白雪姫
「イオ、ちょっと森に行ってくるね」
「……」
反応がない。まあ当然だ。イオは今、自分の研究室の机に突っ伏して絶賛爆睡中である。昨日、かなり遅くまで起きているなあと思っていたけど、程よいところで寝かせた方がよかったかもしれない。地味にイオは寝起きが悪いので、無理に起こすと面倒なのだ。かといってこのまま出ても、また勝手に出ていったのなんだの説教されてもたまらない。
メモや本が散らばる中、足音をたてないよう極力注意しつつ、私はイオの隣に立って、一枚の紙を机に置いた。所謂、置き手紙というやつだ。私はなぜか字がとても汚いのだけれど、イオなら何とか読みとってくれるに違いない。
去り際、仮眠用の長椅子に放られていた上掛けをそっとかけて、私は意気揚々と家を出た。
「ポチ?」
家を出てから数時間。
薬草を採集する私を守るように隣を歩いていたポチが、ふと足を止めた。ぐるぐる、と喉でうなり始めたポチの傍にしゃがみ、どうどうと背中をたたく。今私は目を閉じているからわからないけど、きっと鼻先にすっごくしわを寄せて警戒しているに違いない。
私は周囲に顔だけ向けて、言った。
「もしもーし!隠れていらっしゃる人がいたら、出てきた方がいいですよ!この子ちょっと気性が荒いので、早く出てこないとかみついちゃいますよ!」
私の言葉が終わってからしばらくして、ガサゴソと音がした。私が音の方向に顔を向けると、かすかに息をのむ声が聞こえた。
「君、目……」
「見えないので閉じているだけですよ」
魔石の事はみだりに話すな、と言われずもがなのイオの忠告に従って、私はいつもの適当な出まかせを行った。声からして、相手は男の人らしい。ばう、と鋭くポチが吠えた。
「ひっ魔物……」
キン、という甲高い音に、男の人はどうやら武器を構えたらしい。私はあわててポチをしずめる。
「こらポチ、出てきてくれたんだから無駄に威嚇しない!おじさんも、この子は魔物ですけど人は食べないので大丈夫です」
「でも、やけに気が立ってるみたいだが……」
「それはたぶん、隠れていたおじさんの気配を察して、警戒しているんだと思います。自慢の護衛ですから」
私の言葉に誇らしげにポチは吠え、甘えるように私の体に頭を押し付けていた。それを見て、おじさんもようやく納得したらしい。
「そうか、早とちりして悪かったね。俺は狩人のダン。お嬢さんと魔物……ええと、ポチだっけ、君たちが歩いているのを見て、てっきりお嬢さんが狙われていると思って様子をうかがってたんだ、申し訳ない」
「いえいえ、誤解が解けて何よりです。私はフュリア、こっちはポチです」
「それにしてもよく懐いているなあ。そこまで人に友好的な魔物を見るのははじめてだよ」
「ありがとうございます」
ダンさんの感心したような声に礼を言って、ポチの頭を撫でておいた。ポチも褒められてまんざらでもなかったらしく、すっかり警戒を解いている。
「ところで、一つ聞いてもいいかい?」
「何ですか?」
「このあたりで、フュリアさんくらい……いや、2つか3つほど年下の女の子に会わなかったかい?特徴は……おっと、フュリアさんは目が……」
気の毒そうに口ごもったダンさんに、私は気にしてないと微笑んだ。ポチは不服そうに鼻を鳴らしたので、喉のあたりを手探りで撫でてやる。
「女の子、ですか……会ってないですね。ポチは?」
ばふばふとポチの毛が私の体にあたる。首を振って否定しているようだ。
「ポチも見てないみたいです」
「そのようだね……」
残念そうなダンさんの声に、私はたずねた。
「もしかして、迷子さんですか?」
「あ、ああ……まあそんなもんかな」
「じゃあ、うちに魔術師がいるので探してもらうよう頼みましょうか?」
「ま、魔術師!?」
ダンさんの声に怯えのようなものを感じて、私は首をひねる。ダンさんは魔術師に馴染みがないのだろうか。訳のわからない技を使うということで魔術師に馴染みのない地域では怖がられていることもある。私はダンさんを安心させるために、言い添えた。
