第二話 ……なぜか、続きを聞かねばならない気がする
けれど、おかしいと気づいたのは五日目。
王は、夜のことを覚えていない。
毎晩、私は物語を語る。
王は聞き入る。続きをせがむ。
けれど翌日の夜、寝所に入ると、彼はまるで初対面みたいな顔をして、私に向かって「名は」と訊くのだ。
灰の目で。
なのに、必ずこう続ける。
「……なぜか、続きを聞かねばならない気がする」
覚えていないのに、覚えている。
忘れているのに、渇いている。
だから私は、毎晩、彼の手のひらに消えにくい染料で次の話の題を書くようになった。
「鶴」「桃」「灰かぶり」。
朝、彼は意味のわからない一文字を握りしめて目を覚ますらしい。
そして夜になると、それを私に差し出す。
「これは、なんの続きだ」
この人は、何かに記憶を食われている。
寝所には、毎晩、決まった刻限に香が焚かれる。
夜香木に似た、甘ったるい煙。
焚くのは王の叔父——宮廷筆頭ダルウィーシュ卿の小姓だ。
私はその煙を吸わないよう、いつも窓際に座っていた。
前世で読んだミステリの受け売りだったけれど、正解だったらしい。
「ヌール」
私はある夜、侍女に訊いた。
「あなた、なんで初日に泣いてたの」
「姉が、四十七人目の花嫁でした」
ヌールは長いこと黙ってから、答えた。
調べるほど、腹が立ってきた。
王の目が灰になったのは三年前。
前の王妃ライラー様が、姦通の罪で処刑された夜からだ。
誰もが言う。
王妃の裏切りが王を壊したのだと。
けれど花嫁殺しが始まったのは、その三か月ほどあとだった。
王妃の死後、王はほとんど眠らなくなり、やがてダルウィーシュ卿から「心を静める香」を献上された。
その頃から、夜の記憶が曖昧になった。
そして三か月後、最初の花嫁が殺された。
記録庫の焼け残りを、ヌールと二人で一月かけて漁って、私は見つけてしまった。
処刑の三日前、王妃が王に宛てた書簡の写し。
そこにあったのは恋文ではなく、数字。
国庫から消えた金の、行き先。
西方の塩坑と、南の隊商路の通行税。
差配していたのはダルウィーシュ卿。
王妃は、気づいたのだ……だから殺された。
姦通という、いちばん王を壊す嘘をかぶせて。
そして王は「妻は必ず裏切る」という毒を、毎晩、香とともに耳から流しこまれ続けている。
夜の記憶を奪われ、朝には憎しみだけが残るように。
花嫁が九百九十九人殺された理由も、わかった。
名家の娘が、ひとり残らず消えていく。
世継ぎを産みうる娘が、ひとり残らず。
最後に残るように仕組まれていたのが、ダルウィーシュ卿の娘、ザイナブ様だ。
彼女は宮廷の薔薇と呼ばれていた。
私を見るたび、扇の陰で微笑んだ。
「まあ、まだ生きていらしたの。しぶといこと」
「おかげさまで」
「でも、そのお顔もそのうち飽きられますわ。陛下は、飽きたものを庭に捨てるお方ですもの」
彼女の扇は、南の隊商路でしか採れない孔雀羽で編まれていた。
証拠は集まった。
焼け残った王妃の書簡の写し、三年分の香の仕入れ帳。
注文者にはザイナブ様の署名があり、届け先はすべて国王寝所。受取人は、ダルウィーシュ卿付きの同じ小姓だった。
そしてヌールの兄が薬師で、あの香の正体を知っていたこと。
「解毒はできる?」
「一晩、香を断ち、逆の薬を焚けば。……ただ、失った記憶が一度に戻ります。三年分が、いっぺんに」
「耐えられる?」
「わかりません」
私は王の寝顔を見た。
眠っているときだけ、この人はただの若い男だった。
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