第一話 明日の夜明けに首を落とされる、千人目の花嫁として
湯の匂いで目が覚めた。
薔薇と、白檀と、それから嗅いだことのない甘い花の香。
見上げた天井はやたらと高くて、金の星が散らしてある。
侍女が三人がかりで私の髪を梳いていて、そのうちのひとりが、声を殺して泣いていた。
——ああ、これ、死んだやつだ。
最後の記憶は、バイト先の古書店の書庫。
揺れて倒れてくる書架。とっさに抱えこんだ文庫本の背表紙。
うん、死んだ。
十七年の人生、閉店。
で、目が覚めたら知らない体の中にいた。
磨かれた銀鏡の向こうにいるのは、蜂蜜色の肌に夜みたいな黒髪の少女。
私と同じ年の顔をして、私よりずっと綺麗な顔をしている。
名前は、頭の中に勝手に流れこんできた。
シェヘラザード。
宰相ジャアファルの娘。
そして今夜、王の花嫁になる。
——明日の夜明けに首を落とされる、千人目の花嫁として。
「……嘘でしょ」
思わず日本語で呟いたら、泣いていた侍女がびくりと肩を跳ねさせた。
年は私と同じくらい。名をヌールというらしい。
「お嬢様、お気を確かに」
「ヌール、確認させて。王様は、毎晩花嫁を娶って、夜明けに殺してるのよね」
「……二年と九か月ほど前から、ずっと」
「なんで誰も止めないの」
「止めた者は、みな謀反人として消えました」
なるほど。
詰んでる。
「でも……」
前世の私は、本ばかり読んでいた役に立たない女子高生だったけれど、ひとつだけ知っていることがある。
この話の元ネタを、私は知っている。
王の寝所は、恐ろしいほど静かだった。
シャフリヤール王は、思っていたよりずっと若い。
二十二か三か。彫りの深い横顔に、金糸の刺繍の外衣。整いすぎていて、人形みたいだった。
目だけが、生き物の目をしていなかった。
灰の底みたいに冷えていた。
「名は」
「シェヘラザードと申します」
「宰相の娘か。……あの男も、ついに娘を差し出したか」
父が泣きながら止めたのを振り切って、私が自分で志願したのだけれど、それは言わなかった。
「そこに座れ。何もしなくていい。夜明けまで、そこにいろ」
「陛下」
「なんだ」
「わたくし、眠れませんの。……お話を、してもよろしいですか」
王は初めて、少しだけ人間みたいな顔をした。
怪訝そう、という顔だ。
私は語りはじめた。
竹の中から生まれた、手のひらほどの女の子の話を。
育ての親が老いていくあいだに、その子は光るほど美しく育って、五人の貴公子に求婚されて、ぜんぶ無理難題で追い返してしまう話を。
王は最初、聞き流していた。
次第に、身じろぎをやめた。
最後には、寝台の端に肘をついて、身を乗り出していた。
「それで、その娘は誰を選んだ」
「誰も選びませんでした。あの子は、この世のものではなかったので」
「では、どこへ行った」
「それは——」
東の空が、白みはじめていた窓の外を見て、私は口を閉じた。
「……なんだ」
「続きは、明日の夜に」
「なぜだ」
「わたくし、朝には語れませんの。物語は夜のものですから」
王はしばらく私を見ていると、ふっと口元を歪めた。
笑い方を忘れかけた人が、久しぶりに思い出したみたいな笑いだった。
「小賢しい女だ」
「よく言われます」
その日、私は殺されなかった。
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