第3話 この時から1
「檜川さんよろしくお願いします」
「今日もカットとトリートメントですよね」
「はい」
「阿羽さん髪きれいだしロングも似合いそうですけどね」
檜川さんが鏡越しにそう言ってくれた。
「ありがとうございます。でも今日もカットしてください」
私はきっとまた焼いたりしちゃうから。
あのことは今でも大樹に申し訳なく思うし、髪を切る時は特に思い出す。
ショートは私の注意欠陥の象徴。
だけど、だから、せめてこの髪をきれいにしていたい。
そんなことしても大樹は喜ばないかもしれないし、なんの意味もないかもしれないし、何より『もう気にするな』って何度も言われてるけど、それでも、大樹が怪我を覚悟で助けてくれたことに、ほんの少しでも応えたい。
大樹の気持ちと、守ってくれたことを大事にし続けたい。
こんな私でも髪がきれいだと楽しくなるのも少しはあるけど。
「じゃあ切っていきますね」
「お願いします」
「はーい」
髪を切るジョキという音と感触が伝わってくる。
*
ようやくお母さんと愛菜が出掛ける。
愛菜の小学校の友達のママたちと晩ごはんに行くって言ってた。もちろん愛菜も一緒に行く。
バレンタインの日に家に私一人になれるなんて、本当に運がいい。
今日が待ち遠しくて仕方なかった。
「こさよ、火は使っちゃだめだからね」
ミスが多いんだからとも言われると傷つくけど、今は気にしない。
「わかってる」
「んー、使うこともないよね?」
「うん、ないよ」
「そうだよね。それじゃあ行ってきます。愛菜行こう」
「うん」
「いってらっしゃい」
…よし、大樹が来るまでにおしゃれし直そう。
服は学校から帰ってからお気に入りに着替えたからOK。
髪は長いから、毛先までしっかり梳かす。
「うん、きれいになった」
今日は大樹に手作りチョコをあげるんだ。
隠しておいた材料も出しておこう。
忘れたりなんかしないんだから。
「ミュール、今日は大樹が来るよ」
早く大樹に喜んでほしいな。
*
「わんわん!」
「大樹、いらっしゃい」
「わん! わん!」
「お邪魔します」
ふふ、ミュールも大樹が来て喜んでる。
「コーヒー淹れるから座ってて」
「わかった」
私は苦いものがまだ飲めないけど、もう少ししたら飲めるようになるよね。
大樹は大人ですごいなあ。
「はい、熱いから気をつけてね」
「ありがとう、いただくよ」
いよいよ始めるぞ。
作り方はしっかり予習した。
『鍋で水を沸騰させて、その上にボウルを置いて、チョコを溶かして、型に入れて冷やす』。
ちゃんと覚えてる。
ミュールは…大樹が来た興奮は落ち着いたんだね。私から少し離れた所で寝てる。
『料理中は危ない』ってことがしっかりわかってもいるみたい。
安全も大丈夫。
やるぞ。
*
意外と高い。
鍋の上にあるボウルの中のチョコをへらで混ぜたいけど、私は背が低いから思ったより大変だな。
でも大樹に喜んでもらうために、がんばる。
背伸びして、転ばないように、慎重に…
今の『ババっ』って音、ミュールがいきなり起き上がった音だよね?
「わんわん!! わん、わんわん!!」
「ミュール、どうしたの?」
私に向かって吠えてるけど、何かあったの?
「こさよ!!」
ほっぺがあったかい? ? このもやもや何? …煙!?
髪が燃えてる!!
「やだ! やだ!」
「わん!」
「止まれ!!」
そのコーヒーを掛けてくれるんだね!? 助けて!!
何も見えない! 熱い!
「やっ!」
なに!? 立ってられない!
「うんんんん!!」
大樹の声がする。なんで大樹がそんな声出すの? 私たちどうなるの!?
「わん! わん!」
何が起こってるの!? 怖い! 痛い!
「怖い! 怖い!」
「わんわん! わん!」
「ああああ!」
「はあはあ、こさよもミュールももう大丈夫だ」
「大樹い!」
「大丈夫、こさよは怪我してないよ」
「うわああ」
「大丈夫だから、安心して」
「ああん! …うん…ぐす、ぐす」
大樹が安心してって言った。大樹がそう言うんだから安心していいんだ。
っ、コーヒーが目に入った。痛い。私はどうなったの?
『こさよは』って言った!? 大樹はどうなったの!?
目開けなきゃ!
「大樹は!?」
「俺も大丈夫だ」
大樹が握ってるのは私の髪?
さっき立ってられなくなったのは、髪ごと私を引っ張って水を掛けたからだったんだ。
じゃあどうして水を手に掛け続けてるの? 髪の火は消えたんでしょ?
まさか!
「もしかして火を握ったの!? 見せて!!」
「ああ…」
「怪我してるうう!!」
「大丈夫だから、怖くないよ」
「大丈夫じゃないよ! ごめん。私のせいでごめん。お母さんに電話する」
「美和さんより先に母さんに電話しよう」
「…うん」
大樹が静さんと話してる。
すごく冷静に話してるお陰で、私もつられて落ち着いてきた。
私はなんてことしたんだろう。
私のせいで大樹にやけどさせちゃった。
「母さんがすぐに帰って来るってさ。一時間くらいで着くから、それまで待ってろって。次は美和さんに電話しよう」
そうだった、お母さんにも電話しなきゃ。
あれ、この電話どうやって使うんだっけ? いつもの電話なのにわからない。
「大丈夫だから、落ち着いて美和さんを呼ぼう」
大樹が背中を撫でてくれてる。
「うん」
大樹に怪我をさせたのは私なのに、大樹だけが冷静で私の心配をしてる。
申し訳ないし情けないしで泣きそうだけど、そんなことしてる場合じゃない。
落ち着いて、落ち着いて、お母さんに電話しなきゃ。
お願い、出て!
「もうなに?」
「大樹に怪我させちゃった。すぐ帰って来て」
「今話せる?」
「美和さん、大樹です」
「大丈夫なの?
「軽いやけどだよ」
「やけど? こさよ、火を使ったの?」
「うん」
「なにやってんの!!」
「ごめんなさああい!!」
「美和さん、こさよは無事だよ」
「そう、静さんには私から連絡しとくから」
「もう電話した。一時間くらいで来ることになってる」
「だったら病院には行けるね」
「帰って来てええ!!」
「私はごはんがあるって言ったでしょ」
「お母さん、私怖かったの」
──これからお母さんに言われることがわかる。不思議。
もう心が壊れるのは避けられないみたい。
大樹、私なんかを抱きしめてくれるんだ。
大樹もわかってるんだね。
だから私を抱きしめてくれてるんだよね。
ありがとう。
そんな大樹に怪我させてごめん。
本当にごめん。
「怪我したのは大樹君でしょ。こさよがぼけっとしてるせいで大樹君に迷惑かけたんだから、もうおとなしくしてて」
「ごめん大樹。私のせいで怪我させてごめん」
「大丈夫だから。俺がついてるから」
涙が止まらない…一番痛いのは大樹なのに、大樹に心配かけるから、止めなきゃだめ。
怪我したのは大樹なんだから、病院に行くのの邪魔になりたくない。
これ以上大樹に迷惑かけるのは嫌だ。
今は大樹のやけどを治すことに専念するんだ。




