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第60話 この世界は茶会がスタンダードらしいです

 取っ手のない薄いカップに、翡翠色の茶が注がれる。


〈どうぞ、捧げ物だけど〉

「あ、はい……」


 とまどう梨々に、利発そうな目をした子供が、にこりと微笑む。

 その両隣には、髭を蓄えた老人と、豊かな体つきの大人が控えている。

 ――梨々はなぜか、精霊王と茶を飲むことになっていた。

 彼ら曰く、たまには休憩をしないと効率が悪い、とのことらしい。


 熱心な人々が王へと捧げた、菓子や果物が卓に並べられている。

 それらをのせる器もまた、素人の梨々でもわかるほどの、圧倒的な上物だ。

 皿に負けぬ存在感を持つ菓子は、職人が技を駆使した、奇跡のように美しい逸品である。

 ――それが、どのような食感をもたらすのかわからぬまま。

 複数の意味で緊張が進む中、茶の芳醇な香りがただよう。


〈毒味でもしようか?〉

「いえ、いいえっ、とんでもないです!」


 いたずらっぽく小首をかしげる子供に、梨々はあわてて首を振る。

 そのまま菓子を手に取り、ままよと飲み込んだ。


「美味しい……?」

〈ドゥーエのものだからね。魔力を含んでいると食べられないんだろう?〉


 菓子は甘やかな香気をまとい、軽やかな味を残して喉をすべり落ちていく。

 どうして、と言いかけて梨々は止めた。精霊王は全てを統べるモノ、当然全知全能に近しい。


〈このお茶もいい香りだけど、あなたからは不思議な香りがする〉

〈入り交じるふたの残り香〉

〈あり得ぬほどの数奇な変遷〉


 無言であった二人まで話しだし、梨々はおろおろと彼らの顔を見回す。

 精霊王は口を動かすが、そこから言葉を発しているわけではない。

 耳元、あるいは頭の中へ、流し込まれるように"聞こえる"のだ。


〈界というものは複数ある。それはわかるね? 基本的にはそれぞれで完結しているけど、稀に界をつないでしまう者がいる〉

「召喚……」

〈それもひとつの手段だ〉


 たとえば梨々がオークションで召喚されたように、この世界には別の世界と接触する術がある。だが、子供の姿の精霊王は他にも方法があるかのような口ぶりだ。


〈公には、この界に招くことはできても、出て行くことはできないことになっている。けれど実は、唯一抜け出す方法があるんだ〉

〈我は勇者によりそれを放った〉

〈盟約には王こそ従わねばならぬ〉

〈ちょっと黙って〉


 困惑する梨々の表情を認めたか、子供が強めに言い放つ。二柱は口をつぐんだ。


〈この界から抜け出すには、唯一つ、界の穴・・・に呑みこまれればいい〉

「穴……?」

〈君たちが食らうもの・・・・・と呼んでいるモノさ〉


 途端、脳裏によぎる透明な津波。

 どうと押し寄せる、その記憶に、梨々の体は自然震える。


〈あれは、勇者のいた界とこちらの界とのつなぎ目、一方向に流れる穴なんだ〉

「……どうして、そんなことが」

〈他の界の何かを連れ込むことは、向こうの界を歪めることになる。特に勇者は、自身も名を残す偉人となり、複数の英傑を生む運命をはらんでいたんだ。勇者はこちらで百億の人々を救ったけれど、それは本来、向こうの界で行われるべきことだった〉


 死ぬはずだった百億の人を救う代わりに、本来生きるはずだった百億の人が失われる。

 それは、世界のあるべき歴史を、大きく歪める行為だろう。

 生きるべき人が消えることで、失われたものは膨大であり、もう二度と戻ることはない。

 ゆえに、世界を統べる精霊王は、代償を払わなければならなかった。


異界ことよから失われた、百億の人を補填する――そのために、この界の各地に穴をばらまいた〉

「じゃあ、世界中にあれがいるんですか」

〈いや、今も残っているのはツァルデンの周囲だけだ。各地で決めた人数が呑まれれば、穴は消えるようになっている。あそこは穴への対抗手段を持ったがゆえに、呑まれた数が足りないんだ……ちょっと、いつまでやっているの〉


 話の間に、梨々の皿に積まれた菓子が山となっている。老人と大人の仕業である。

 そんなに食べられる子じゃないよ、わかっているでしょ、と子供が説教する様は、不自然なのに違和感がない。


〈まったく……すまないね、どこまで話したっけ?〉

「世界中に放った穴に、人が食われると、別の世界へ行けると」

〈うん、あくまで勇者のいた界にだけ、一方的に行けるんだけどね。界の穴、食らうものに呑まれた者は、向こうの界で新しい命となって生まれる。そして、向こうの界で一生を過ごすんだ――本来ならば〉


 言葉が切られ、六つの瞳が注視する。

 その圧力と感触に、梨々は気まずく茶を口に含む。


〈君もその一人だ〉

「!」


 ふいに、走る直感。

 どうにか茶を噴かずにすんだ。

 無理に飲み込んだせいで涙目になったけれど。


〈君は――君の魂は、こちらの界で生まれ、界の穴を二度くぐった・・・・・・・・・・んだ。勇者の界で生まれ直し、偶然こちらの界に召喚され、そしてまた呑まれた〉


 まったく奇跡のようなことだがね、と子供は肩をすくめる。


〈君がこの森の最奥まで来られたのは、その魂の遍歴があまりに特異だったからだ。でなければ、本来意識もせぬほど一瞬で、あちらの界に渡っているはずだからね〉


 ならば自分はどうなるのだろう、梨々は手元へと顔を俯ける。

 子供は言葉を続けた。


〈ゆえに精霊の王として裁定を――君にひとつだけ機会をあげよう〉

「機会……?」

〈ああ、偶然の連なりに対する気まぐれさ〉


 王の三柱が立ち上がると、茶会の卓は切り取られたように消える。

 立ち上がる梨々の右腕を子供が引こうとして、そっと左に取り直す。

 こっちだよ、と引かれるままに、ひとりと三柱は歩きはじめた。

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