第53話 彼女はその道を選択しました
具の細かいスープにやわらかなパンを浸しながら、梨々は舌で踊るしびれの競演にどうにか耐えている。
「無理に食べなくていいのよ?」
「、いいえ」
空腹ではあるのだ。それに、ゴムや小石を食べているような感触よりはマシである。
何より、弱った梨々のためにとわざわざ用意してくれたであろうものを、拒むことはできなかった。
「今夜だけは、この空き部屋で休まる許可を得ました。ですが、それ以上は――」
ロコンチェルキ家でも診てくれていた医師が、申し訳なさそうに目を伏せる。
ここは警邏隊員が使う部屋のひとつらしい。たまたまひとり分空きがあって、倒れた梨々はそこに運び込まれたのだ。
この医師は、使用人たちの治療を行うこともあるために、梨々の診察をするよう頼まれたという。
「これほど〈神経〉がやられていれば、本来一節は休養しなくてはならないのです。どれほどの魔力を放たれたのか……」
「主、リリには「先生、だよ」リリには魔力がほとんどありません、先生。ただ、微かですが〈経路〉がつながっています。おそらく魔力はそこから得たのではないかと」
相当の無理が必要な細さですが、とレウは続ける。
「ねえ、リリ。あなた誰か魔術師と接触しなかった? 肩をつかまれたり、腕を握られたりしていない?」
問われて梨々の頭をよぎったのは、優美で高貴な金の髪。
「耳がふわふわのお姫様に、手を握られました。自分に仕えないか、と」
「――まさか、〈耳長の姫〉?」
「確かにあのお方なら、私に見えないような細い〈経路〉でも、魔力の供給を行うことはできるでしょう。魔力のほとんどないリリ様の〈神経〉が、それに耐えられなかったのだとしたら説明はつく」
『ソレハ少シ違ウ』
古いスピーカー越しのような声が、彼らの会話に割り込んだ。
その声に、梨々は少しだけ聞き覚えがある。姫君の従者に、よく似ているのだ。
「どなた?」
『鞭カラ手ヲ離セ。敵対スル者デハナイ』
白衣を払い、その下の鞭に手をかけるレウに、スピーカーの声が言う。
『姫ガツケタ〈経路〉ハ、セイゼイ動向ガワカル程度ノモノダ。ソレヲ、ソノ娘ガ姫ノ魔力ヲ引キズリ出シタノダ』
「〈経路〉を逆に操作したと言うの? そんなの無茶だわ!」
『ダガ、現ニ行ワレタ。ソノ反動ノ結果ガソレダ』
「あの、」
梨々は思わず口をはさんだ。
「あの、お姫様は、無事ですか……?」
『爆笑シテイタ』
奇妙な沈黙が落ちる。
貴族が、まして王族が、大口を開けて笑うことなど、めったにするものではないのである。
『高笑イシテイタ』
「存外型破りな姫君ね……」
『ソウデモナイ。現ニ、王命ニ背クコトハデキナイ』
また何か出されたのか、と考える梨々は、周囲の空気の重さに気づかない。
「あなた様はよほど有力な位置にいらっしゃると思われますが……それでも、だめなのですか」
『〈王ノ耳目〉ハ王ノモノ。ソレ故ニ姫ガ生カサレテイル以上、ソノ結果ニ何ガ行ワレヨウト……スマナイ』
そうして、声は消えた。レウが鞭から手を離す。
同時に、扉が叩かれる。
現れたのは、金茶の髪を持つ美丈夫、警羅隊長のユイゲンだった。
「至急の命により、リリ・サトーの身柄を塔に移す」
後ろから、わらわらと制服姿の部下達が現れる。その中で、鳶色の髪をした者が、リリを見て痛ましそうな顔をした。
「リリ様には安静が必要です、隊長」
「問題ない」
医師の言葉に、制服達が棒つきの丈夫そうな布を広げる。担架に似ていた。
「これに載せて運ぶ。塔ならば世話をする者もいる。それに、患者はひとりではあるまい?」
「……確かに」
「先生!」
医師のこぼした返答に、レウが思わずといった様子で声を上げる。
梨々にできることはひとつだった。
「行きます」
「リリ」
「レウさん、ごちそうさまでした。先生も、ごめんなさい」
「……解熱剤をお飲みください。今夜は熱が高くなるでしょうから」
苦しそうに医師が言う。
梨々は王に買われている。本来逆らってはいけない立場でシェルを逃がしたのだから、どのように扱われても受けとめなくては。
レウ達の視線を振り切り、梨々は担架もどきに向かう。横になり持ち上げられたところで、ふと口が動いた。
「……もしも、シェルさんに会えたら」
どんな時も自分なんかの味方だった、
梨々に情と慈しみを一身にそそいでくれた、
名前だけで胸を暖かくする彼に、願う。
「どうか、忘れて、と」
大好きだから、忘れてほしい。
……あなたが泣くのは、苦しいから。
*
「まだなの?!」
「落ち着けよ、シェル」
ロコンチェルキ家の屋敷の一室で、シェルはうろうろと歩き回り、ルカは椅子に浅く腰かける。
〈墓の森〉に飛ばされた後、シェルはベルーシャ達の元に戻っていた。
状況を伝え、すぐにでも梨々を助けにいくつもりだったのだが、引きとめられて屋敷に残っている。
ベルーシャに策がある、と言うのだ。
「確かに有利になる手だけど、本当に間に合うの?」
「会議をするほど一族が残ってねーからできる手だ。後は向こうがベルをどれだけ重要視するかだろ」
「……朝までに届かなかったら、俺だけで行くからね」
「好きにしろよ」
屋敷の明かりはこうこうと輝いている。
今夜ばかりは当主はもちろん、末端の使用人まで眠れないに違いない。
望みのものが届いたら、すぐにも出発するためだ。
「主……」
切なげにシェルが見つめる窓の外には、黒々とした夜が横たわっていた。




