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小話 イオが風邪を引いたら

イオが風邪を引いた。最近、めっきり冷え込んできたにも関わらず、暖房の火が絶えた部屋で夜通し魔術の研究を行っていたからだ。あれほど火が消えないようにしなよ、と口を酸っぱくして言ったのに。うっかり研究に熱が入ると、イオはすぐ他に事が手につかなくなってしまう。加えて、研究にのめりこんで連日睡眠不足が続いていたらしい。これで風邪を引くな、と言う方が難しいと思う。全く、朝になっても部屋から出てこないイオを心配してのぞいてみれば……。ばったり倒れているのを見つけた時は、心臓が止まるかと思った。あの時ばかりは、古傷が疼くように心が軋んだ。

「全く、こっちの気も知らないで……」

ぶつぶつ文句を言いつつ、イオの部屋の扉を開ける。イオの番を頼んでいたポチが、パタパタと尻尾を振りながらこっちを向いた。

「ありがとう、ポチ。……イオ、起きてる?水とご飯と薬、持ってきたよ」

イオの枕元で、できるだけ優しく声をかける。前にイオが風邪にかかった時、声が頭に響くと言われたから、できるだけ柔らかい声を心掛ける。というか、そういうならそもそも風邪にかからないよう体調管理しなよ、と言いたかったけど、いつものイオらしくない弱々しい語調とすがるようなまなざしに、言い返す気が失せてしまった。ちょっと私は、イオに甘いかもしれない。

「……いらない」

上掛けの奥から息も絶え絶えの返事が聞こえてきて、私は顔をしかめる。私はベッド横の小机に薬とか諸々を置き、上掛けの端をつかんだ。イオはきちんと自分のベッドで寝る時は、上掛けを頭まですっぽりかぶる癖がある。おかげで、水で冷やしたタオルを額にあてるのも一苦労だ。気持ち控えめに上掛けを開いて、覗き込む。イオのぼさぼさの髪と旋毛が見えた。

「イオ、ちゃんと食べて薬を飲まないと、治るものも治らないよ?」

「……」

「それとも何、私に食べさせてほしいの?」

「う、……」

「う?」

お、珍しく素早い反応、と私が目を丸くしていると、イオの手がのっそりと上掛けから生えてきた。続いて、熱で潤んだ目と赤くなった顔が順繰りに出てくる。

「……いい、自分で、やる」

「あら、そう」

苦しそうな息でもきっぱり宣言したイオに、私は薄味の野菜スープとスプーンを渡す。イオは何とか上半身を起こして食べ始めたが、あまり経たずに止まってしまった。

「どうしたの、イオ?ひょっとして、塩と砂糖間違えてる?」

前に一度やらかした失敗を思い出して、不安になる。風邪で乾燥してひび割れたイオの唇が、億劫そうに動いた。

「……食べづらい」

「嘘、やっぱり失敗してたの?……ごめんイオ、ちゃんと確認したんだけどなあ」

「ちがう」

「え?」

「見られていて、食べづらい」

かすれ気味の声で言われ、私はまじまじとイオを見た。生憎、イオの視線は皿の方に落とされていて、目が合うことはなかったけど。私、そんなにじっと見てたかなあ。

「……わかった、そっちはあまり見ないようにする。でも、イオがちゃんとご飯食べて薬飲むのを見届けるまでは部屋にいるね」

「ちゃんとするから、いい」

「あれだけ暖かくしなよって言ったのに、守れなかった挙句風邪を引いた人の言葉は信じられません」

「それは……」

いつもならもう少し屁理屈でも何でも並べるのに、上手く頭が働かず思いつかないようで、イオは悔しそうに黙り込んだ。私はタオルの準備をしながら、イオを促す。

「ほら食べてイオ。私はイオが薬をのむのを見届けるまで、ここにいるから」

「……くそぉ……」

イオは悪態をひとつついてから、大人しく食事を再開した。つくづく思うが、イオの態度は看病に対する感謝が微塵も感じられない。私はちょっとむくれながら、イオが薬を飲み終わるのを待った。

しかし、本当に大変なのはここからだった。

「イオー」

「……」

頭まで上掛けをかぶったイオの横で、私はタオルを握りしめる。

「イオ、頭出さなきゃ、タオルをのせられないよ?」

「のせなくていい……」

「でも、熱あるでしょう?冷やした方が気持ちいし、早く治るよ?」

上掛けがもこもこ動く。中で首を振っているようだ。今日のイオは何だかすごく子供っぽい。風邪のせいだろうか。たぶん今のイオをいつものイオが見たら、真っ赤になってしゃんとしろと怒鳴りつけるだろうな。イオがイオを叱っている想像をしたら、ちょっと笑えてきた。

タオルを手にどうしようかどうしようかと私が考えていると、上掛けがずずずと引っ張られた。横を見ると、ポチが上掛けの端をくわえて引っ張っている。

「ポチ」

私が名前を呼ぶと、すりすりといつもより強めにすり寄ってきた。どうやらポチはイオの看病に飽きて、遊びたくなったらしい。よしよしと頭を撫で、先に出て遊んでいいよと言うと、悲しげにきゅうんと鳴かれた。一緒に遊びたいのかな。