「大丈夫です、イオっていう私と同じくらいの男の子で、一見頼りないかもしれませんが、努力家で魔術の勉強は人一倍しているから、きっとダンさんのお手伝いはできます!」
「そ、そうかい……魔女では、ないのか」
「え?」
ダンさんの言葉の後半が聞き取れなかったが、ダンさんは何でもない、その魔術師に頼もうと押し切られ、私とポチは家へダンさんを案内することになった。
「……う?」
鈍いドン、ドンという音で目が覚めた。重たい瞼を何とか開くと、紙くずやインクで散らかった机が目に入る。どうやら俺は、研究の最中疲れに勝てす寝入ってしまったらしい。最近の研究続きによる寝不足がたたったのかもしれない。ズキズキ痛む頭を押さえながら起き上がって、そこで俺はかけられていた上掛けと下手くそな字のメモに気づいた。うん、何とか読めるが相変わらずフュリアの字はひどい。近々また無理やりでも練習させないと、と俺は固く決意した。
「あの!すみません!」
どどん、と一際大きく鳴った音に、俺は起きたばかりでろくに働かない頭を音の方へ向けた。どうやら、玄関から聞こえる。来客か、と呟いて俺は緩慢に玄関へ向かった。寝起きに甲高い女の声は拷問だ。面倒だが用件を聞いてさくっと帰してしまうにこしたことはない。
はいはい、と俺が扉を開けると、声の通り一人の女がそこにいた。女、といっても俺やフュリアとそう年は変わらない。2つか3つほど、年下か。黒髪で、大きな紅い目が印象的な少女だった。フュリアの目より深い色合いで、少し紫が交ざっている。
「うわっ」
そして人の顔を見た第一声がそれってどうなんだ。寝起きのイライラと相まって、俺の返答がつっけんどんになる。
「何だ」
「すみません、てっきりお留守とばかり……よかった人がいた!」
少女はうれしそうに手をぱちんと叩いた後、慌てて付け加えた。
「藪から棒にすみません!私、ちょっとこの森で迷ってしまったものでして……よろしければ、少し食料と水をわけていただけませんか?私、昨日から何も口にしていないのです!」
切々と訴える少女に、俺は目を細めた。
「断る」
「わあありがとうござ……えええ断られた!」
大きな目をかっ開いて驚く少女を他所に、俺はドアノブに手をかけた。
「生憎こちとら、慈善事業はやらない主義だ。他をあたれ」
そのまま俺はドアを閉めようとしたが、小癪にも少女は隙間に体を滑り込ませてきた。
「お金なら、ちゃんとあります!お城にあるから後払いだけど!なので何か食べる物と水をください!」
「黙れ不審者。帰れ」
「自分より年下の女の子にすがりつかれて一切ほだされない上に不審者呼ばわりって!あなたそれ、男として壊滅的にモテませんよ!」
「知ったことか」
「イオただいま~」
俺が少女を振りきろうとしたその瞬間、能天気なフュリアの声がかぶさった。少女から気を逸らさず視線だけ声の方へ向けると、籠を薬草で一杯にしたフュリアとその横に付き従うポチ、そしてその後ろをおどおどとついてくる壮年の男が見えた。
「イオ、ちょっと相談があってね……誰かいるの?お客さん?」
「フュリア、今少し取り込み中だから」
森に戻っていろ、と俺が言う前にドアを引っ張りあっていた少女が不意に力を抜いた。勢い余って、俺は不覚にも尻餅をつく。
「ぎゃああああ、狩人おおおお!」
「は?……おい!?」
あろうことか少女は、俺にしがみついてきた。慌ててはずそうとするも、首にまわされた手は火事場の馬鹿力か、中々外れない。
「おい、離れろったら!」
「どうしたお嬢さん……あっ白雪姫!とうとう見つけたぞ!」
「後生ですからお兄さん匿って!あいつに捕まったら私、お先真っ暗なんです!!」
「ひとまずお前は離れて俺の話を聞け!」
「……イオ」
てんでバラバラ、好き勝手にそれぞれが叫んでいたというのに、呟きにも近い音量のフュリアの声は、俺の耳にはっきり届いた。はっとフュリアを見ると、フュリアは目を開いていた。どさ、とフュリアの手から籠が落ちて、薬草を撒き散らしながら転がっていく。間近で「目に、石?」と不思議そうな声がするが、俺はひたすらにフュリアを見続けた。
