第62話 大団円にはまだ遠く
西日本豪雨で亡くなられた方の冥福を祈るとともに、皆様の平穏ができるだけ早く訪れるよう願っています。
滴の群が叩きつける中、落雷特有の青い臭いが、二つの人影の周囲を取り巻く。どちらも落雷の魔法の副産物である。
浄化の炎よりもなお熱い、雷を落とすこの魔法は、局所的な天候操作と落雷地点の調整を含むために、膨大な魔力と〈概念容量〉が必要だ。ゆえに、白に近い灰色の精霊がふたりがかりでようやく完成する、人ではなしえない大魔法だった。
灰色の髪の人影は、突き立てていた細剣を引き抜く。その先に引っかかるように持ち上がっていた黒髪の人影は、くず折れるようにその場に倒れる。その胸元は穴が開き、漆黒に焦げ付いている。
〈御化〉に取り憑かれた者の結末としては、かなり穏当な状態である。
「シェル、生きてるか?」
荒い息で灰色髪の精霊――ルカが言う。
この雷により、〈御化〉は跡形もなく滅せられたようであるが、それを宿していたシェルは、
「死ぬほど痛い……」
「ん、生きてんな」
咳き込みながら黒髪――シェルがこぼす。
胸が穿たれようと、雷に打たれようと、武器に宿る精霊たちは、本体さえ無事であれば自己回復していくのだ。痛むのはまた別の話である。
「ルカは、先に戻んなよ……ベルまで死んじゃ、浮かばれない」
「あっちは、姫さんがついてる。避難も終わってるようだし、どうにかするだろ」
言いながらルカは近づいて、投げ出されたシェルの手に何かを落とす。
発動の瞬間に投げつけた本体であるナイフと、もうひとつ。
「――忘れモンだ」
連なる輝石の粒が雨に濡れてきらめく。
中央を飾る〈宿りの石〉は、しっとりと鈍く光る。
それは指輪の形をしていた。
よく知っている、シェルが買ってあげたものだ。
愛されることを知らない主が、恥ずかしそうに顔を緩めていたものだ。
「……どうして」
「途中の、部屋の隅に落ちていた。拾っておいて、正解だったな」
その間にも濡れていく指輪を、シェルは急ぎ握りしめる。
冷たい感触は、既に消えた右腕を思い出させる。
――魔法で作られた、血がにじむほど生体と変わらない義腕は、魔力の塊である。それを還元し使い果たさなければ、シェルたちに落雷は起こせなかった。
「さて、肩を貸すのと、自分の足で降りるの、どちらがいい」
「……後から行くよ」
「そうか、報告はしておく」
「……ありがとう」
「おう」
踵を返したルカが、塔の壁に沿って飛び降りていく。
滴の絶え間ない音が周囲を覆っている。
体中が濡れそぼっていた。
溺れるようだと、喉は思った。
生温い雨だと、頬が言った。
*
姫君が魔術を止めると、塔はがらがらと崩れ落ちた。
避難していた者たち、塔に務めていた者たちは、ひとまず使用人や警邏隊の空き部屋に誘導されていったらしい。
「俺を殺す気?!」
「精霊は死なねえよ」
「折れたら死ぬわ!!!」
という漫才はさておき、シェルとルカは一日もたたずにほぼ回復したが、人間であるベルーシャはそうもいかなかった。
魔力というのは、この世界の生き物のどれもが持つ、〈経路〉を流れるエネルギーである。人間も精霊もそれを持っており、契約することでその一部が入り混じる。混じった部分の魔力は双方が使えるが、普段意識されることはない。
だが、〈可変契約〉では、双方の同意において入り交じる魔力の割合を増やす。そうして精霊の持つ魔力を、契約者が持つものと誤認させることで、普段黒や灰色に抑制されている精霊の姿をより白く変える――格を上げるのだ。
「そもそも、格を落としてまで武器に収まる精霊に、例が少ないんだがの」
「さあ、忘れちまった」
「俺知ってるよ、リーシャに、ぐぇ」
梨々のような例外を除いて、〈概念容量〉と魔力は比例する。それぞれの〈概念容量〉で安全に扱えるだけの魔力を持つものであり、〈経路〉の強度もそれに沿っている。
