第十一話 利害の一致
私設騎士から差し出された古い羊皮紙を受け取り、その場で広げた。
霧に濡れた紙面を、カイルと、そして馬上のヴィオラを交えた三人の視線が交錯する。
ヴィオラの目的は帝室と神殿への復讐であり、私の目的は汚染の除去と、それによる調合知識の保全・自己同一性の維持だ。
彼女の計画が進めば、プラントが破壊されて汚染は止まる。
しかし同時に、帝都全体がこの皇女派と神殿派との内戦で瓦解すれば、水質管理の継続や薬草の安定調達はむしろ困難になる。
本質的に、私たちの最終的なゴールは矛盾していた。
だが、それらは廃棄プラントの最深部に潜入し、神殿の現体制を叩き潰すという、第一段階の中間目標においてのみ、完全に合致している。
それより先の矛盾については、最深部に到達した後にその場で解決策を適用すればいい。
今はただ、彼女の提供するルートという実利的なカードを利用することだけが最適解だった。
さらに、この羊皮紙に示された水路地図。
カイルの査察権を隠れ蓑にして都の表検問を通過する場合、私のヤミ登録が看破される確率は半々。
だが、この水路地図に示された神殿の隠し排水門の守衛配置シフトと巡回周期の規則性、そして都の地下気流によるガスの滞留状態を掛け合わせれば、神殿の検問網を完全に迂回して最下層から潜入する成功率は、私の計算上、極めて高い。
カイルは、水路網の交点に記された神殿の紋章を、自らの傷だらけの指先でなぞった。
「旧水路か。だが、なぜ帝都の中心部直下の水路が、これほど完全に放置され神殿の独占しているんだ?」
「その旧水路は、神殿が不法に排出した高濃度の排水で汚染されている、物理的な地獄ですわ。誰も近づくことなどできない」
ヴィオラは馬の上から冷淡な微笑で見下した。それに対する私の回答は、極めて単純だった。
「推論だが強塩基性の揮発ガスだと仮定すると。
私にとってはただの通路だ。酸
性触媒と多層フィルターで呼吸を確保することは容易だ。
これで神殿の検問網を完全に迂回し、最下層から潜入する成功率は跳ね上がる。
ただの格子網を潜り抜けるだけの問題に過ぎない」
「……お見事ですわね。たかが辺境の薬売りが、推論とはいえ即座に解決策をみつけるとは。
さすがの知性をお持ちですわ」
羊皮紙の端に小さく記された避難拠点の図面を指先でなぞりながら、彼女に冷淡な視線を戻した。
「取引としては出来すぎている。
この地図が、私たちを神殿に売り渡すための囮である確率は?」
「あら、さすが。
ですが、私があなた方を売るなら、部下に今ここで射掛けさせれば済む話ですわ。
私を信頼させる必要はありません。
これは純粋な、私の利益のため。
あなたが生き残ることこそが、私の最初の収穫になりますもの」
彼女の視線と部下たちの配置から、その発言の欺瞞性と実利性を計算した。
結論、囮である確率は現状、取引を拒絶して自力で突入するリスクよりはるかに低い。
「カイル、そこの記載。都の最下層貧民区にある古い廃店舗。
この図面を逆算する限り、そこは三重の隠し地下室を持つ隠れ家だな」
「おや、そこまで読み取るとは。
ええ、その通りですわ」
ヴィオラは少し眉をひそめ、驚きを隠すように優雅に顎を引いた。
「そこは、かつて我が一族が没落する前、帝都の地下流通網を牛耳る闇市場との取引拠点として使用していた場所。
現在、都の衛兵局の管轄から完全に外れた『法外区域』に位置しており、彼らの私設特務網が長年維持してきた極秘の安全地帯ですわ。
そこへ至るための手引きは、私の部下に行わせます。
……せいぜい、帝都の厳重な検問に引っかかって、無駄な屍を晒さぬことですわ」
カイルは、自らの大きな手のひらに載せられた、あのツユクサの精製液の小瓶を親指でそっとなぞりながら、かつての主君の血筋を見据えた。彼の表情には、かつて自分が間接的に加担させられていた宮廷粛清の生き残りと手を組むことへの、苦く重い決意が宿っていた。
「……五年前、俺があの日、裏門を封鎖しててめえの脱出路を完全に塞ぎ、跪かせた。
その時に見た、ローゼンバーグ家の幼い皇女の涙。
あの日から、俺は自分が宮廷の都合のいい掃除人に過ぎねえことを薄々悟りながら、その不快な記憶から目を逸らし続けてきたんだ。
もう、目を逸らすのはやめる。俺はてめえを利用し、てめえは俺を利用する。
……やるからには、徹底的だ、ヴィオラ様」
「おや、あの日、裏門で震えていた近衛の小僧が、ようやく自分の頭で思考するようになったのですか。
結構なことですわ。せいぜい、私の用意する泥道で足を踏み外さぬよう、その錆びた長剣を研いでおくことですわ」
ヴィオラは馬の首を巡らせ、去り際に告げた。
「明日、村を立ちなさい。都の手引きは、私の部下に行わせます」
彼女はそう言い残すと、私設騎士たちを従え、朝霧の彼方へと音もなく消え去っていった。
張り詰めていた気配が霧の中に溶け、村の境界には、再び灰色の大地特有の、冷たい静寂が戻ってきた。
「……行くか、リアム」
カイルは、ヴィオラが去った森の奥を睨みつけたまま、自らの剣を帯に固定し直した。
「ああ。これ以上の滞在は、汚染の進行度を計算しても非合理的だ。旅支度を始める」
小屋へと引き返し、調合台の上のガラス瓶と、トビーから貰ったツユクサの木彫りを木箱に詰め込み始めた。
完全な信頼関係ではない。だが、目的の一致だけで結ばれた不穏な同盟が、私たちを帝都エリュシオンの、あの巨大な深部へと導こうとしていた。