なぜなら、フュリアの視線が今まで見たことがないくらい、冷たいものだったからだ。
「フュ、フュリア……?」
固唾をのんで俺が名前を呼べば、フュリアは小さく息をついて、しばらく瞳を閉じた。再び開いた目は、先程と変わらず冷たいままだった。その薄桃色の唇が動くのを、俺はじっと注視した。いつの間にか、他の二人も黙ってフュリアに注目している。
「イオの、少女趣味」
「……なっ!?」
フュリアから叩き付けられた言葉のあまりの衝撃に、俺が絶句していると、フュリアはくるりと踵を返した。すたすたと歩き去ろうとするフュリアに、俺は慌てて追いかけようとしたが、首にぶら下がったままの少女が邪魔で、うまく立ち上がれない。
「おい、邪魔だクソガキ!」
「クソガキで結構ですし彼女さんに誤解させてしまって申し訳ないですけどこっちも命の危機なんですお兄さん助けて!」
「彼女じゃない!が、正直知ったことじゃない!」
「そんな殺生な!」
「おい兄さん、すまねえがその女の子渡してくれねえか?そしたらお嬢さんを追いかけられるだろ?」
「鉈を取り出したあんたに渡せるか!流石に俺もそこまで薄情じゃない!」
ポチがフュリアの後を追ったのを確認して、俺は苦渋の決断で目の前の混沌極める状況を整理しにかかった。
くううん、と頭上からポチの切なげな鳴き声が聞こえてきた。
「ごめんね、ポチ」
今私がいる木の虚の中は、入り口が小さくなっており、ポチは入れない。それでも健気に私を心配して入り口で待機してくれているポチに心の中で手を合わせた。今度、ポチの好きな遊びにとことんつきあってあげないと。
私は膝小僧を抱えながら、見上げた。元は大木だったこの木は、枯れた後落雷を受け、大体家の2階部分から上の高さの幹が折れて星空が見えていた。いつの間にか、夜になっている。虚の中は風がなかったけど、忍び込むような夜気が冷たく肌を刺した。
「イオ、怒ったかな……」
自分より年下とはいえ、女の子に抱き付かれているイオを見て、一瞬、頭が真っ白になった。その後、胸をかきむしりたくなるような鋭い痛みと、目頭が熱くなって。気が付いたら、イオにひどいことを言った。前後の会話から、なんとなくイオは巻き込まれたっぽいことはわかってて、イオが本気で少女趣味ではないこともわかってる。だけど、理性より先に、感情が舵をとった。
私は膝小僧に頭を埋めて、息をついた。
イオに嫌われる可能性なら、いくらでも耐えられる。本音を言えば嫌だけど、私は――イオを助けるために、イオを育てた師匠を消した。跡形もなく。
だって、私はイオに生きていてほしい。イオの皮をかぶった師匠なんて、それはイオじゃない。
でも、イオは、最後まで悩んでいた。だからいずれ、もしかすると、“師匠を救いたかった”とかイオが思うようになり、その機会を奪った私を恨むときが来ても、――悲しくても、仕方ないと思っていた。
なぜなら、私は、
「フュリア!そこか!」
頭上でイオの声がする。続いて、ぐるるるるというポチの唸り声も。
「フュリア、いるなら返事してくれ!後そっちに行ってもいいか?ポチがお前の許可がないと行かせない気でローブを引っ張るんだ!」
イオの焦った声にくすりと笑って、私は声を張り上げた。
「いるよ!でも、来るのはもうちょっと待って!」
「よかった、いたか……もうちょっとってどのくらいだ?」
ぶつくさ言いながら、イオの声はどこかほっとしたような響きに変わる。それに気付いて、私の心は少し湿っぽくなった。
もう、私は知っている。私は、イオが好きだ。好きで好きで、イオの隣が私以外の誰かのものになるのは気にくわない。イオがイオでいてくれたなら、それでよかった筈なのに。たとえ、イオに恨まれてでも、私を覚えててくれるなら、それでいいと思っていた私は、気付けば欲張りになってしまっていた。
「フュリア!」
「何?」
まだ待って、と言おうとした私に被せるように、イオは叫んだ。
「今からローブを落とす!拾え!」
「え?」
