【掃除】リルとキル 1
とある穏やかな休日。
「イザベル様、今日はこれから公爵邸の外を掃除をして参ります。」
王都にある公爵邸の自室にて、読書に没頭するイザベルに向かって、リルが声をかけた。
「えぇ。いってらっしゃい。」
イザベルは本から目を離すことなく、生返事でリルを送り出す。
彼女が部屋を出ていってから、イザベルはふと、リルの残した『公爵邸の外を掃除』という言葉を頭の中で反芻した。
「…外の掃除って、孤児院の子たちと一緒に領内の清掃活動でもするのかな?
いつの間に王都の孤児たちとも仲良くなったのやら…。
まぁ、なるべく自由に過ごして良いって言ったのは私なんだけどね。」
そう呟き、イザベルはまた本に向き直った。
だが、本に集中しすぎている彼女は気付いていない。
窓の外では、すでに夜が深く更けていることに。
◆
リルが向かった先は王都内ではなく、王都の外、自分の古巣―――元プランタン男爵領。
現在は国が管理している直轄地だ。
ここはもう、領内のほぼ全てが荒れ果てていた。
他領へ移住できるほどの財力がある者はとうに去り、残された貧民たちが身を寄せ合って、どうにか互いに助け合って生きている。
当然、治安は最悪で、粗暴な者たちによって生活を脅かされる住人も少なくなかった。
リルはここの領地の、元男爵令嬢だ。
この悲惨な現状を招いたのは自分ではないが、父親がやらかした結果がこれである。
リルは元令嬢として責任感を多少は感じて…
―――いるわけがなかった。
こうなってしまったのは、完全に父とあのエルフの愛人のせいだ。
リルだって被害者の一人なのである。
ただ、自分はイザベルに拾われたおかげで、今の衣食住すべてが満たされた極上の生活を手に入れられた。
運が良かったとしか言いようがない。
だからこそ、ここの領民にも幸せのお裾分けくらいのつもりで、この領地の治安向上に手を貸してやろうと思っている程度だ。
―――というのは表向きの建前で。
正直に言ってしまえば、日頃から鍛え上げている自分の腕試しをするのに、これ以上都合の良い土地はないのである。要は、強くなった自分を実戦で試してみたいのだ。
それに、この元男爵領は、リルとキルが闇夜に紛れて暗躍するには格好の舞台だった。
日中はまだマシだが、警備隊の人数が全く足りておらず、夜間になるとさらに人数が減るため、街の警備は万全とは程遠い状態だったからだ。
そう、夜の闇は、治安の悪い場所をさらに深く濁らせる。
リルは黒いフード付きのコートを深く羽織り、元男爵領にある酒場で聞き込みを行っていた。
すでに顔見知りになっている孤児出身の店主が、声を潜めてリルに情報を流す。
「最近、ここら辺の様子はどう?」
「そうだなぁ…。
この先の地区じゃ、窃盗が立て続けに起きてるって話だ。
住人が寝静まった頃に忍び込んじゃ、金目のものから食料まで根こそぎ奪っていくらしい。
タチが悪いのは、物盗りだけじゃないって点だ。
起きてきた住人がいたら、容赦なく殺すってんだから狂ってるよ。
しかも、殺された遺体にはどれも抵抗した跡がない。
だから身内の犯行か?って互いに疑心暗鬼になっててな…。
人間同士の疑い合いが始まっちまったら、ここの治安はさらに泥沼だ。」
「そう。結構、面倒なことになっているわね。他には?」
「あとは、元男爵邸の裏が酷い。
あそこにゴミを不法投棄していく奴らが多くてな、今や完全なゴミ山だ。
誰が置いていくのかは分からねぇが、これも夜闇に紛れてやってるんだろう。
日中なら誰かしらが見てるはずだからな。」
「そう…。
まぁ、確かにゴミみたいな男爵が住んでいた場所だもの。
ゴミ屋敷にするのはお似合いかもしれないわね。」
「はっはっは、手厳しいねぇ!
