第63話 主従の縁は切れたのです
雨音のしみる執務室で、王と子供が相対している。
片方は執務用の机に腰かけ、もう片方は濡れそぼって立ちつくす。
部屋の隅で動きかけた騎士を、王は片手で制する。
子供は黒髪の先から足下までしとどに滴を落とし、小さな水たまりを作っていく。
そして、瞳が金色に染まっている。
「そなた、何者だ?」
金に染められた瞳は、王にとって珍しいものではない。
先視をする者たち、とくにその技に長けている者たちは、未来を垣間見ているときに瞳が金に染まるからだ。
だが、これほど鮮やかな金色を、かつて目にしたことがあっただろうか。
「新たな占術師か? ずいぶん変わった現れようであったが」
何もない空間に見えない壁を築き、その向こうからこぼれ出てくる。
言葉に変えれば、そのようにして黒髪の子供は現れた。
濡れそぼる全身は薄く細く、外に出た左腕は真っ白だが、右腕は様々な傷が刻まれて痛ましい。髪が短いことといい、貧民からの拾われ子かもしれない、と王は考える。
だが、過去はどうでもいい。これほど鮮やかな金の瞳が手に入ったのならば、民のために活用するまでだ。
「私は一度死んだので、もう陛下の命ではないのです」
「……何だと?」
「それでも私は、伝えに来ました」
金の瞳が、ゆらめくように光る。
「〈食らうもの〉は、数日中に消滅します」
「〈勇者〉が見つかったのか?!」
「いいえ、〈勇者〉が殺されたからです」
子供らしい高い声で、子供とも思えぬ静謐な顔で。
淡々と、言葉を続けていく。
「〈勇者〉をあなたが殺したことで、〈勇者〉の救うはずだった人間が大量に失われることが決まりました。そのために、世界の穴たる〈食らうもの〉は消えることになったのです」
「世界の穴? お前は〈食らうもの〉の真実を視たのか? 〈勇者〉を私が殺したとはどういうことだ!」
王はいつの間にか立ち上がり、子供の腕をつかんでいる。骨を握るような感触だった。
金の瞳が王を見上げて言う。
「あなたが知るべきことは他にあります、陛下」
「そなたは一度死んだと言っていたな、まさか〈勇者〉なのか?」
「この国が他国に侵攻されます」
どこまでも表情を変えず、子供はただ言葉を吐く。
王を見つめる金の瞳の虚ろさに、背筋に何かが走った。思わず手が離れる。
――これは、何だ
「ツァルデンは、山脈と〈食らうもの〉によって、山向こうからの侵攻を防いできました。しかし他国も人口の増加により、山を越え領土を広げようと狙ってきたのです。それこそ〈食らうもの〉を攻略できれば、即座にも侵攻を始めるだろうほどに」
「我が国こそ〈食らうもの〉のために、領土の限界を抱えていたのだぞ!? それをそのような!!」
「お信じになるかどうかはあなた次第です、陛下」
子供は一礼し、踵を返して扉に向かっていく。
待て、と王はこぼす。
「他の先視に確認を取る。それまでそなたはここにいろ」
「――私は、もう陛下のものではないのです」
振り返った瞳は、金色ではなかった。
*
執務室を出た左右の騎士には、占術師だと告げれば見逃された。
しばし歩き、走り、梨々は壁際の壺で身を隠す。
今さらのように息が荒くなり、全身が激しく鼓動を刻む。
痛む胸を押さえながら、息を整えようとあえぐ。
鏡の浮く湖に落ちたときよりも、呼吸が苦しい気がする。
『〈ひとつだけ、だよ〉』
何度も湖に落ちる梨々に、精霊王は引き上げながら愉しそうに告げた。
『〈迷うのは、本当の望みに気がついていないからさ。君がただひとつ望むのは何だい?〉』
『……わた、しは』
このまま戻るだけでは、王がまた召喚者を集めに来てしまう。
彼をまた巻き込みたくない。
記憶を奪う危険にさらしたくない。
――会いたい。
『〈難儀な子だね〉』
仰向けに倒れている梨々に、おしゃべりな一柱は身を屈めてささやいた。
時間もないし、君に預言をしてあげよう。ツァルデンに訪れる未来について。
その上で、君が決めればいい。
びしょ濡れの体が冷えて震える。耳の奥で脈が踊るのを聞きながら、梨々はへたり込みそうな足に力を入れる。
梨々が話したことによって、王は召喚者に手を出す余裕がなくなるだろう。
だが、他国との戦争が始まれば――精霊武器は、人を殺すために集められる。
人には使えぬ魔法を使い、同時に武器で戦える精霊武器は、ツァルデンにしかない兵器なのだと精霊王は言った。
「……さん」
だから、シェルたちを逃がさないといけない。
彼に人を殺す記憶なんて、覚えさせてはいけない。
――死んだことで、もう主ではなくなっても。
「スクィーズさん」
ひそめて虚空に呼ぶのは、姫君の従者の名。
〈王の耳目〉と名乗った声は、彼のものだった。
「この国は、他国に狙われます。そのことを姫様に」
「ほう、なかなか愉快ならざることを言う」
はっ、と顔を上げると同時、壁に打撃音が響く。
梨々のすぐ頭上を突いた腕に、細身だが、小柄な梨々からすれば圧倒的な長身。その上にある怜悧な顔つきに、片眼鏡が白く光る。
ゆっくりと、のしかかるように、影が梨々に迫ってくる。
「それで、お前は王がおられるここで、何をしているのだ?」
威圧感に押されながら、知らず彼の名がこぼれる。
――誰も現れることはなかった。