「ごめんね、ポチ。今日イオは風邪だから、イオが優先ね」

私が謝ると、ポチは人間でいうならがっくり肩を落としたみたいに、尻尾をだらんとたらした。そのまま扉の方にとぼとぼ歩いていき、薄く開けておいた扉を鼻先で器用に押して、ポチは出て行った。去り際の哀愁の漂った背中を見て、私は後でポチの好物をたくさん作ってあげようと決めた。

さて、と私は気を取り直してイオに向き直った。

「イオ」

私が呼んでも無視したイオに、見えないだろうけどにっこり笑う。イオの枕元に座ると、よいしょとやや強引に上掛けを引っ張った。上掛けが捲られ不機嫌そうなイオを後目に、イオの枕を抜き取る。イオが私の行動をつかみかねている間に、一気に自分の膝を押し込んだ。そして止めと額にタオルをのせ、上掛けを首元までかけ直してやる。

ややあって、状況認識が追いついたイオの目が見開かれた。

「―――――!?」

次いでイオの口から出た久しぶりの自分の真名に、一瞬だけ私の体が強張る。その動揺を何とか押し殺して、私はイオににんまり笑って見せた。

「なあに、嫌?」

普通を装って返したのに、思ったよりも繕えていなくて、すがるような響きが残っていた。それを聞いたイオの目が細められ、それからそっとそらされる。

「……別に、嫌なわけじゃない」

……やっぱり、イオは優しい。

「それなら、いいでしょう?」

得意げに言った私を、イオは横目でにらんだ。

「いや、だからって、……急にこんなことされると、驚くだろ」

「今日のイオは甘えたさんなので、膝枕してあげます」

「はあ?」

イオの熱に浮かされた顔に、呆れと焦りが入り交じる。中途半端に上掛けから出てきたイオの手を取り、私は頬ずりした。イオの指がピクリと揺れる。イオの手は内側から燻されているような、じんわりとした熱をはらんでいる。風邪で苦しんでいるイオには悪いけど、私はその熱にほっと息をついた。

あの時、……師匠がいなくなった時、イオの手は氷よりも冷たかった。

「……何がしたいんだ、お前」

イオを見下ろすと、眉間にしわを寄せている。

「前とは違って、あったかいのがうれしい」

素直に心情を吐露すると、イオの瞳が一瞬大きくなった。その翡翠色の瞳に、頼りなさげな私がうつっている。イオは何かを言いあぐねて結局何も言わず、ため息をひとつこぼした。イオの指がするりと私の頬を撫でる。

「阿呆」

穏やかな語調だけど明らかな罵倒に納得がいかなくて、イオを非難がましく見下ろした。イオも負けじと睨み返してくる。言いたいことがあるなら言えよ、と言わんばかりのイオの表情に、私の口がするりとほどけた。

「私が阿呆なら、イオはバカだよ。あの部屋でイオが倒れていて、……思い出さないのは、無理だよ」

言いながら、鼻の奥がつんとした。イオの手を掴んだ指に、自然と力がこもる。イオの口元がわずかに弧を描いた。

「風邪を引いているのは俺なのに、何でお前が弱っているんだよ」

「……」

私はじっとイオの顔を見下ろした。イオは無言の私にふっと笑って、安心させるように頬を軽くたたいた。

「悪かったな、フュリア」

「……」

「なあ、機嫌直せって」

「……私はいるから」

「ん?」

「私は、イオの傍にいるから、……簡単にいなくならないで」

「……」

イオは無言で、もう片方の手も私の頬にのばした。イオはやれやれ、と声も出さずに呟く。

「……ったく、風邪ぐらいで大袈裟な。でも、わかったよ」

「……うん」

ようやく私が頷くと、イオはほっとしたように笑った。それから、言いづらそうに口を開く。

「で、だフュリア」

「何?」

イオの視線が泳いでいる。さっきまでの余裕はどこにいった。

「その、嫌じゃないんだが、……ちょっと落ち着かないから、膝枕はやっぱいいや」

「……」

イオの動向を見守る私に、イオは早口で付け加える。

「お前も、俺が寝ている間ずっとやるのもつらいだろ?途中で枕と入れ替えるにも、目が覚めるかもしれないし」

そういえば、思いつきでしたから、そこまで考えてなかった。確かに、イオの言うことも一理ある。

「……そうだね」

イオに同意すると、あからさまにイオが安堵した。……何だか、おもしろくない。むくれていた私の頭に、あることが閃いた。

「じゃあイオ、頭まで上掛けかぶらないようにして、しっかり休んでね」

「おう」

膝の代わりに枕が差し込まれて、イオの目が閉じてゆく。その間に私はそっとイオの顔の横に手をつくと、タオルごしにイオの額に口づけた。

閉じかけたイオの目がカッと見開かれた。その翡翠色の瞳にはっきり混乱が見て取れて、してやったりと気が晴れる。

「え、ちょ、フュリ、ア……?」

「またしばらくしたら、タオル取り換えに来るね」

「おいってば」

イオの問いかけに聞こえないふりをして、私は部屋を出た。

「……やりやがった」

扉が閉まる寸前、呆然としたイオの呟きが聞こえてきて、私は小さく吹き出した。


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