第58話 状況は深刻、されど
久々(?)のグロ表現注意。
悲しい
悔しい
苦しい――
どうして、殺されなければならなかった?
*
慟哭が、王城の全てを震わせる。
それは精霊の力であっても、起こしえないことである。
「スクィーズ!」
謁見の間から塔へと転移した、〈耳長の姫〉が何者かを呼ぶ。
その両手にはベルーシャとルカが掴まれており、二人は急激な移動に吐き気を覚えている。
だが、えずいている暇はないようだ。慟哭はなおも轟いている。
『――やられました。密室で小鳥は食われ、精霊は嘆きに呑まれて、声が届きません』
「浸食は?」
『半分を超えそうです』
あの馬鹿、とルカが毒づく。
見上げる高さの塔の中で、小鳥のように小さな少女と、その従者である精霊がどのような目に遭ったかなど、事情を知っていればすぐに見当はつく。
少女は元の世界に還ったのではない、殺されたのだ。
精霊の手も間に合わないうちに。
「……民の避難を優先せよ。まだ中にいるやもしれん」
『警邏隊に指示して避難をさせています。ですが、精霊が放つ咆哮のせいで、塔はいつ崩れるか――』
「俺が行く」
ルカが声を上げ、彼の主を見る。
ベルーシャは青い顔でしっかりうなずいた。
「やって、ルカ」
「待て、いくら精霊でも〈御化〉の浄化はひとりでは無理じゃ。妾も」
「アンタはベルを見てやってくれ。ついでに塔の強度を上げてくれると助かる」
しかし、と言いつのる前にルカは駆け出す。
たなびく灰色の髪が、洗い落としたように白く薄まっていく。
同時、ベルーシャが膝をついた。
「そなた達、〈可変契約〉か! 凡人の身で、なんて無茶を」
「……当主になる際、書き換えたのです。務めを果たすべき時が、来るかもしれぬからと」
貴族の始まりは、人と土地を護ること。
土地のない貴族であるロコンチェルキ家だが、商会を庇護する立場である。その務めの中には、人に害なすものと戦うことも含まれる。
貴族が精霊武器を買い求めるのは、人を護るためという面もあるのだ。
「姫様、塔の強化をお願いいたします……ルカは必ず、シェルを連れて帰りますから」
「なるほど、臣下に体を張られて、王族が働かぬ道理はないのう!」
姫君は獰猛に笑い、手のひと振りで強化する。
だが、心中密かにつぶやいていた。
(〈御化〉は苦しみや悲しみに共振し、やがてそのものを乗っ取ってしまう。精霊が落ちれば、〈魔王〉の再来は確実じゃ……頼むぞ)
*
絶え間ない慟哭に、塔全体がびりびりと震える。
ルカは悪態をつきながら、塔の外装を駆け上がる。
ここか、と見当をつけた窓を蹴り破る。
「うぉっ」
途端に飛んできたものを切り捨てる。光の粒と化して消えていくのは、小型の〈食らうもの〉だった。
窓の向こうに、白い塊が積み重なる山ができている。蠢く様に、一瞬で理解する。
食事中。
「〈水槍〉!」
ルカが振った手の先からいくつもの水が迸り、槍となって〈食らうもの〉を蹴散らしていく。
その下には、ほとんどの部分が平らになった、フード姿の人物が倒れている。
「おいっ、これは何だ! 何が起きている!」
「ひ、ひひ……壊せ……壊して、くれ……壊れ……ひひひ」
ふひゅう、と息を吸い、フードは絶命する。
おそらくは、肺か心臓を〈食らうもの〉が奪ったのだ。
〈食らわれた〉部分を切り落とさない限り、浸食は止まらない。
――ルカには、時間がなかった。
「ちっ!」
その場の〈食らうもの〉を全て潰し、それらがあふれていた怪しげな部屋を破壊しておく。強化のおかげか、多少手間取ったが他まで壊れることはなさそうだ。
なぜかぶち抜かれている天井から上に跳ぶ。
慟哭が近い。骨まで響いてくる。
塔の頂上に着いた。
向けられた背に、薄灰色の髪がたなびいている。
ルカは眉間のしわを深くした。
――我を忘れてやがる。
「おいシェル!」
背中は微動だにしない。
激しい慟哭が轟いて、気分が悪くなるほどだというのに、その背はひどく静かだった。
ルカはつかつかと近づいて、シェルの前に回り込む。
「シェ……」
言葉が止まる。
精霊武器の刃は、人の骨までも一瞬で断ち切る。
だからこそ、浸食された部位をすばやく切り落とすことができるのだ。
断面に赤く染まる手巾を巻いて、シェルは青白い腕を抱きしめていた。
鮮やかな緑の瞳が、湖面のようにゆらゆらと揺れる。
慟哭は止まない。
それはシェルの叫びであると同時に、この塔で騙され殺された数多の者の咆哮なのだろう。
その口が直接は閉じられていようと、感情は音となり暴れ轟く。
それが〈御化〉の作用であり、同調するほどにシェルを〈魔王〉に近づけていく。
「シェル! シェル! しっかりしやがれ!」
肩をつかんで揺さぶるが、我を忘れて慟哭するシェルは、表情を一筋も変えることがない。
「このまま何もかも忘れるつもりなのか?! お前が忘れたらっ! リリが本当に死んじまうだろがっ!!!」
『……ご友人、ですかいの』
口が開き、シェルの声で彼らしくない口調が紡がれる。まるで、操られたかのように。
『こん方のご友人さん、ですかいの?』
「――知り合いだ。アンタは誰だ」
『へえ、あっしはライダと言いまして、しがない農民でございます』
聞き慣れない言い回しは、ベルーシャが幼い頃に遊びに行った、農家のことを思い出させる。少なくとも中流階級以上ではありえない。
おそらくは、この塔で殺されたひとりだろう。
「それが、どうして口をきく?」
『あっしはいらぬと、皆さんに追い出されちまいまして』
「いらない?」
『へえ、皆さんは死なされた恨みを晴らすんだ、と盛り上がっておいでなんですが、あっしにはその気がねぇもんで』
「……珍しい奴だな」
『あっしにゃ残った家族が、子供や孫がいるんでさあ。そりゃあ確かに死んじまったのは悲しいが、〈魔王〉が現れたら家族が殺されっちまう。そいつぁ、いけません』
シェルの表情は変わらない。
しかしその声からは、困ったように眉を下げる、老いた農民の姿を感じる。
本当に、純粋に、ただの人間であるらしい。
だが、ただの人間が抗うには、〈御化〉の同調作用は強力だ。精霊でも呑まれかけるほどに、悲しみや悔しさを増幅され誘導される。この痛みを与えた者に復讐を、と。
「ライダ、あんたに頼みがある」
だからこそ、この変わり者の農民に、ルカはあることを依頼する。
ライダは快く引き受け、シェルの唇を閉じて消える。
〈虹を貫く〉と呼ばれる剣は、その細身をすらりと現した。
*
深い森が広がっている。
うつくしい早緑や深緑が、かすかな風にさやさやと揺れ、細かく木漏れ日をきらめかせる。
起き上がるために手をついた草地はやわらかく、裸の足を傷つけない。
「ここは……?」
天の国にあるかのような、うつくしい森の中で、梨々は周囲を見回した。




