどむ間に、スクィーズが簡潔に告げる。
ベルーシャが倒れた原因、シェルの暴走は、梨々が喪われた故のことだ。当然ながら、彼女が知るはずもないのである。
「治癒に比べ疲労は魔術が使いにくい。千切れたものより千切れかけのものの方が厄介なのと同じです。だから本来自然回復を待つのですが」
HP回復アイテムの類はないらしい。ゲームを知らない梨々にはそもそも未知の概念であるが……今の彼女の目ならば、義務教育でもわかることはある。
「──足りない」
「ええ、時間が「いいえ、栄養。眠るだけで治すには、水とご飯が足りてないです。疲労を減らすために動かすところが動かせないから、外から魔力を流してもほとんどすり抜けてしまう」
「……主?」
シェルの疑問も梨々にはもう聞こえない。
彼女は今こそ、食物に魔力を含ませる理由を悟っていた。
この世界の人間は、栄養素と魔力で動いている。食事を通して体内に吸収された魔力が、骨や血管の維持と同じように、体の魔術的要素を整備・維持しているのだ。
この世界に生まれた彼らにとっては当たり前のこと、しかし地球生まれの梨々の体には当てはまらない。だから、まるで食べ物とも思えない味や食感で不要を示していたのだろう。
「魔力を流すならおそらく消化器……お腹の辺りに。それと柑橘のお茶を」
「カタクチでよろしいですか?」
「え? あ、はい」
唐突にしずく型の口を持つ器を見せられ、梨々は思わずうなずく。
従者のもう片手には既にひと掬い分の砂糖煮があり、魔法で出した湯にそれを混ぜてひと揺らしで冷ます。その一連の動作はあまりに速く無駄がなく、傍目には柑橘茶が自ら器に湧いたようだった。
「さあ、離宮がやられている間に早く」
「あ、おう」
「くっ、聞き捨てならんのにそれどころでない」
即座に茶を渡されたルカは、反射のように女主人の口に器を当てる。抱き起こされた彼女は、多少むせながらもそれを飲み込んだ。
その間にも〈耳長の姫〉の魔力が、鳩尾に当てた手から流れていく。
栗色の睫が、ふるえる。
「ベルっ」
「──ルカ? まぁ、なんて顔をしているの?」
「……寝坊が過ぎんだよ、阿呆」
不思議そうに首をかしげる淑女は、まだ少し寝ぼけているようだ。
安堵した梨々は、パン、と手を打つ音に姫君へと目を移す。
「状況を整理しよう」
続いた言葉に、従者スクィーズ以外の全ての者が息を呑んだ。
「ツァルデンは現在、全域で、配管の崩落に襲われておる」
──あやつ、本気で国を砕くつもりじゃ。
*
ツァルデン王国は山裾に首都を置き、海へと流れる河に沿って主要な都市が立ち並ぶ造りになっている。
これは彼らの父祖が、森の奥を精域──精霊の世界と考えていたこと、大型の〈食らうもの〉が山林に多く、また配管の完成によってさらに山奥へと追いやられたこと、その影響で向こう側からの訪れが長年なかったことなどがある。また、かつて鍛冶場街だったこの土地の木々が特殊であり、山崩れなどよりも海や河からの被害の方が大きかったことが、それに拍車をかけた。
──要するに、城より高い位置に立てば、国のほぼ全域が見えるのである。
「いやー、さすが〈食らうもの〉から逃げ切ろうとした魔術国家、滅びるときも派手だねえ」
「感心してる場合かよ、廃墟を奪っても何にもなんねーぞ」
「なーに土煙こそひどいが、使い道のあるものはさほど壊れていないよ。それにほら、城だって無事だ。大体はね」
「離宮も塔もぶっ潰れて右翼左翼は半壊、あれじゃあ謁見の間も無事かあやしいぜ?」
「無事さ」
「根拠は」
「崩壊は城の周辺から広がった。ならば発生源はおそらく城の中枢だ。それに、グロリアでもあの程度は守れるだろう?」
「……そーかよ」
口をとがらせた側が遠見の術を解いたのと、彼女に問うた側が落下した珠を受け止めたのは、一拍の差もなかった。
「やれやれ、自分の『目』なんだから大事にしなさい」
「そっちの目も同然だろ、どうせいっつも見てんだしよ」
渡された珠──『目』をしまい、褐色の髪の娘は乳白色の瞳を細める。
「で。どーすんだ、陛下?」
「うーん、解体の手間が省けるのは有難いけどねえ。下手に死傷者が増えると後が面倒だし、ひとまずあれ食い止めようか」
お茶でもしようか、という軽さでそう指示したのは、山向こうでは『覇王』と呼ぶだけで通じる男、ザラ・スァン・ツァラ皇帝その人であった。




