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魔導省魔導災害局  作者: すもも


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07 後始末

溶媒槽の表示は安定したままだった。

温度はゆっくり下がり、圧も規定域に収まっている。

警報の点滅だけが残っていたが、鳴ってはいない。


回収トレイの万年筆は、薬理の封緘材で二重に包まれた。

樹脂は溶け、金属は腐食している。

形だけが万年筆だと分かる程度で、インクは溶媒に滲んだ痕跡が残った。


溶媒槽の周囲は相変わらず整っていた。

床に物はなく、表示と導線は明確で、非常遮断もすぐ手が届く位置にある。

棚のラベルは揃い、工具も端末も、持ち込み規定どおりチェーンで固定されている。

ここまで管理が行き届いた現場は、そう多くない。


ヘルマンは視線を外さなかった。

逸らせないのだろう、とアストリッドは思った。

責任者の仕事は、見ないふりをしないことだ。


「……ここで収束しますか」


ヘルマンが絞り出すように聞く。

タクトは穏やかな声のまま、現場の数値を見て頷いた。


「ええ。反応の継続要因は除去できました。現場の初動も、手順も、十分に整っていましたよ」

「……ありがとうございます」

「ただ、終わりではありません。再発防止が残っています」


ヘルマンの喉が鳴った。


「役員には……」

「こちらから正式に報告します。施設側で抱え込まないでください」

「しかし、相手が……」


ヘルマンは言いかけて、口を閉じた。

言葉の先が、施設内の序列の話だと分かる。

役員の権力が強い。

それに振り回され、現場を守るために消耗してきたのだろう。

疲れた顔が、そのまま事情を語っていた。


タクトは語調を変えない。


「相手が誰でも、手順は変わりません。今回の問題は“現場”ではなく、“規則をねじ曲げられる構造”の方です」

「……構造」

「ええ。だから、こちらは構造に手を入れます。あなたが現場を整えてきた努力が、上から潰されない形にします」


ヘルマンが、ほんの少しだけ目を見開いた。

すぐに表情を戻そうとしたが、戻しきれなかった。


「……私は、現場に迷惑をかけたくない」

「迷惑は、かかっています。ですが原因は現場ではありません」

タクトははっきり言った。

「あなたは隠しませんでした。それは大きいです」


ユリウスが工学側の端末を閉じ、制御盤から一歩下がる。


「回路は段階復帰でいい。出力は必要最低限のまま維持する」

「了解です」

「証拠物は保管。施設の保全担当と引き継ぎを切れ」


オリヴァーが頷き、レオンが保管箱の位置を確認する。

薬理側ではロイが封緘ラベルを二度見し、アストリッドが記録用の写真を撮っていた。

撮影端末は腰のチェーンで繋がれている。

落とせないものは、落とさない。


タクトがヘルマンへ向き直る。


「こちらで作成するのは事故報告と、是正要求です。施設側には事実関係の確認と、内部の聞き取りに協力していただきます」

「……はい」

「持ち込み規定の説明記録。視察時の装備の確認。見学導線のログ。そこが重要です」

「記録は……あります」

「残していてください。改ざんもしないでください」

「しません」


言い切った直後、ヘルマンは苦い顔をした。

本来なら、そんな確認が不要なはずだった。


タクトは一拍置いて、声を和らげる。


「現場はきちんと管理されていました。今回、“落ちた”のは現場の緩さではありません。あなたが守ってきた線が、上から踏み越えられただけです」

「……」

「踏み越えた者に、責任を負わせます。そうしないと、次はもっと大きな災害になりますから」


ヘルマンは、唇を噛んで頷いた。

疲れは消えない。

それでも、顔に一筋だけ、何かが戻ったように見えた。

守ってきたものを守り直せるかもしれない、という種類の光だった。



施設側の作業が落ち着くと、魔導災害局の二課は撤収に入った。

ケースが閉まり、留め具が揃う。

封緘箱は別に固定され、振動の少ない位置に置かれる。


ゲートを抜ける直前、ヘルマンが車のそばまで来た。

深く頭を下げる。


「……ありがとうございました。正直、ここまで徹底して整えても、上が踏み越えてくると……」

「分かります」

タクトが遮るように言った。

「だからこそ、今回を“整える機会”にしましょう。あなたが苦労してきた分、改善の根拠になります」


ヘルマンは顔を上げた。

疲れたままだ。

だが、目だけは、諦めていない。


「……この件が、あの方の失点になりますか」

「失点にはなります」

タクトは穏やかに答えた。

「現場が壊されないように、現場の作業員がやりやすくなる方向に、必ず持っていきます」

「……はい」


ヘルマンは、もう一度だけ頭を下げた。

その動きは、さっきより少し軽かった。


車が動き出す。

施設が遠ざかる。


「現場は良かったな。管理はちゃんとしてた。あれだけ揃って欠品なしなんて、むしろ珍しい」

「ええ。だからこそ、余計に歪みが目立ちました」


現場の管理は徹底していた。

本来なら評価されるべき施設だろう。

二課は残念に思いながら局へ戻った。



地下駐車場の空気は冷たかった。

ケースが降ろされ、封緘箱は薬理が抱える。

四基あるエレベーターの前で自然と隊列が整う。


扉が開き、全員が乗り込む。

誰も雑談をしない。

事故の終わりではなく、次の仕事の始まりだからだ。


フロアに戻ると、打鍵音が迎えた。

待機組は通常業務に戻っている。

それが魔導災害局の平常だった。


タクトが島の通路で立ち止まり、薬理の面々を見た。


「報告書は僕が骨子を作ります。アストリッド、分析結果のまとめをお願い」

「はい」

「ロイは施設側の聞き取り項目を整えてください。口頭で済ませないように」

「了解」


ユリウスは工学の島へ向かいながら、通路越しにだけ言った。


「局長室に上げる。証拠物の保管手順も添える」

「承知しました」


アストリッドは封緘箱を保管庫の前に置き、鍵の番号を確認する。

封緘ラベルに記入し、記録と照合する。

手が止まらない。

止める理由がない。


端末を開くと、報告書のテンプレートが並ぶ。

事故分類、影響範囲、対応経過、原因、再発防止。


“原因”の欄に、すでに言葉が浮かんでいた。


異物混入。

申告なし。

規定逸脱。

権限者。


アストリッドは一度だけ呼吸を整え、入力を始めた。


原因は分かった。

次は、同じことを起こさせない形に落とす。


それが、魔導災害局の仕事だった。

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