59話 ブスとはなんだ、この小僧
私は急速にフル回転を始めた脳を駆使し、一見すると謙虚な淑女の配慮に見えつつ、その実、ぐうの音も出ないほど決定的な拒絶の言葉を探り始めた。
(やばいやばいやばいやばい。どうしようどうしよう。
えーとまず、あー、だめだ、うううううんんん。)
私が最善の拒絶案を練り上げている最中、横からリュシアンが吐き捨てるように言った。
「アニエス、君が?
君は私の家庭教師で忙しいだろう。
わざわざこんな『ブス』のために手を汚す必要はない。」
この男の「私のことを一秒たりとも視界に入れたくない」という、あまりにも分かりやすい嫌悪感が頼もしい武器に見えてくる。
(いいぞ!最高のアシストだぞ!
そのままもっと「イザベルとは一緒にいたくない」ってアピールして!)
――それはそれとして。
(サポートはありがたいけれど、ブスとはなんだこの小僧。
命が惜しくないようだな?
ふははは、後で覚えておきなさいよ。)
私は心の中で冷酷な笑みを浮かべつつ、彼が作った拒絶の空気を逃さず、一気に畳みかけるべく口を開こうとした。
だが、それをアニエスの甘い声が遮った。
「いいえ、殿下。
イザベル様は公爵家のご令嬢ですもの。
中途半端な者に任せて、ベルドレッド家の名に泥を塗るようなことがあってはいけませんわ。
…それに。
私はイザベル様を、とても『気に入って』しまいましたの。」
アニエスが目を細め、私をねっとりと見つめる。
絡みつくようなその視線だけで、腕にぶわっと鳥肌が立つのを感じた。
懐に忍ばせたソージュ・ロリエの香りがなければ、今度こそこの場に崩れ落ちていただろう。
(お気に入り!? 冗談じゃない!
猛獣に「美味しそうな肉」として気に入られたのと、同義に聞こえるんだが!?)
「お言葉ですが、アニエス様。
アニエス様は殿下の教育を一手に引き受けておられる身。
これ以上のご負担をおかけするのは、公爵家としても、そして殿下の婚約者としても、心苦しゅうございます。」
よし、まずは「あなたの体が心配です」という淑女の気遣い作戦でいこう。
これで一旦、相手の出方を窺う。
「ええ、私は大丈夫ですわ。
それよりも、イザベル様を立派な王妃に育て上げることが、今のこの国にとって何より大切なことだと思っておりますの。
そうでしょう、殿下?」
アニエスは私の懸念をさらりと受け流すと、甘い視線をリュシアンへと投げかけた。
「あ、ああ。アニエスがそう言うなら、それが一番いいんだろうな。」
(殿下、チョロすぎない!?)
アニエスに促された瞬間、さっきまで「厳しくて恐ろしい先生をつけてやる」と息巻いていた勢いはどこへやら。
完全に毒気を抜かれた顔で、アニエスの言葉に従順に頷いている。
(このダメ王子、完全にコントロールされてる…。
さっきまでの威勢はどこへやら。)
目の前で骨抜きにされたリュシアンに呆れつつも、私は今度こそ逃げ場をなくすべく、本命の論理を叩きつける。
「ご存知だとは思いますが……王妃教育には専門のカリキュラムや、王宮のしきたりに精通した熟練の女官が必要だと聞き及んでおります。
また、家庭教師から受ける座学とは別に、国母となる心構えを王妃様から直々に拝聴する時間も必須となります。
アニエス様がもし私の家庭教師を兼任なさるとなれば、学院に通われている殿下と私、どちらかの授業を疎かにせざるを得ません。」
私は淡々と、しかし一歩も引かずに事実を紡ぐ。
アニエスの完璧な微笑みがわずかに引きつるのを、私は見逃さなかった。
「殿下は私を心底忌み嫌っておいでですし…。
私としても、殿下のお心をあえて逆撫でするような真似は本意ではございません。
殿下の大切なアニエス様と過ごされる貴重な時間を削ってまで、私に時間を割かせるなどそれこそ本末転倒。
ゆえに、スケジュールの都合を鑑みても、アニエス様が私の教育係を務めるのは物理的に不可能かと存じます。」
秘技!(?)
