71話 共に歩むことはできないけど
今日の更新遅くなってしまい申し訳ありません!
「私は、あなた方と歩みを共にすることはありません。」
教室の空気が、一瞬で凍りついた。
先ほどまで熱い期待を滾らせていた生徒たちの、そしてクレスの眼差しが、「何を言っているんだ?」という困惑と驚愕の色に染まっていく。
「申し訳ありません。
結論から申し上げますと、未来の国母…すなわち王妃という立場には、この国の国政をどうこうする権限は…ないのです。
…驚きでしょう?
権限は国王や宰相にあって、王妃に許された実権など、せいぜい次代の王妃候補の選定に意見を挟める程度。
あとはただ、国王の隣に並び、国の威信を損なわぬようお飾りの人形として完璧に振る舞うのみ…。
これに尽きるのです。
ですから、私がその神輿に乗ったところで皆様のために動かせる権力など、どこにもありませんの。
どうか、ご理解ください…。」
私は少し俯き加減になり、静かに話を続けた。
「それに、我がベルドレッド公爵家の名を盾に、私が何を行えるというのでしょう?
現当主である父や、次期当主となる兄の許しも得ず、私が勝手に公爵家の旗印を掲げて旧体制派を牽引するなど、家族への不忠であり侮辱に他なりません。
私が独断で動くことは…極めて困難です。
何より私は今、リュシアン殿下の婚約者という鎖に繋がれている身なのですから。」
生徒たちの間に、重苦しい沈黙が広がっていく。
「皆様の胸にある憤り、この国を憂う烈火のごとき情熱は、確かに私の胸に届きました。
私もまた、皆様と同じ危機感を抱いております。
ですが、私がここで軽率に動きを見せれば、それは公爵家の立場を危うくする凶器となりかねません。
そればかりか、私がこの集会に名を連ねた、あるいは関与したという事実が露見した瞬間…、それはリュシアン殿下を筆頭とする王族への『反逆』とみなされるでしょう。
そうなれば、私だけでなく我が一族もろとも『王室の威信を汚した大逆人』として、冷酷に粛清されることになる恐れがあります。」
その言葉に、数人の生徒がハッとしたように息を呑んだ。
彼らはただ、現状への義憤のあまり、気持ちばかりが先行していたのだろう。
私の置かれたあまりに危うい立場を真に理解した今、もう私を神輿として祭り上げようなどとは思わないはずだ。
私を陥れる意図などない彼らだからこそ、「仕方のないことなのだ」と理性で呑み込んでくれたに違いない。
そうでなければ、それは私にとって『敵』認定するしかない。
「私は私にできる方法で、微力ながらこの傾きかけた国に抗うつもりです。
皆様は皆様の信じる道で、どうか力を尽くしてください。
ただ…これだけは誓いましょう。
皆様の信念が曲がらない限り、私が皆様の敵に回ることは、…決してないと。」
静かに言い終え、私は踵を返して教室を去ろうとした。
「イザベル様!」
背後からクレスが私を呼び止め、私はその場で足を止めた。
「申し訳ありません…。
あなたの重荷を、立場を…、理解していたつもりで…、何一つ見えていませんでした。
正直に申し上げれば、あなたならこの手を取ってくださるのではないかと、あなたさえいれば、と…。
私は、傲慢にも縋ろうとしていた。」
クレスの言葉が、悔恨に滲んで途切れる。
しかし、彼はすぐに顔を上げ、その瞳に新たな光を宿した。
「ですが、私は…私にできることを成し遂げてみせます。
そして、いつか必ず、あなたの隣に立つに相応しい人間になってみせる。
あなたを一人で戦わせたりなどしない。
それだけは…、どうか、心の片隅に留めておいてください。」
私はゆっくりと振り返った。
「クレス様、そして皆様。…ごきげんよう。」
私は完璧な所作で淑女のカーテシーを捧げた。
顔を上げたとき、その唇には、彼らの未来を祝福するような柔らかな微笑を湛えて。
―――共に歩むことはできない。
それは、感情論を抜きにした冷徹な最適解だった。
彼らの手を握るわけにはいかないのだ。
それは何も「自分に権力がないから」という理由だけではない。
実のところ、正体も知れぬ彼らという「不確定要素」と徒党を組むリスクを、極めて現実的に考えた結果でもあった。
