35 あのときの技術者
2026.10.26 修正
35 あのときの技術者
図面の確認が終わり、ユリウスが資料を閉じた。追加で受け取る資料についても話がまとまり、教授たちが端末を片づけ始める。
アストリッドが壁の時計へ目を向けたとき、会議室の扉が開いた。
入ってきたのはアランだった。手には端末と薄い書類の束がある。ブルーノへ軽く頭を下げ、そのままユリウスのそばへ歩いていった。
アランが身をかがめ、ユリウスに何かを耳打ちした。声は聞こえない。ユリウスは一度頷き、差し出された書類を受け取った。
上から順にざっと目を通し、二枚目で手を止める。アランが端末に表示したものと見比べ、もう一度書類へ目を落とした。
アストリッドは隣のロイを見た。ロイも二人へ顔を向けている。
ユリウスが書類を机に置いた。
「メイソン教授」
呼ばれた教授が顔を上げる。鞄へ資料を入れようとしていた手が止まった。
「あなただったんですね」
ユリウスの声に抑揚はなかった。教授は鞄に掛けていた手を離し、机の上へ戻した。
「何のお話でしょう」
「発電所へ停止と再稼働の命令を送った機器が、あなたの研究室で確認されました」
アストリッドはユリウスと教授を見比べた。設計した施設について説明し、今回も調査に協力していた人だった。
「研究室を調べたのですか」
「はい。大学側の協力を得て、四人の先生方の研究室で、関連する機器とデータを確認しています」
ユリウスが答える間に、アランがブルーノへ書類を渡した。ブルーノは目を通し、端末の画面も確かめていた。
ハルトマン教授が背もたれから身体を起こした。
「なるほど。そういう理由で、私たち四人を呼ばれたのですか」
ベルク教授が閉じかけていた端末を机に置く。クライン教授も図面を下ろし、ユリウスへ顔を向けた。
「私たちも、調査の対象だったということですね」
「はい。設備に関わった経歴と、必要な知識や技術を持つ方々として、確認させていただきました」
ユリウスは三人へ向き直った。
「調査の対象でもあることを伏せてお招きした点について、お詫びします。申し訳ありませんでした」
頭を下げたユリウスに、クライン教授が一度頷いた。ハルトマン教授は資料へ目を落とし、それからメイソン教授を見た。
ユリウスは書類の一枚を教授の前に置いた。
「こちらが、研究室の機器に残っていた送信記録です。発電所が受信した停止と再稼働の命令と一致しています。宛先と時刻も確認しました」
メイソン教授は紙面を見た。手は伸ばさず、上から順に視線を動かす。
「研究室の機器が使われたことと、私が操作したことは別の話でしょう」
「その点も確認しています。操作時の認証記録と機器の利用記録に加え、あなたが保存していた試験データを照合しました」
ユリウスが次の一枚を重ねた。
「試験の対象は、今回爆発した発電所の炉です。停止を指示した時刻、停止状態を維持した時間、再稼働を指示した時刻が記録されています。それぞれが発電所側の記録と対応しています」
教授の指が、資料の端に触れた。
「関係する機器とデータは、すべて保全しています。研究室の記録だけで結論を出したわけではありません」
アストリッドは隣のロイを見た。ロイは机に両手を置き、教授へ顔を向けている。誰も、ユリウスの説明に口を挟まなかった。
メイソン教授は書類を一枚ずつずらし、下にあったものへも目を通した。
「供給施設の件についても、確認できたことがあります」
ユリウスは別の書類を取り上げた。
「同じ機器に、北部、東部、南部の三施設へ信号を送った記録が残っていました。回収した不正回路に対応する設計データも、研究室で確認しています」
メイソン教授の視線が書類へ落ちる。
「三施設すべてに、ですか」
「はい。ただし、送られていた信号の内容は同じではありません」
ユリウスが記録の一部を示した。
「東部と南部について確認できたのは、通信と接続を確かめるための信号です。設備を動かす制御命令は確認されていません」
少しの間、誰も話さなかった。
「設備制御への命令が確認されたのは、北部施設だけです」
アストリッドは膝の上で両手を重ねた。
北部施設で起きた二度の異常にも、この人が関わっていたのか。
最初は、作業員二人が同時に症状を起こした。自分たちはその原因を調べるために施設へ向かった。そして、記録に残っていない異常を確かめている最中に、今度は自分たちが事故に遭った。
東部施設で回路を確認した教授が、今、目の前にいる。
「設計データがあることは、私が取り付けた証拠にはならないと思いますが」
「設計データだけを根拠にしているわけではありません。三施設への送信記録に加えて、北部施設については、設備を制御する命令が二度送られていたことも確認しています」
ユリウスは置いた書類へ指を添えた。
「一度目は、作業員二名が症状を起こした時刻です。ごく短時間ですが、設備制御へ命令が送られています」
ユリウスの指が、次の記録へ移る。
「二度目は、僕たちが現地で調査していた時刻です。こちらでも、設備制御への命令が確認されています」
メイソン教授は返事をしなかった。
「どちらも時刻と内容が、施設側に残っていた動作の記録と一致しています。回路を取り付けた経緯については、改めて伺います。ですが、北部施設へ外部から二度にわたって命令が送られていたことと、その送信元については確認できています」
ユリウスも問い直さず、教授の前へ書類を揃えた。
アストリッドは机の上の運転記録を見た。先ほどまで、この人は同じ記録を読み、操作の目的について意見を述べていた。自分で行ったことについて、可能性の一つとして話していたのだろうか。
「遠隔操作の可能性は、いつからお考えだったのですか」
教授の問いに、ユリウスが顔を上げる。
「北部供給施設の事故を調べていたときです」
教授の手が止まった。
「今回の発電所の記録を見て、初めて考えたわけではありません。供給施設から回収した回路を調べ、外部から信号を受けて設備を制御できる構造であることは確認していました」
「では、私に説明を求めたときには、すでに」
「外部から操作された可能性は把握していました。誰が、何のためにあの回路を取り付けたのかを調べていたんです」
メイソン教授はユリウスを見たまま黙った。口元に力が入り、資料を押さえた指が曲がる。
「今回も、外部からの制御信号の記録は配布資料から外していました」
教授が短く息を吐いた。
「これだから魔導省は嫌いなんだ」
苛立った声だった。それまでとは言葉遣いも違っていた。
アストリッドは顔を上げた。教授は資料を見ず、ユリウスをまっすぐに見ている。ユリウスは表情を変えなかった。
ロイが隣で姿勢を変えた。椅子が小さく鳴ったが、誰も席を立たなかった。ブルーノも書類を机に置き、二人を見ていた。
「残念です。原因を調べるために、力を貸してくださっていると思っていました」
ユリウスが左手を机の上へ置いた。
指をゆっくりと曲げ、ぎこちなく握る。指先はすぐには揃わず、最後まで曲がるのに少し時間がかかった。
アストリッドはその動きを見つめた。事故の前は、手を握るのにこれほど時間はかからなかった。
ユリウスが自分の左手から、教授へ視線を戻す。
「非常扉の独立小型炉を破壊したという無茶な技術者、あれは僕です」
教授の視線が、握られた左手へ下がった。それからユリウスの顔へ戻る。
「逆流することは分かっていました。ほかの方法を試している時間はありませんでした」
ユリウスの声は変わらなかった。
「あのとき、中には僕の妻がいたんです」
アストリッドは膝の上の手を握った。ユリウスは教授を見たまま、左手の指をゆっくりと開いていった。




