第49話 圧倒的魔力による誘拐だが、被害者はよくわかっていない
「今日は子供を買ったんだって?」
線の細い、穏やかな風貌の男性――ツァルデン王ヴェルデリア四世が宰相に問うと、彼は静かにうなずいた。
「お言いつけ通り、購入の倍額で買い取っております」
「そうか。対価には安すぎるだろうが、私の財にも限りがある。国庫をいたずらに痛めるわけにもいかないしな」
「陛下がご心配することではありません。安んじて、〈勇者〉をお待ちいただければいいのです」
宰相の言葉に、王は苦笑する。
「〈食らうもの〉の毒となる者、ゆえに唯一の〈食われぬもの〉――それすなわち、新たな〈勇者〉なり。私はいつまで待てばいいのだろうな。彼女の占いの結果だ、信じないわけではないが、元の異界に帰っているのではないかと不安にはなる」
「すぐにわかるよう、策を講じております。ご安心ください」
「お前の手腕に疑いなどないよ」
王の言葉に宰相が深く腰を曲げるのは、緩む顔を隠すためだと互いに知っている。
ヴェルデリアが即位する前、ヴェルドと呼ばれた子供だった頃から、彼とマキュレイは幼なじみである。高位貴族であるマキュレイは、王よりもいくらか年上であり、流行病がなければ、ヴェルデリアの兄に仕えるはずだった。
「私は、陛下に仕えるのが何よりの励みなのでございます」
「うん、〈勇者〉だけでなく、〈勇者〉に渡すべき武器についても取り組んでくれている、お前を頼りにしないことなんてないさ」
ヴェルデリア王は穏やかに笑う。
だが、その瞳がうつろであることを、マキュレイは黙殺し続けている。
***
二十年。
自分の生きた年月よりも長いそれに、梨々は気圧される。じり、と無意識に下がる半歩は、ユイゲンの一歩が大きく詰めてしまう。
「〈食らうもの〉を滅ぼすため、俺はあらゆることを試してきた。だが、〈食らうもの〉は人間の目に見えない。殴ることも切ることも、〈精霊武器〉だけが可能だ。人間には、〈力ある水〉をまとって逃げ回ることしか許されていない」
それでも、とさらに詰め寄る。
「〈勇者〉は、異界より召喚された〈勇者〉だけは、〈食らうもの〉と渡り合えるという。その〈勇者〉に仕え、本領を十全に発揮することこそ、武器の本懐ではないか!」
青い目は鋭く熱を帯びる。その口調は羨みと無念がどろどろと溶けて、重さとなり梨々の体にまとわりつく。動けぬ梨々の胸元に、〈天を切り裂く〉が突きつけられる。
「握れ」
圧しつぶすほどの低い声が迫る、その時。
「王の守護たる宝物庫で何をしている!」
凛と高い声が庫内に響く。革靴の小気味よい音とともに、警邏隊とは違う豪奢な制服をまとった少年が現れる。
そして、その後ろから近寄ってくる、小柄なドレス姿も。
「なんじゃ、孤児の守護者の子ではないか」
口を開いたのはドレスの方だ。二つに分けて結い上げた黄金の髪、真珠を溶かして練り込んだかと思われる白の瞳。肌に映える、繊細な刺繍が全面に施されたドレスを気負いなく着ている辺りから、少なくとも高位の貴族であることがうかがえる。
だが、それらのことよりも目を引くものがこの姫君にはある。
ぴんと真横に張り出した、毛に覆われた長い耳が。
「その名はおやめ下さい、姫様」
「宰相の子飼いの方がよかったかの?」
ころころと笑う姫君は、その声通りに無邪気な性質ではないらしい。
その白い瞳が、ユイゲンの持つナイフを見とめる。
「その剣は本来、妾が目を付けておいたもの。早急に戻すか、こちらに渡すが良い」
「こちらは、陛下が下賜する相手を決めておられます。姫様といえども」
「――妾に逆らうか」
ふいに、梨々の肌は総毛立つ。姫君は何をするわけでない、ただそこに立っているだけだというのに、圧迫感に這いつくばりそうになる。
それはユイゲンも同様なのか、ぐっと眉間に皺が寄っている。
「妾は先王の直系、陛下の従姉なる姫ぞ。それでもなお逆らうと言うか」
「――私は、王命に従うまで」
「宰相の命にであろうが」
すう、と細めた目が紫がかったように見え、梨々は目を瞬かせる。
「姫様、それ以上は。精霊が騒ぎます」
「……仕方ないのう」
瞬時に体が軽くなり、背中に汗が噴き出す。まるで、太古の存在ににらまれたかのような――と梨々が思い浮かべる間に、その腕が細い指に取られる。
「では、代わりにこちらをもらっていくぞ」
言葉を認識する前に、視界が歪み吹き飛ばされる。ほとばしる激流とは逆に、梨々の腕は何者かが導いていく。
渦巻く白い流れに、ぎゅっと目をつぶった途端、足がたたらを踏んだ。
「ふむ、耐えたか。噂に違わぬ子供じゃの」
腕の先、細い指の持ち主が、白い瞳を細めてにまりと笑う。
毛の生えた長い耳がぴこぴこと上下し、かわいい、と梨々は場違いな感想を抱く。
「ふふ、かわいいか。そのような言葉を聞くのは何十年ぶりであろうな」
「っすみません!」
声に出していたらしいと知り、梨々は慌てて頭を下げる。
「数十年も生きてらっしゃらないくせに、何をおっしゃってるんですか」
「気分じゃ、気分。どうせこの形であと三百年は生きるのじゃからな。そなたも顔を上げるが良い」
豪奢な制服を着た少年の声に、姫君が気さくに返す。梨々が困惑していると、姫君の顔が目の前になった。
咄嗟に下がろうとするも、細い腕が首に回されて離れられない。
口づけできそうなほど近づかれ、真珠めいてとろりと光る白の瞳が、じわじわ紫がかっていく。
「妾はの、本当はそなたが欲しかったのじゃ」
目に当たる、と梨々が感じたときにはもう、するりと姫君が入り込んだ後だった。




