第54話 思い出ゆえの激情は、思い出ゆえに揺すられる
彼の家族は、血がつながっていなかった。
厳しくも穏やかな養父、活発で親切な養母、おてんばの割に人見知りな義妹。
どこから来たのかもわからない彼を、家族はあたたかく迎えてくれた。
血のつながった家族を知らない彼にとって、三人は唯一の家族であった。
家族の誇りでありたい。
彼が自然にそう思えたほどに、素晴らしい人々。
よくいる配管工の家族となった彼は、進んで家業の手伝いをした。
足場を運び、ネジを投げ、バルブを回して駆け回った後は、食事がひどく旨かった。
彼はすくすくと背が伸びて、ついに養父を追い越した。
自然とついた筋力と体力、平民には珍しいほどの美貌。
彼の周囲はあきらかに色めきたち、義妹は不機嫌になることが増えた。
『花が欲しい』
義妹が十二歳になる誕生日、それは彼の誕生日と決めた日でもあったのだが、突然義妹はそんなことを言い出した。
夕暮れと夜の境目、〈大星〉に照らされて花開く、限られた花が欲しいのだと。
『開いたところを摘んできて。約束だからね』
その花は住まいから遠く、郊外の一角にひとかたまりで咲いている。
そのことは、彼と義妹との秘密だった。
……義妹の結婚相手が決まり、話すことは少なくなっていた。これからさらに減るだろう。
自分を慕ってきた、可愛い義妹のために、彼は仕事の後ひとふんばりすることにした。
その日は、とある区域の配管の、大規模修繕の山場だった。
体力のある若い彼でも、よれよれになるほどの忙しさ。
それでも彼は、養父に先に帰ってもらい、ひとり花を摘みに行った。
その選択が、彼の一生の悔いになると知らないまま。
帰宅した家は暗く、静かだった。
食卓には、特別な白い〈麦焼き〉と、少しだけ豪華な食事が並んでいた。
そして、周囲には倒れた椅子と、特別な日だけにつける、義妹の布飾りだけが残っていた。
……誰の姿も、そこになかった。
その日、大規模修繕の隙に入り込んだ〈食らうもの〉は、ふたつの区画を根こそぎ食らい、精霊をつれた騎士たちに討たれた。
食らわれた人数は、未だに把握されていないほどだという。
翌日、彼は配管工を辞めた。
*
仮眠から目を覚ましたユイゲンは、知らずその胸に手を置いていた。
胸の裏にあるポケットには、あの日残された布飾りが納められている。
あの日走った激情を、彼は忘れたことがない。
何年も何年も、追い求めてきたその時に、ようやく手が届く。
彼の望んだ復讐は、〈勇者〉によって果たされるのだ。
だからこそ、ユイゲンは先頭にたって異界の民を探した。その大半の末路を知っていて、彼らをひたすら集めさせた。
〈勇者〉は〈食らうもの〉に食われない。
逆に言えば、そうでないものは食われて消滅する。
その現実を、ユイゲンは復讐のための必要悪だと考える。言い聞かせる。
『ツァルデンの、我が王の民を守るためだ、ユイゲン』
それは宰相の言葉だったか。
塔には今でも、十人程度の必要物資しか運ばれていない。
……そのうちのひとりは、今も熱でうなされているらしかった。
「〈選別の間〉には立てそうなのか?」
「いいえ、とてもとても。担架で運ぶわけにもいきませんし」
報告を受け、ユイゲンは部下とともに黒髪の少女の部屋へと向かう。
戸を開けると、熱と湿気が彼を覆った。
「水は? 解熱剤は飲ませたのか?」
「全て飲ませましたが、それでもひどい熱なんです」
世話を頼まれた女性が答える。
受付の業務が終わった後、こちらに回されたせいでくたびれた様子がうかがえる。
「……さ……」
かすかな声とともに、少女の小さな手が何かを求めるようにさまよう。
「……せ……さ……」
熱の上った頬は赤く、呼吸はひどく浅く荒い。
ユイゲンは思わず少女の手を握る。
ここで死なれては困る。
「……さん」
く、と熱い手が握り返す。
その強さにも驚くが、それ以上に驚いたのは、少女の笑みだ。
心底安堵したように、ふにゃりと緩んだその笑みは、かつての彼の妹にそっくりで。
「……隊長?」
部下がおそるおそる声をかけるほど、ユイゲンの眉間には深いしわが刻まれている。
高い熱を発する小さな手は、すがるように彼の手を握りしめている。
「……せ、さん」
峠を越えたのか、それとも解熱剤がようやく効いてきたのか、呼吸が深く落ち着いてくる。
夜明けまでにはまだ時間がある。この分ならば、立ち上がれるくらいにはなるかもしれない。
朝がくれば、〈選別の間〉が開かれる。
〈食らうもの〉を引き寄せ発生させる術式が、部屋中に刻まれている中で、逃げ切れる人間など存在しない。
どうあがこうと、小さな黒髪の少女の運命は定まっている。
……〈勇者〉でもない限りは。
*
夜明けと同時、一羽の鳥がロコンチェルキ家の屋敷に飛び込んだ。
真白い鳥は当主の手の中ではじけ、ひとひらの紙片となる。
かとん、と何かが机に落ちた。
「ベル」
そう呼んだのは少年か青年か、あるいはどちらもか。
ベルーシャは当主の面持ちで顔を上げる。
「今すぐ城へ向かいます、急いで!」




