09 業務改善命令
魔導災害局が再び施設を訪れたのは、事故処理が一段落した後だった。
復旧確認ではない。
聞き取りと、証拠の回収だ。
郊外の研究施設は、前回より落ち着いて見えた。
警備ゲートは相変わらず二重で、入構の手順も厳格だったが、職員たちの動きに余計な焦りがない。
疲労は残っている。
それでも手順は崩れていなかった。
施設責任者のヘルマンが入口で頭を下げる。
案内された通路は整理され、床に物は置かれていない。
表示や危険区画、動線の線引きも明瞭で、設備の材質も一貫していた。
腐食しないものだけを選び、落下が起きないよう、必要物品はチェーンでベルトに繋ぐ。
溶媒槽が深く、回収ができないからだ。
現場がきちんと管理されている場所は、空気が違う。
余計な音がしない。
聞き取りと記録の回収は淡々と進んだ。
紙の束には付箋が揃い、点検記録も、数量照合も、交換履歴も、空欄がない。
欠品なし。
破損なし。
逸脱の記録もない。
結果が綺麗すぎるほど綺麗で、アストリッドは逆に胸が冷えた。
現場がここまで整っているなら、原因は現場ではない。
手続きが終わる頃、ヘルマンが言いづらそうに口を開いた。
「……所長のノックスが処分を受けました」
減給と降格。
理由は監督責任。
アストリッドは思わずペン先を止めた。
現場に落ち度がないことは、誰よりも現場が証明していた。
にもかかわらず、責任だけが上から落ちてきた。
タクトは表情を変えずに頷き、短く言った。
ノックス所長と直接話がしたい、と。
◇
魔導省へ戻った夕方、タクトはノックスを会議室に通した。
同席はロイとアストリッドだけ。
形式上は、聞き取りの続きだった。
ノックスは疲れていた。
体力の疲れではなく、気力を削られた顔だ。
それでも背筋は真っ直ぐだった。
現場を統べる者の姿勢だけは崩れていない。
礼の言葉が交わされ、次いで、ノックスは机の上に小さな機器を置いた。
黒い筒。
ボイスレコーダーだった。
ロイの目が動く。
アストリッドは喉の奥が詰まった。
嫌な予感が、確信に変わる。
再生ボタンが押される。
椅子の軋み、紙を叩く音、咳払い。
それに続いた声は、想像以上に軽かった。
『外に漏らすな』
『改善命令など受ける必要はない』
『現場が勝手にやった、そう書け』
『規定は融通が利かないから事故になる』
『落としたくらいで反応するほうが悪い』
『揉み消せ』
『大事にするな』
『ノックス? 責任者だろ』
『適当に処分しておけ』
誰かが笑った。
アストリッドは無意識に拳を握っていた。
現場で汗をかいた人間の努力が、消耗品のように扱われている。
「適当に」という言葉の平気さが、何より腹立たしかった。
再生が終わり、機械の停止音だけが残る。
タクトは少し間を置いて、穏やかな声で確認した。
「提出の準備は、ありますか」
「はい。
コピーも用意しています。
労働基準監督機関にも出せる形です」
ノックスが差し出したファイルは、整いすぎるほど整っていた。
受領記録、報告の経路、処分決定の通知、議事の写し。
逃げ道を塞ぐための並びだった。
タクトは小さく頷いた。
「魔導省としても、同時に動きます」
「……同時に、とは」
「施設への改善命令だけでは足りません。
組織本部へ、組織としての改善命令を出します」
ロイが短く言った。
「逃がさない」
その一言に、ノックスは目を伏せた。
嬉しさではない。
ようやく届いた、という疲れた安堵だった。
アストリッドは声が出なかった。
現場で見た整った動線と、今聞いた腐った声が、同じ組織の中にある。
それだけで胸が悪くなる。
◇
改善命令は、施設と組織本部へ同時に送付された。
施設宛ての文面は短い。
持ち込み制限の運用は適正。
数量管理は適正。
教育と手順も適正。
違反があったのは、例外的な侵入と規程逸脱。
そして、その責任の所在は、上層部に向けて明記された。
組織本部宛ての文面はさらに冷たかった。
事実の列挙。
規程違反の指摘。
是正措置の期限。
報告義務。
再発時の措置と、提出先の指定。
添付として、音声記録の写し、処分通知の写し、労基提出資料の写し。
紙は、逃げ場を残さない。
これを「知らなかった」で済ませる余地はない。
ほどなく、ヘルマンから短い報告が入った。
施設内は揺れたが、現場は守られている。
むしろ現場の職員たちは「ようやく正常な線引きが来た」と言った、と。
ノックスは減給と降格を受けたまま、役員会で責められることになった。
だが、その場で出揃う証拠は、責める側の足元を揺らす。
役員が自分の非を偉そうに語っていた声は、もはや内輪の話ではない。
「全部、揃いました」
ノックスが言ったとき、声は小さかった。
それでも、諦めの色ではなかった。
責任者がヘルマンだったからこそ現場は整っていて、原因の特定ができた。
その現場を守るために、上を切る。
それが可能だと示された。
信賞必罰。
現場は評価されるべきで、落ち度のない者が罰せられる筋合いはない。
そして、権力を盾に規則を踏みにじった者は、必ず代償を払う。
アストリッドは端末に指を置いた。
事故は止めた。
ここからは、仕組みを正す。
魔導災害局の仕事は、まだ終わっていない。




