第64話 異世界転生、異世界転移、死からの帰還の掛け合わせ
夏の疲労からどうにか回復してきました。
数々の天災により、被害を被った方、亡くなられた方、戦い続ける方々に、謹んでお見舞い申し上げます。
「なぜリリを助けない? あんたらなら即駆けつけられるだろう!」
〈耳長の姫〉の実験室で、ルカが声を荒げる。その向こうでは、シェルが従者に押さえつけられ、もがいている。
梨々が生きている――彼女に呼びかけられた姫の従者に知らされ、彼らは一室に集まっていた、のだが。
「アレがただの子供に見えるのかの、精霊よ」
空に浮かぶ光景から目を離し、姫君は逆に問いかける。その瞳は相変わらず乳白色をしているが、視界に問題はないらしい。
中空の一部を切り取り、別の光景をはめ込んだようなその中では、小柄な黒髪の少女が宰相に捕らえられ、騎士たちに身柄を拘束されるところだった。
「リリの〈概念容量〉がでかすぎることくらい、いまさらだろ」
「ひとはおろか精霊でも収まらぬような〈容量〉と、それを生かすに十分な〈神経〉をもってしてもか?」
「……魔力は変わってない」
「そうじゃな、割合としては変わっておらぬ」
本来、魔術を展開するのに必要な〈概念容量〉と、その基となる魔力は比例するものだ。
けれども、莫大すぎる〈概念容量〉に対して、リリの魔力はあまりに低い。そのために、魔力の関わった食物を受け付けない、魔力過敏の舌を持っているほどだ。
だが、今の梨々の魔力は――その絶対量は、現在最高峰の魔術師である〈耳長の姫〉に匹敵する。あるいは、越えてすらいるかもしれない。
――もはやそれは、ひとの器に収まるものではない。
「何より、スクィーズを頼ったことが怪しい。かの者が真に生きていたならば、己の従者を呼ぶはずであろう? 主が呼べば、精霊はその場に〈繋げる〉ことができるのじゃからな」
「それは……」
言葉もなくシェルが歯がみする。それでも姫君は冷徹に告げた。
「アレは、そなたらの愛した子供の皮をかぶった、化物かもしれぬ。それがはっきり否定できぬ限り、妾たちは手を出すわけにはいかぬのじゃ」
病人がおるからのう、と続ければ、ルカも黙らざるを得ない。
彼の主は、未だ眠り続けている。
*
「連れて行け」
宰相は短く告げてその場を去る。
騎士たちは汚名を挽回すべく、心得た様子で梨々を追い詰める。
「やっ」
もともと梨々の体は小さく、手足は同年代の他よりも細い。鍛えられた騎士に抗うには、その身はあまりに非力が過ぎる。
それでも、梨々は担ぎ上げる腕から逃れようと、身をよじらせ手足をばたつかせる。
「おとなしくしろ!」
「あうっ」
もう一人の分厚い手のひらに頭を叩き落とされる。一瞬の空白をおき、痛みは熱を持って響き渡る。
だが、それよりも身の内の焦りの方が、より強く梨々を灼いている。
(このままじゃ、また閉じ込められる……伝えなきゃ、いけないのに……っ)
この国が他国に狙われていることは、まだ国王と〈王の耳目〉しか知らない。
だが王が命じれば、事態はすぐに動き出す。
戦に備え、〈精霊武器〉を集めだす前に、シェルたちを遠くへ逃がさなくてはならないのに!
(スクィーズさんは、きっと姫様しか助けない――シェルさんたちには、私が教えないといけないのに……!)
叩かれた痛みをこらえ、なおあがくも、腕の締めつけが強くなるばかり。
面倒がった、苛立つ騎士の視線が梨々の全身に突き刺さる。
それでも梨々は身をよじり、腕を叩く。
焦りが心身を浸していく。
(私が――!)
「いい加減観念しろ!」
ついに頭上から拳が落とされる。少女はがくりと脱力する。
「やっと止まったか」
「まったく、野犬より面倒だ」
この国の上流階級に位置する騎士にとって、ずぶ濡れの小娘はただの不審物でしかない。城に侵入した暴れる獣、人間とすら見ていないのだ。
少女が異界からの召喚者だと知れば、扱いはさらに雑になるだろう。
――ゆえに、彼らは対応できなかった。
「〈音への愛よ、撃て〉」
突如響いた鈍い音は、騎士たちの耳に届いたかどうか。
頭部に殴られたような衝撃を次々に受け、その身は派手に昏倒する。
巻き込まれ投げ出された梨々は、しばらくその場で咳き込んだ。
「何が……私、何を……?」
意識が遠ざかる一瞬、意図せず動いた口が、勝手に言葉をつむいでいた。
何が起こったのかはわからないが、騎士はぴくりとも動かない。
今のうちに、と梨々はどうにか立ち上がる。
――城を出て、屋敷に向かわなければ。
*
「なんだ、あれは」
ルカのこぼしたつぶやきは、その場の全員の胸中でもあっただろう。
魔法に類する単語には、特におぼつかない発音をするばかりだった梨々が、なめらかに詠唱をしてみせたのだ。それも、相当の魔力でなければ耐えられないような、短い言葉で。
「風を強く固めて、その塊をぶつけたようですね」
「覚えがあるか、スクィーズ」
「いいえ」
冷静な様子で指摘した従者が、真顔のままに首を振る。
風はその速さで竜巻や刃とすることはあっても、固めて形をとらせるなど聞いたことがない。
異界の知恵か、あるいは急激に上がった魔力と、莫大な〈概念容量〉がそれを可能にしたのか。
当人にもわかっていないらしい、ありありと困惑した姿で立ち上がった梨々は、どこかを目指すようにその場から駆け去ろうとする。
だが、数歩踏み出したところで足は止まり、引かれるように振り返った。
その視線の先には、手足を投げ出して倒れる騎士たちがいる。微動だにしない姿は、死んでいるようにも見えるだろう。
きゅ、と泣きそうに顔を歪める梨々が映る。
何かを迷う視線が激しくさまよう。
無意識にだろう、白くなるほど手を固く握りしめている。
そして、振り切るように――
「俺は行く」
「シェル」
「言うたであろう、あれは」
「主は、」
押さえる間もなく大股で部屋を出ようとしたシェルが、顔だけ振り返って言う。
「主は初対面でも、遺された相手を慰める子なんだよ」
――画面の中で、梨々は騎士たちに駆け寄り、呼吸を確かめはじめたのだ。
その顔は苦しげだが、彼らに息があることに気づくたび、少しだけ唇が緩む。
自分が手をかざすことで、治癒の効果を与えていることにはまったく気がついていない様子だ。高い魔力と大きすぎる〈概念容量〉が、自覚のない発動を許しているらしい。
おかげで、梨々が騎士たちを調べるほど、治癒の効果は進んでいく。
安堵の息を吐く彼女は、自分が引き寄せている危険に気がついていない。
「……間に合わなんだな」
さらに重なる不運。
画面の端から歩み来た美丈夫に、姫君が思わずと行った様子で言葉をこぼす。
硬く覆われたその足は、あまりにもまっすぐに、小柄な少女へ向かっていく。
金茶の髪。
蒼の瞳。
上に立つほどの実力を持ち、平民ながらその美しさゆえに、寵愛を受ける宰相の犬――警邏隊長ユイゲンは、梨々の目の前で足を止めた。