(クレスの熱意は本物だとしても、あの場にいた五十人近い生徒全員の身辺調査がね…。
裏にスパイや罠がないか詳しく調べるなんて、どれほどの手間よ。
そんな非効率的な作業をノアたちに強いるのは、あまりにもコスパもタイパも悪すぎるんだよね…。
私は、私が魂から信頼できる数少ない「少数精鋭」と共にこれからを歩む。
今までも、これからも、私のやり方はそうなのだから。)
ただ、彼らがもたらしてくれた情報は、この国の喉元に突きつけられた刃の深さを教えてくれる、極めて価値のあるものだった。
これは徹底的に調べる価値がある。
生徒たちにとっての私は、殿下の婚約者候補…未来の王妃という権力を期待していたようだが、実際は名ばかりの権力を持たない身分しかない。
けれど、皆が知らない「イザベル・ベルドレッド」個人としてなら、リルやノア、或いはアンリ、マユの知恵と力を借りて、陰から彼らの支えになるよう、できる限りの策を講じることはできるはずだ。
やはり事を成すには、肥大化した組織よりも、確固たる信頼で結ばれた少数精鋭の方が動きやすい。
(…でも。ただ、純粋に…嬉しかったな…。)
この歪んだ世界で、自分だけがこの国の行く末を憂い、孤独に足掻いているのだと思っていた。
この国をどうやって救えばいいのか、正解など分からないまま、毎日を手探りで進んできたのだ。
それなのに、クレスは言ってくれた。
『あなたを一人で戦わせたりなどしない』と。
その言葉の響きが、どれほど私の凍えそうな心を温めてくれただろう。
ああ、私はもう、独りで暗闇を歩まなくていいのだと、そう思えた。
(クレス、ありがとう。
あなたたちの行く道に、どうか幸あらんことを。)
彼らがそれぞれの戦場で戦ってくれるなら、これほど心強いことはない。
(…あ、そういえば。
昔、私がまだ四歳くらいだった頃、生意気にもこんなことを考えていたっけ。)
『学院で私の思想を理解し、共に動いてくれる協力者を見つける必要がありそうね。
だってあそこは、ゆくゆくはこの国を背負って立つ人材の宝庫なんだもの。』
かつて自分が脳内で立てていた壮大な計画を思い出し、私は思わず吹き出してしまった。
「ふふっ。」
「イザベル様?
急に怪しげな笑みを浮かべて、どしたんですかー?」
背後を歩いていたメリッサが、不審そうな顔で覗き込んできた。
「あら、声に出ていた?
大したことではないのだけれど…。
ただ、入学してから今日まで、この学院には気骨のある生徒なんて一人もいないと思っていたし、国の未来を憂う者など皆無だと思っていたの。
だって、私たちがここへ来た当初なんて、腐敗と虚栄が当たり前の、見るに耐えない場所だったでしょう?
それが今日…、そうではない者たちが確かにいるのだと知れて、何だか嬉しくなって…。」
「じゃあ、なんで代表の誘いを断っちゃったんすかー!?」
メリッサがこれ見よがしに肩をすくめる。
「それはさっきも言った通り、立場上の問題よ。
もし私が殿下の婚約者でなければ、少しは揺らいだかもしれないけれど。
でも…、この学院には、私が先頭に立たずとも自ら動けるクレス様のような方がいる。
先ほどの彼らの目は、ちゃんと国を背負う覚悟を決めた顔をしていた…気がするわ…。
道は違えど、きっと目指すところは同じ。
いつかそこに辿り着いた時、身分や立場なんて関係なく、同じ景色を見て一緒に笑い合えたら素敵よね。」
「そっ、か…。
イザベル様がそう言うならいいんですけど。
あっ、今日の件、ノア様にきっちり報告しますからね?
クレス様と何やら良い雰囲気で、熱い言葉を交わし合っていたって、一言一句漏らさずお伝えしますから~!」
「ぎゃー!それだけは絶対にやめて!秒速でリルに伝わって、次の日にはクレス様の命が物理的に危なくなるわ!
っていうか、熱い言葉を交わし合ってはいない…いないわよね??
含みのある言い方は卑怯よー!!」
そんな他愛のない軽口を叩き合いながら、私とメリッサは夕暮れの学院を後にするのだった。
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