ああ、それともう一つ。
最近、夜中に異種族が集まって『何か』企んでるって噂だ。
何をしてるかまでは掴めねぇが、場所は『虹の広場』にあるらしい。」
「何かって何よ…。まぁ、いいわ。情報ありがとう。」
それだけ言うと、リルは酒場を後にした。
店主は元々孤児の出身だ。
アンリとマユから「リルには全面的に協力してね」とお願いされているため、リルの正体や目的について余計な詮索は一切してこない。
「まずは…、盗人から片付けましょうか。
ここら辺が最近のターゲットね。
それにしても、本当に暗い場所。
蝋燭を買うお金すら持たない貧民たちから、一体何を盗もうっていうのかしら。」
リルが冷ややかに独りごちた、その時だった。
数メートル先にある民家の影に、音もなく滑り込んでいく怪しい人影が見えた。
リルは自らの気配と足音を完全に消し、その家へと近づいて様子を伺う。
ガサゴソ…
「おい、ここの家もスカだ。何も置いてねぇぞ。」
「ほんっと、貧相で使えねぇ土地だな。そろそろ場所を移そうぜ。」
「そうだな。もっと裕福な土地を狙おう。」
「ここから行ける金持ちの領地って…、やっぱりベルドレッド公爵領あたりか?」
「ああ、あそこなら最高だ。
警備がいくら厳重だろうが、俺たちの前には無意味だしな。
なんてったって、俺らはカメレオン獣人なんだからよ。」
「違いない。姿さえ消しちまえば、捕まりようがねぇもんな!」
「「あはははは!」」
ゴッ……!
獣人の二人が下卑た笑い声を響かせた、まさにその瞬間だった。
一人のカメレオン獣人が、糸が切れた人形のように突如として床に崩れ落ちた。
「……?
おい、どうした? 急に寝るなよ。」
ゴッ……!
もう一人のカメレオン獣人も、相棒の異変に気付く間もなく同じように床へと叩きつけられた。
リルが彼らの背後へ瞬時に回り込み、一撃のもとに意識を刈り取ったのだ。
リルが転がる二人を冷淡に見下ろしていると、背後から冷たい気配が迫った。
「おい、動くな。」
どうやら、カメレオン獣人はもう一人いたらしい。
姿は見えないが、リルの首元に鋭利な刃物の感触が走る。
しかし、リルは取り乱すこともなく、ただ微動だにせずその場に佇んでいた。
「まったく、こんなちっこい人間にやられるとは情けねぇ奴らだ…。
お前、何者だ?」
「…。」
リルは何も答えない。
「いいぜ、答えないならお前を拉致して、仲間の元で嬲り殺しにしてやるよ。」
男がそう口にした、次の刹那だった。
目にも留まらぬ速度でリルの腕が跳ね上がった。
見えないはずの背後の手首を正確に掴み、握り潰す。
「がっ、あ―――!?」
男が悲鳴を上げる暇さえ与えず、リルは電光石火の速さで振り返り、その喉元へと鋭い手刀をめり込ませた。
「グェエッ……!?」
流石に手刀だけで即死させるほどの威力はないが、急所を的確に破壊されたカメレオン獣人は、白目を剥いて泡を吹きながらその場に倒れた。
リルは気絶した3人の獣人を引きずり、近くの森へと向かった。
そこには、漆黒の巨猫・キルがいた。
「キル、お待たせ。ほら、おもちゃを持ってきたわ。」
ドサッ
地面に乱暴に放り出された衝撃で、三人のカメレオン獣人…カメレオンズは意識を取り戻した。
そして、彼らが最初に目にしたのは…あまりにも巨大で、禍々しいオーラを放つ大きな猫の姿。
「まっ…、まさか…!これは最悪の魔獣…キャスパリーグ……!?」
「なんで、なんでこんなところに…!?」
「おい、目を合わせるな!体を動かすな!
獲物だと思われて一瞬で食われるぞ…!」
死の恐怖に直面し、ガタガタと震え上がるカメレオンズ。
「失礼ね。この子はもっと美食家なのよ。
あなたたちみたいな不味そうなモノ、食べさせられないわ。」
リルは侮蔑を込めて言い放つ。
「なっ…!お、お前は一体、誰だ……!」
「何で私が名乗らなきゃいけないのよ。
教えるわけないでしょ?
おとなしくこっちの質問に答えなさい。
長い問答は好まないから、次、刃向かったらすぐにこの子のおもちゃにするわ。」
「はぁ!?なんだと!?このクソアマッ…」
ガブッ!
ゴッチュゴッチュゴッチュゴッチュ……
ペッ
キルは、生意気な口を利いたカメレオンズの一人を一瞬で噛み砕き、肉塊に変えてから地面へと吐き出した。
その様子は、つい数秒前まで生きていたカメレオン獣人だったとは到底信じられない、原型を失った、ただの生肉の残骸へと成り果てていた。
リルは基本
「公爵邸か、公爵邸以外か」「イザベルか、それ以外か」「仲間か、敵か」
という判断基準で動いてます。
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