03 事故の痕跡
2026.10.26 修正
03 事故の痕跡
アストリッドは携行端末で聞き取りの内容を確認した。記録された濃度だけでは説明がつかない。作業員が当時使っていた装備には、媒質の痕跡が残っているかもしれない。端末を閉じ、向かいに座る二人の作業員を見た。
「事故に関係する装備は残っていますか?」
案内役の職員が頷く。
「すべて保管してあります。事故後は使用していません」
「吸収缶を確認させてください」
職員がすぐに連絡を入れた。待っている間、会議室では誰も言葉を発しなかった。一人の作業員が、膝の上で指を組み直す。今は問題なく動いている。アストリッドはその手を見ていた。
やがて扉が開き、密閉袋に入れられた二つの吸収缶が運ばれてきた。袋にはそれぞれ札が付けられ、使用者の名前、使用日時、装備の識別番号が記されていた。アストリッドは袋を机に並べ、二人の作業員へ向けた。
「番号を確認していただけますか?」
二人は順番に札を確かめ、それぞれ自分が使っていたものだと答えた。取り違えはない。
アストリッドは椅子の横の機材ケースを机に載せた。留め具を外して分析器を取り出し、手袋を着ける。並べた二つの吸収缶には、外側に目立った損傷はなかった。事故後もそのまま保存されているのなら、内部には吸着した媒質が残っている。
アストリッドは一つ目の袋をわずかに開けた。隙間からピンセットを差し込み、密閉袋の中で吸収缶の蓋を外す。内部の吸収材を崩さないよう、続いて分析器の端子を差し入れ、測定を開始した。画面に測定中の表示が出て、小さな作動音が続く。
最初の測定が終わった。検出された媒質は報告書の内容と一致していた。
だが、変質を示す数値は基準値を大幅に超えていた。
「もう一度測ります」
端子を引き抜き、専用液で拭き取ってから再度測定する。ロイは画面を見ている。
二度目の結果が表示された。最初と同じ値だった。
アストリッドは一つ目の袋を閉じ、二つ目も同じ手順で分析した。こちらからも同じ媒質が検出され、数値はやはり基準値を大幅に超えていた。吸着量も、記録された濃度から予想される値を上回っていた。
「この値なら、過剰励起が起きていたと見て間違いありません」
ロイが画面を確認する。
「この吸着量なら、記録された濃度じゃ説明がつかないな」
「はい。過剰励起はすでに収まっていますが、そのときの変質は吸収材に残ります」
アストリッドは二つの結果を並べ、使用者の記録を開いた。反応の強さが違う。より高い値を示したのは、痺れと筋力低下を訴えた作業員の吸収缶だった。
アストリッドは顔を上げた。二人は貯蔵槽を挟んだ反対側にいた。一部だけで短時間、媒質濃度が上がったのなら、二人がほぼ同時に症状を起こしたこととは一致しにくい。
作業員の記憶には、時刻や程度に差がある可能性もある。だが、二つの吸収缶には、どちらにも過剰励起の痕跡が残っていた。
ロイが腕を組んだ。
「なら、事故の瞬間だけ記録以上に濃度が上がっていた、でいいか」
「はい」
アストリッドは結果を携行端末に保存した。使用者と識別番号を紐づけ、聞き取りの内容と時刻も併せて記録する。
アストリッドは密閉袋の封を閉じた。机の上のロイの端末が震える。画面にはユリウスの名前が表示されていた。ロイが通信を開く。
「こっちは聞き取りと、事故当時の装備を調べたところだ」
『制御室へ来てくれ。確認してほしいものがある』
ロイは短く頷く。
「分かった。今から向かう」
通信が切れた。
アストリッドは分析器の電源を落とし、端子をケースへ戻す。二つの吸収缶もまとめた。椅子から立ち上がり、作業員二人へ向き直る。
「ご協力ありがとうございました」
二人は立ち上がり、頭を下げた。表情は先ほどより硬い。アストリッドはそれ以上何も言わず、機材ケースを持った。案内役の職員に続き、ロイとともに会議室を出る。
廊下の窓から媒質貯蔵棟が見えた。外壁には配管が取り付けられ、貯蔵槽へつながっている。設備は静かだった。周囲に作業員はいない。
アストリッドは窓の外を見ながら歩いた。ユリウスが直接確認を求めた理由はまだ分からない。事故の瞬間、貯蔵槽の周囲で何かが起きていた。