「殿下のアニエスへの執着」を利用した、逃げ場なしの論理封じ!
この一撃に、リュシアンが即座に反応した。
「そうだ!アニエス、よく考えろ。
こいつと同じ机で、同じ空気を吸いながら勉強など、拷問以外の何物でもないぞ!
私は一分一秒たりとも、こいつの顔を視界に入れたくないのだ!
大丈夫だ、こいつの指導は国で一番、いや世界で一番厳格で冷酷な教師をつけるからな!」
リュシアンが激しく机を叩き、顔を歪めて高笑いした。
この「嫌悪感」こそが、今の私にとって最大の味方。
殿下がこれほどまでに拒絶を露にしている以上、アニエスが目論んでいた共同学習という無理筋な計画は、実行不可能な空論へと成り下がった。
(よしっ!
これでアニエスは、殿下を放置して私を教えるか、私を諦めて殿下に専念するかの二択を迫られる。
そして、この執着心の塊のような男が、自分のお気に入りを私に譲るはずがない!)
アニエスは今、リュシアンの荒い鼻息と、私の冷徹なまでに静かな視線の板挟みになっている。
流石の彼女も、殿下の不快感を真っ向から無視してまで、強引に我を通すわけにはいかないはずだ。
「…あら。殿下にそこまで仰られては、私も返す言葉がございませんわ。」
アニエスはふっと視線を落とした。
その顔から一時的に作り物の笑みが消え、底の知れない、冷ややかな無表情が顔を出す。
しかし、それも一瞬のことだった。
「イザベル様の仰る通りですわね。
殿下のお心を乱すことは、私の本意ではございません。
王妃教育をして差し上げたかったのですが…残念です。」
アニエスは、意外にもあっさりと引き下がった。
その声音はどこまでも穏やかだが、瞳の奥に淀む執念深い「毒」までは隠しきれていない。
食い下がっても、今はこれ以上リュシアンを動かせないと冷静に判断したのだろう。
「ご理解いただけて光栄です。
殿下も、私のような者のために貴重な時間を割く必要がなくなって安心ですね。」
私は、感情を一切乗せない完璧な微笑みを返した。
「ふん! 当たり前だ!さっさと帰れ、不愉快だ!」
リュシアンの罵声が、今の私にはこの上なく晴れやかな勝利の退場曲に聞こえる。
(お前が来いって言ったんだろ。
ま、素直に帰ってやんよ。
アニエスが家庭教師になるという地獄を神回避した私は、今、猛烈に気分が良いんだから。
それにしても、あぁ、本当に良かった。
これでエブリデイ・ゲロを回避できた!)
私は優雅に、かつ迅速にカーテシーを済ませ、部屋を後にした。
背後でアニエスが、瞬きもせずに私の背中を獲物を逃した猛禽のような目で見送っているのを感じながら。
◆
王宮の外へ出て、馬車に乗り込んだ瞬間。
私はリルの肩に頭を預け、大きく息を吐き出した。
「リル…。死ぬかと思った…。私の胃、穴空いてない?」
「お見事でした、イザベル様。
あの魔女のような女を、あそこまで黙らせるとは。」
リルの手には、守護神のごときソージュ・ロリエがあった。
私はその清涼な香りに包まれ、ようやく喉元まで迫っていた緊張から解放された。
(とりあえず、毎日の地獄は回避したーーーー!!!
でも、あのアニエスがこれで諦めるとは思えない。
次は、もっと狡猾な手で来るはず…!)
夕日に染まる王宮を窓から眺めながら、イザベルは次なる戦いに備えて、しばしの休息をとることにした。
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