びっくりして顔を上げた私に、バサバサと何かがかかる。染み付いた薬草の匂いに、嗅ぎ慣れたイオの匂い。少し重たい丈夫な生地でできたそれは、例えばそう、寒さをしのぐにはうってつけだけど。
「イオ、どうするのこれ?」
「着てろ!お前の服装じゃ寒いだろ!」
「イオは寒くないの?」
「阿呆!寒いに決まってる!だけどお前に風邪を引かせるわけにはいかないからな!」
私は、口元を震わせた。その震えを押さえ込むように、ぐっと口角を上げる。
「なんで?」
「何度も言わすな!俺はお前の保護者だからな!」
ああ、やっぱり。
予想通りの答えに、私はぐっと沸き上がる衝動を押さえた。
イオから再び魔術師を目指すことを聞いたとき、理由も聞いた。イオは、単純にまだ魔術が好きなことと、私にはまっている魔石を理由としてあげた。
魔石が理由?とたずねる私に、あの日のイオは言った。
“ああ、お前はそれがあるから、他の魔術師や魔物から狙われやすい。だから、それを取り除けないか、研究するんだ”
お前が安心して暮らせるように。そう言って屈託なく笑ったイオの笑顔は、今も大切に私の心に仕舞われている。
あの日、厄介者の私を受け入れてくれたイオに、これ以上何かをほしがるなんて、欲張り以外の何者でもない。
だから私は、自分の気持ちをそっとくるんで、のみ込んだ。
「イオ、来てもいいよ!」
「ようやくか」
やれやれ、と言った風に降り出したらしいイオに向けて、私はもう一度叫んだ。
「来たら、一緒にローブに入ろう!」
どがっ。ごろごろごろ。ずざー。
擬音語にしたらそんな音をたてて、イオが私の横に落ちてきた。ローブを着ていないイオを見るのは久しぶりだ。無言でむくりと起き上がったイオは全身土埃にまみれていて、頬にまで土がついている。
「イオってば、運動不足?」
「お前が、変なこと言うからだろ!」
「……イオを少女趣味って言ったこと?ごめん」
「ああ、そういやそれも……いやそうじゃなくて!それは誤解で……」
イオは顔に片手をあててぶつぶつ呟いていたが、私はふと思い出したことを聞いた。
「イオ、あの女の子とダンさんは?」
「ダンさん?」
気のせいか、イオの眉がちょっぴり寄った。
「狩人の男の人だよ」
「ああ、あいつらなら、クソガ……女の子は知り合いのドワーフのとこに、狩人はその近くの森に転移させた」
「ドワーフさんたちのところに?何で?」
「あいつらは良くも悪くもお節介だからな、たぶん悪いようにはしないだろ」
「イオにしては雑な解決法だね」
「ドワーフは“助け合い”云々ぬかして、災難避けの魔術道具代ねぎるような奴等だ、丁度良いだろ」
フン、と鼻を鳴らしたイオは、私を見下ろした。イオは咳払いをしてから、私に向かって手を差し出した。
「まあ、その、何だ。お前の誤解も解けたみたいだし、あいつらのこともたぶんドワーフが何とかするだろうから、帰るぞ」
「……うん。イオ、探してくれて、ありがとう」
私が素直にイオの手をとると、イオは嘆息した。
「お前ほんと、もう少し分かりやすいところにいろ。ポチがいなかったら、厳しかったぞ」
「ごめん。でもイオ、見付けてくれたね……それに」
「フュリア?」
私は、イオの手を握る指に力を入れた。戸惑いながらも、イオは私と同じくらいの力で握り返してくれる。
「イオはこの魔石を取ってくれるんでしょ?だから、それまで私がイオから離れることはないよ?」
「……そうか」
ほっとしたように息をつくイオに、私はぐっと顔を近付けた。仰け反りながら、イオが聞いてくる。
「何だ、急に!」
「魔石をとってもらうなら、義眼作らないとなあ、と思って」
「義眼?」
おうむ返しに呟くイオに、私はうんうんと頷いた。
「やっぱりイオみたいな綺麗な翡翠色の目、良いなあ」
「だからお前、男に綺麗とか言うなよ、綺麗って言うのは、お前の、目、みたい、な……」
次第に語尾の小さくなるイオを不思議に思って覗きこもうとしたら、手に持っていたローブで顔ごとぐるりと体を覆われた。
「い、いいから、さっさと帰るぞ!」
そう宣言したイオの口は貝みたいに閉じてしまい、家に帰るまで開かなかった。