そんな一般的な体で、精霊の格が変わるほどの魔力を持たされればどうなるか。
〈経路〉は負荷でぼろぼろになり、〈概念容量〉は記憶や知識の混濁を起こしかねない。最悪、心身に負荷がかかりすぎて亡くなってしまう……危険度の高い契約なのだ。
「まったく、妾がおらねばどうするつもりじゃったのやら」
「姫様がいたからベルも任せられたんだよ。いつも無茶しがちなのは、ルカが育てたから仕方ない面あるし」
「なるほどのう」
「なんでだ」
ルカが不可解そうに茶をすする。未だ眠る彼の主ともども、精霊たちは〈耳長の姫〉が住まう離れに保護されている。
城内は宰相マキュレイに統制され、塔は突然の落雷で崩れたこととなり、〈御化〉については箝口令が敷かれている。
〈王の耳目〉を知る貴族たちは、いつどこで見聞きされ〈食らうもの〉の餌食にされるかわからない、と口をつぐんでいるらしい。
恐怖政治じゃの、と姫君はぼやいた。
何にも終わってねーじゃねーか、とルカは毒づいた。
「結局、人の王は何がしたかったんだ?」
「最終的には領土の拡大じゃな。そのために配管で囲わねばならない元凶、〈食らうもの〉を殲滅する存在を追い求めていたのじゃ」
それで〈食らうもの〉を使い、〈御化〉を発生させていては身も蓋もないがの、と姫君は続ける。
「最初は精霊武器に目星をつけておったが、占い師のひとりが『〈食らうもの〉を封じる〈勇者〉が召喚されている』と言い出しての。それが何を間違ったか、〈勇者〉は〈食らうもの〉を倒せるのだから〈食らわ〉れることはない、〈食らわ〉れなかった召喚者が〈勇者〉だ、と言われるようになった」
それが、梨々を含む召喚者の大勢を〈食らわ〉せる事態となり、その怨みによって〈御化〉が発生した、ということらしい。
だが、そのことによって王や宰相が罰せられることはない、と彼らにはわかってしまっている。
この国の大半の人間にとって、召喚者は民ではない。法で護られることもない、愛玩動物以下の存在だ。その心は顧みられることはなく、存在すら認識されず、ただ利用して蹂躙する。
そしてこの国の法は、王と宰相によって作られるのである。ある例外を除いて。
「復讐なぞ望むなよ。妾とて、〈王の耳目〉を可能にしているからこそ生かされておるに過ぎん。何より、世継ぎのないまま王が倒れれば、荒れるのは民の生活だ。たかだか精霊ひとりが、責任をとれるものではない」
そうして、いくたびかの茶会は終了した。
ルカは暇さえあればベルーシャのもとについているが、シェルには身の置き所がない。結果、ふらりふらりと周辺を歩くのが日課のようなものになってしまっている。
その日は雨が降っていた。
雨よけの魔術をかけた医者の後ろを、短い髪の精霊――レウがついていく。
『あなたの主は、どうか忘れて、と言っていたわ』
眠るベルーシャの診察をしている横で、レウはそうささやいた。
『精霊ってものをわかってない子ね、本当』
起こったことは消せない。
またひとりに戻っても、それは以前と同じではない。
出会って、触れて、言葉を交わして、そうして重ねた時間は消えない。それが痛みをもたらすとしても。
――だから、その"お願い"は永遠にきけないのだ。
「主……」
握る胸元には、華奢な指輪がさがっている。
名はまだ呼べない。
*
雨よけの術があるとは言え、魔力を使い切れば、雨に濡れることは避けられない。
そのまま外を歩くならば、ずぶ濡れになるのは当然と言えよう。
だが――
「そなた、何者だ?」
雨音の届く執務室の中、ツァルデン王ヴェルデリア四世は問いかける。
魔術のような、だが魔術ではありえない現れ方で、黒髪の子供は静かに歩み寄ってくる。
しとどに落ちる滴の跡が、幻ではないと示している。
「――あなたに伝えに来ました」
陛下、と小柄な少女は告げる。
その瞳は、金色に染められている。




