26 研究室のプリン
2026.10.26 修正
26 研究室のプリン
ある日、旅行に行っていた職員が土産を持ってきた。休憩用の机に置かれた箱には、個包装の焼き菓子が並んでいる。プリン味らしい。
アストリッドも一つ取り、包みを開けた。向かいにいたロイが一口食べて言った。
「これ食ったら、アストリッドのプリンがまた食いたくなった」
ユリウスが顔を上げる。
「アストリッドのプリン?」
「研究院に入ってきた頃に作ってたんだよ」
「プリンを?」
「研究室でな」
ユリウスが少し不思議そうな顔をした。ロイは構わず話を続ける。
「培地を保温するのに蒸し器を使ってたんだ。ほかにも保温する設備はあったんだが、別の実験で使ってることが多くてな。短時間なら蒸し器に入れてた」
そこまでは普通の研究室の話だった。
「卵黄を使う培地があるから、購買で卵をまとめて買ってたんだ。蒸し器を見て、余った卵も蒸せると思ってな。食品用にもう一台用意して、蒸し始めた」
ユリウスがロイを見る。
「……お前たちは薬学の研究室で何をしてるんだ」
「研究はちゃんとしてたぞ」
「卵を蒸してる話を聞いた直後に言われてもな」
「そのうち誰かが芋を持ってきて、それも蒸すようになった」
「増えてるじゃないか」
ロイは平然としている。エミールが笑った。
「その頃からあったんですね」
アストリッドが研究院に入った頃には、研究室の休憩用の机に蒸し器が置かれていた。中には卵や芋が入っていることがあり、最初に見たときは、アストリッドも少し驚いた。
「そもそも、蒸し器に卵と芋を入れようなんて誰も思いませんよ」
エミールがロイを見る。
「誰が始めたんです?」
「俺だけど」
ユリウスもロイを見た。
「お前か」
「余った卵を有効活用しただけだ」
調理に使う材料は実験用と分けてあり、研究に支障はなかった。アストリッドも、当時それを止めようとは思わなかった。
「最初はおやつに食ってたんだが、毎回卵と芋じゃさすがに飽きてきてな」
ロイがアストリッドを見る。
「ちょうどその頃、アストリッドが研究院に入ってきた」
「それでプリン?」
「そう。俺が卵と芋に飽きたって話したら、アストリッドがビーカーにあれこれ入れて蒸し始めたんだ」
今度はユリウスがアストリッドを見た。
「ビーカーで?」
「食品用のものですよ」
「そこを心配したわけじゃないんだけど」
「ショ糖は培地にも使いますし、牛乳は誰かが購買で買ってきたものが、休憩用の冷蔵庫にありましたから」
特別なことをしたつもりはなかった。卵と牛乳と砂糖を混ぜて、蒸し器に入れただけだ。
「俺はあのとき、アストリッドは天才だと思ったぞ」
「ただ混ぜて蒸しただけですよ」
「その発想が誰にもなかったんだ」
当時も同じようなことを言われた。エミールが菓子を食べながら笑う。
「僕が入った頃にはもう、プリンは定番でした」
「混ぜるだけですからね」
「でも、誰が最初に作ったのかは知りませんでした」
「ただ、プリンも毎回じゃ飽きるだろ」
ロイの言葉に、ユリウスが眉を寄せた。
「お前、ずいぶん飽きるな」
「同じものを食ってれば飽きるだろ。それでアストリッドが、小麦粉があれば蒸しパンができるって言ったんだ」
「食品用の重曹も研究室にありましたから」
「小麦粉は購買になかったから、外まで買いに行った」
「ロイさんが行きましたよね」
「俺だったか?」
「ロイさんです」
エミールが続けた。
「何回か配合を変えたんですよね。僕が入った頃にも記録が残っていました」
「最初は少し硬かったんです」
卵と小麦粉と砂糖の割合を変え、重曹の量も調整した。作るたびに配合と結果を記録し、最終的な配合も残してある。
「何回か試してるうちに、蒸かしたサツマイモが余ってな。アストリッドが気まぐれに入れたやつが、やたらうまかったんだよ」
「腹持ちがいいと言っていましたね」
「それで研究室の定番になった」
エミールが頷く。
「僕が入った頃には、蒸しパンといえばサツマイモ入りでしたよ」
「あれが素朴で一番美味かった」
ロイがユリウスを見る。
「そういえば、お前にも蒸しパンをやったことあるだろ。サツマイモが入ってたやつ」
ユリウスは少し間を置いた。
「……あれか」
それからアストリッドを見た。
「アストリッドが作ったものだったの?」
「そうですね」
「知らなかった。僕が食べた頃には、もう研究室の定番だったってこと?」
「そうだな。アストリッドが入ってきてから割とすぐだったから」
「僕たちが研究院四年の頃か」
当時、アストリッドは研究院一年だった。ユリウスも王立学院にいて、学院内で姿を見かけることはあったが、話す機会はほとんどなかった。
ロイとは同じ研究室にいた。エミールは翌年研究院に入り、それから三年間、同じ研究室で過ごした。
「また久しぶりに食いたいな」
「記録が残っているので、自分で作れますよ」
「あれは、あの環境だから良かったんだ」
「今もまだ続いてるんでしょうか?」
「多分な。止める理由がないだろう」
ユリウスがアストリッドに尋ねた。
「ほかにも、こういう研究室の話ってあるの?」
「ありますよ。四年間いましたから」
「そっか」
アストリッドはそれ以上気にしなかった。研究室にいた頃と変わらないやり取りだった。
久しぶりに話してみると、研究そのものよりも、こうした細かな出来事の方がよく思い出せた。




