56話 いざ王宮へ。ついに噂の家庭教師、登場!あ、殿下と初めて会った。
一通の書状が、ベルドレッド公爵家に届けられた。
差出人は、第一王子リュシアン。
内容は、以前ルダリオが口にしていた通り「週末に王宮へ参上せよ」という、半ば強制的な呼び出しだった。
ベルドレッド家の面々は、これを単なる婚約者同士の顔合わせとは受け取らなかった。
父である公爵も、そして当のイザベルも、まるで敵陣へ乗り込むかのような、殺気すら孕んだ緊張感をもってその日を迎える。
「付き添いの侍女は一名のみ、ねぇ…。」
「イザベル様、是非私を!」
「ええ、もちろんそのつもりだったわ。お願いね、リル。」
「お任せください!」
そう言ってリルは、隣に立つノアへチラリと誇らしげな視線を向けた。
対するノアは、鉄仮面のような無表情を貫いている。
が、その佇まいはどこか、捨てられた子犬のような寂寥感を漂わせているような…?
いや、きっと私の気のせいだろう。
◆
王宮側からの指定通り、供は一人。
私は最も信頼の置けるリルを伴い、ついに王宮の門を潜った。
案内されたのは、王宮の奥にある豪奢な一室。
重厚な扉が開かれ、足を踏み入れると…。
そこには、一幅の絵画のような光景が広がっていた。
窓際に佇み、柔らかな風に髪をなびかせている一人の女性。
透き通るような長い白髪。
儚げな空気を纏いながらも、ブルーの大きな瞳は瑞々しい輝きを放っている。
少しタレ目がちなその瞳に見つめられれば、どんな男も跪くであろう美貌。
そして、出るべきところは出て、締まるべきところは締まった、非の打ち所がない肢体。
(おー……めっさ美人。
リルとはまた違う系統の、なんていうか『神秘的』な美…。)
私は内心で場違いな感銘を受けながらも、完璧な貴婦人の仮面を被り、ドレスの裾を引いて優雅に膝を折った。
「初めてお目にかかります。
ベルドレッド公爵家長女、イザベル・ベルドレッドにございます。
殿下がお見えになるまで、こちらで待機させていただきたく存じます。」
私は完璧な淑女の礼を披露した。
相手が誰であれ、まずは礼儀で隙をなくしていくスタイルだ。
美女エルフは、その様子をどこか慈しむような、それでいて深い憂いを含んだ瞳で見つめ、小さく微笑んだ。
「ああ、あなたが………あのイザベル様ね。
私はアニエス・テルーサと申します。
リュシアンの家庭教師を任されておりますの。
彼は、もうすぐこちらへ来るはずですわ。」
アニエス・テルーサ。
鈴の鳴るような澄んだ声と、聖母のような微笑み。
この美しすぎる女性が、例の噂の家庭教師。
(アニエス様、か…。
マジで聖女様みたいなオーラ出してる…。
でも、殿下の好みってこういう『儚げな正統派美人』なわけ?
なら、私みたいなタイプは絶対お呼びじゃないはずなんですけどーーー。
帰っていーですかー?)
私が内心で首を傾げたその瞬間。
廊下から、こちらを威圧するようなドスッドスッという足音が響いてきた。
それが扉の前で止まったかと思うと、乱暴に押し開けられる。
「待たせたな、イザベル・ベルドレッド!」
現れたのは、第一王子リュシアンだった。
(待ってねーよ。微塵も待ってねーよ。
廊下でバナナの皮踏んでひっくり返ってそのまま頭を打って、一生会うことがない場所へ退場してほしかったよ。)
そう毒づきながら、声の主へと顔を向けた。
私にとっては、これが初めて間近で見る婚約者の姿だ。
王族らしい豪華な衣装に身を包んではいるが、第一印象は…。
期待を裏切らない残念さだった。
(肌、荒れてるなぁ…。引き締まってないなぁ。
あぁ、誰からも否定されずに生きてきたから、節制もスキンケアも興味ないってわけね。
っていうか、あの生え際…将来ハゲそう。)
高身長でシュッとしたイケメンを想像していたら肩透かしを食らうような、締まりのない体つき。
自分を磨くことよりも、他人を屈服させることにしか時間を割いてこなかった者特有の、無頓着な傲慢さが全身から滲み出ている。
「………………初めてお目にかかります、殿下。
イザベル・ベルドレッドでございます。」
「ふん、想像以上にブスだな。
学院での不遜な態度は聞き及んでいるぞ。
アニエス、こいつが例の僕の婚約者だ。
教育のしがいがあるだろう?」
リュシアンは部屋に入るなり、まずはアニエスの方へ媚びるような熱烈な視線を送り、それから付け足したかのようにこちらを指差した。
「そんな…指を差すなんて、殿下。はしたないですよ?」
「…貴様、今誰に向かって言ったか分かってるのか?」
殿下がこちらを睨みつける。
「誰って、将来の夫となる婚約者様に対してですが?
初対面で挨拶もなしに罵倒から入るのが王宮の流行なのでしたら、大変勉強になります。」
「き、貴様ぁ…!私が婚約者にしてやったからって調子に乗るなよ!」
リュシアンは拳を震わせて、こちらをさらに睨みつけた。
その様子は「威厳」というよりは「駄々をこねる子供」に近い。
「リュシアン、落ち着いて。」
二人の間に割って入ったのは、鈴の鳴るようなアニエスの声だった。
彼女は困ったように微笑み、こちらへ歩み寄る。
「ごめんなさいね、イザベル様。
この方は少し、情熱が先走ってしまうところがあるの。
でも安心してください。
私が、あなたを立派な『王妃』に育て上げて差し上げますから。」
アニエスの細く白い指が、私の頬を優しく撫でる。
その感触は羽のように軽かったが、触れられた場所が氷に押し当てられたかのように、ゾッと冷たくなるのを感じた。
(さっきまでの聖女オーラって感じがない…。
本能が、全力でヤバいって叫んでる!何、この冷たさ?!
おぇ…なんか気持ち悪くなってきた…。)
微笑みを絶やさない目の前の『見て呉れ聖女』と、自分の頬に伝わる蛇のような温度差。
私は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、ここが想像以上に厄介な魔窟であることを、ようやく理解し始めていた。
今回連れて行ってもらえなかったノアが、
女装の練習をし始めたのは、また別のお話…。
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