06 現地調査
郊外の研究施設は、想像以上に静かだった。
ほぼ全ての装置が停止している。
動いているのは、反応を止められない溶媒槽だけだった。
施設責任者のヘルマンが二課を先導する。
「こちらです。昨日の午後から異常が出続けています」
大きな溶媒槽の表示パネルには、数値が並んでいる。
ユリウスは画面を見て訝しんだ。
「……回路は止まっていない?」
「止められません。本来はこの先の反応槽で生まれた出力を回路に流して、コアを充電します。ですが、これは溶媒槽です」
その言葉で、空気が一段張り詰めた。
あってはならない事故が起きている。
「溶媒槽は材料を貯めておく場所だ。ここで勝手に反応が続くのはおかしいね」
タクトは施設から提示されたサンプリングの検査結果に目を通す。
突出して異常はないが、何かが反応しているのは間違いなかった。
「止めると熱やエネルギーが逃げ場を失います」
「それでコアに逃がしている状態か。工学は現状維持。完全停止は、薬理が原因を止めてからだ」
「了解」
◇
魔導薬理課は溶媒槽のデータを受け取る。
「水酸化ナトリウム系ですね。濃度は……高めですが、運用範囲内」
アストリッドは数値を見比べる。
ロット番号、補充履歴、数量。
「同一ロットですね」
「はい。補充も規定通りです」
「溶媒槽の検査をしましょう」
アストリッドは溶媒槽からサンプルを取ると分析を開始した。
持参した分析機器は施設の分析機器より精度が高い。
「アストリッド、母液もお願い」
「はい」
反応後の塩を含んだ母液のサンプリングも行う。
通常なら溶媒槽からは水酸化ナトリウムが、母液からは塩が検出される。
検査結果が出るまでの間、タクトとロイは原因を調べていた。
「設備点検の記録をください。直近の交換部品、破損、漏れ。全部です」
ヘルマンが一瞬だけ眉を動かした。
「全部、ですか」
「落下や欠品があれば、記録に出ます」
数量確認が始まった。
工具、計測端末、封緘材、操作用の専用品。
それぞれ番号が振られている。
「現物照合をしてください」
「了解」
施設側が動き出す。
収納棚が開き、番号が読み上げられ、チェックが入る。
分析結果が出揃う頃には確認作業は終わった。
「欠品なしです」
「破損もありません」
「収納位置も一致しています」
結果は、きれいだった。
きれいすぎる。
タクトは溶媒槽の縁から深い底を見下ろす。
深過ぎて底が見えなかった。
「このエリアは持ち込み制限が厳しいはずですね」
「はい。私物は原則禁止です。筆記具、携帯端末、装飾品。持ち込み不可です」
「必要物品は」
「チェーンでベルトに繋げています。落下防止です」
作業員たちの腰には金属チェーンが下がっている。
計測端末も、工具も、すべてチェーンと繋がってホルダーに収められていた。
「溶媒槽は深く、回収ができませんから。異物が入れば反応へ影響します。薬品なので人の手も入れられない」
ここまで徹底している現場が、物を落とすとは考えにくい。
「備品は全て材質を制限しています。アルカリで侵されやすい金属や成分は避けている。ここにあるものは、基本的に反応しにくいものだけです」
アストリッドの分析が終わった。
分析結果は予想通りだった。
「溶媒槽と母液から同じ成分が検出されました。これは塩では説明できません。微量ですが、金属と有機物由来の反応痕があります」
「金属と有機物?」
アストリッドはヘルマンを正面から見つめた。
ヘルマンは本気で驚いているようだった。
「昨日、この施設に来客はありましたか」
「……ありません」
一拍。
「質問を変えます。昨日、内部の方がこのエリアに訪れていませんか」
ヘルマンの表情が僅かに崩れた。
葛藤が見え、それでも責任者として腹を括って口を開く。
「……昨日の昼頃、役員が視察に来ていました。溶媒槽も見学しています」
タクトが何も言わずに頷いた。
「持ち込み規定は説明しましたか」
「しました」
「チェーンは」
「……お願いしました」
「防護具は」
「防護服は着用しました。ただ、スーツの上から渋々で……ヘルメットは……」
ヘルマンの声が落ちる。
アストリッドは溶媒槽を見たまま、静かに言う。
「昨日の時点で、異物混入の申告はありましたか」
「いいえ。役員からの申告はありませんでした」
アストリッドは、そこで初めて言い切った。
「異物混入です」
全員の視線が集まる。
「溶媒自体は正常。反応が止まらないのは、外部物質が触媒として作用している」
「そんなものが……」
「金属、有機物。このグラフは油性インクの反応です」
タクトは頷き、静かに状況を判断した。
原因はそれだろう。
「溶媒槽を停止。全量抜去して洗浄してください」
「全量……」
「一部では足りません。沈殿物が残ります」
ヘルマンは唇を噛み、頷いた。
「……分かりました」
◇
洗浄作業は時間がかかった。
溶媒を抜き、内部を循環洗浄する。
溶媒槽の熱気は徐々に冷めていく。
底部回収口が開いたとき、作業員の一人が息を呑んだ。
「……あります」
回収トレイの中。
溶媒でぼろぼろになった万年筆が、横たわっていた。
金属部分は腐食し、樹脂は溶け、インクは溶媒に混じりながら溶媒を染める。
誰も、すぐには言葉を出せなかった。
「反応が続いていた理由です。微量でも、十分な脅威です」
溶媒槽の表示が、ゆっくりと落ち着いていく。
圧が下がり、温度が安定する。
「停止確認」
魔導工学課から声が上がった。
「対策本部は不要だ。ここで収束する」
ヘルマンは深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
アストリッドは次の確認項目に視線を落とす。
原因は分かった。
だが、事故は終わっていない。
次は報告と再発防止策だ。
「立場が強い人間が規則を破った場合」の対策を、形にしなければならない。
それが、魔導災害局の仕事だった。




