54話 ピンチはチャンス…!多分………。
ベルドレッド公爵邸の広間は、かつてないほどの困惑と、凍てつくような殺気に満ちていた。
卓上に鎮座するのは、王家の紋章が刻印された正式な書状。
そこに書かれている『婚約』の二文字を前に、家族皆が唖然としていた。
「旧体制派の筆頭である我が家に、このタイミングで婚約申し込みだと?
王子は何を考えている…。」
父様が眉間に深い縦皺を刻み、地を這うような低い声で吐き捨てる。
「社交界では家庭教師の女に入れ込んでるから、誰とも婚約しないと噂になっているのよねぇ…。
それに、エルザから聞いたわ、イザベル。
あなた学院で相当な嫌がらせを受けていたんでしょう?」
母様は冷ややかな軽蔑の目を書状に向け、鋭く問いかける。
そこに、学院から一緒に帰宅していたエルザ姉様も加勢する。
「そうよ!
殿下が裏で指示を出してイザベルに色々仕掛けていることくらい、私も知っているんだからね。
イザベルが相手にしてなかったし、助けを求めて来なかったから静観していたけれど…。
とにかく!
私の面白r……いえ、可愛くて聡明な妹なら、国母となる器に不足はないわ。
でも、殿下と結婚となれば話は別。
イザベルを大切にしようなんて、あの方は微塵も思っていないはずよ。
平穏な婚約生活なんて絶対に無理!危険すぎるわ!」
「ああ、その通りだ。
だがエルザ、落ち着くんだ。
これは『国王命令』だ。
私たちに断る選択肢はない…不可能だ…。」
父様の重苦しい一言が、広間に冷や水を浴びせかける。
母様もエルザ姉様も、実力行使に出られない歯がゆさに奥歯を噛み締めた。
……。
沈黙を切り裂いたのは、当事者である私の、意外なほど冷徹な声だった。
「…大丈夫です。問題ありません。婚約しますわ。殿下と。」
家族の視線が一斉に私を射抜く。
私は腹を括り、口角だけを釣り上げた完璧な令嬢の仮面を貼り付けた。
「正直、こういう方向からアプローチしてくるなんて思ってもみませんでした。
なかなか刺激的な殿方なのかもしれませんね。
では、私は少し疲れたので自室で休みますわ。」
私は優雅に一礼して広間を後にした。
閉ざされた扉を背に自室へと向かうその足取りは、驚くほど静かで淡々としていた。
廊下ですれ違った使用人たちが、そのあまりの無言の迫力に、誰もが即座に道を譲ってくれるほどに。
◆
自室に戻り、扉を閉めて鍵をかけた瞬間。
私の仮面は音を立てて崩れ去った。
「はーーーー!?!?マジふざけんな!!
あれでしょ?
会ったこともない権力者の娘を、いじめて玩具にしたかっただけなのに、全然靡かないから後に引けなくなっただけでしょ!
それか、ベルドレッド家の力が増していくのを危惧でもしたんでしょうね。
あと、エルザ姉様に学院の人気の座を奪われたのが悔しかったのもあるんでしょう!?
エルザ姉様が目立ちはじめてから、取り巻きの嫌がらせが目に見えて増えたもの。
いつだって中心にいて、注目を浴びてないと気が済まないわけ?
プライドが高すぎて重力がおかしくなってるんじゃないかしら。
名前をリュシアンからエベレストに変更しなさいよ!
…いや、崇高な山であるエベレストに失礼ね。
とにかく、王族って全員こんな無能の集まりなわけ!?」
誰もいないのをいいことに、私は部屋の真ん中で吠えた。
「さっき母様も言ってたけど、家庭教師にゾッコンだって噂くらい知ってんだよ!
だったら最後までその愛を貫けや!
浮気してんじゃねーよ、このクソ王子!」
はぁ、はぁ……ふぅ……。
荒い呼吸を整える。
公爵令嬢としてあるまじき言動だが、こればかりは叫ばずにはいられなかった。
一通り毒を吐き出したところで、私が落ち着くのを待っていたと言わんばかりに、リルとノアがノックと共に姿を現した。
二人とも、表情こそ笑顔だが、隠しきれない殺気が部屋の温度を数度下げている。
「「イザベル様。今日中に殿下を殺ってしまいましょう。」」
「待ちなさい。
今やったら、世界中の誰がどう見てもうちが真っ先に疑われるでしょ。」
二人の暴走を宥めつつ、私は溜息を吐いた。
無理もない。
この国の治安悪化を招いている元凶の息子と、自分たちが慕う主が結婚させられるのだ。
心中お察しする。
政略結婚自体は構わない。
だが、相手が「生理的に無理」なのは致命的だ。
私は、鏡の中の鋭い目をした自分を見据えた。
(もしこの世界が乙女ゲームの中で、リュシアンが攻略対象だったとしても、私は絶対にルートに入らない。
というか、何が悲しくて敵軍の親玉とペアリングしなきゃならないのよ!
18禁漫画ならここから『最悪の出会いから始まる、愛の調教……(はぁと)』みたいな展開があるかもしれないけど!
私らには一ミクロンもないわ!
天地がひっくり返ってもLOVEの種なんか芽生えない。
湧いてくるのは、純度百パーセントの呪詛だけよ。)
…ふぅ。
ひとしきり毒を吐き出し終えると、不思議と脳が冷えてきた。
(冷静になれ、私。)
相手の内情を知るには、これ以上の機会はないはずだ。
(私が婚約者として王妃教育を受けることになれば、堂々と、かつ合法的に王宮の奥深くまで立ち入れる。
クソ殿下と噂の家庭教師、そして骨抜きにされた重鎮たちの情報を握れるかもしれない。)
「ある意味チャンス…そうポジティブに捉えるしかないかな。」
私は、部屋の化粧台に映る、不敵な笑みを浮かべた自分に応えた。
獣たちが放し飼いにされている檻に、素直に食われに行く私ではない。
こちらから、躾のなっていない獣どもが巣食う王宮へ、『調教師』として乗り込んでやろうじゃない。
(ふふ。そう考えると悪くないかも。
リュシアン、首を洗って待っていなさい。)
絶望の余命宣告などではない。
これは、敵の喉元に噛みつくための招待状だ。
ピンチは、いつだってチャンスなのだから。
今日の更新は間に合いました!!
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